神谷神社 (久美浜町)
京都府の 神谷神社(久美浜町) を掲載しました。合計2157社。
京都府京丹後市にある。
久美浜駅の北西300mほどの場所に境内がある。
参拝は、五月の連休。
兵庫県北部を旅した最終日。
兵庫から、日本海沿いに長野へ戻る途中。
日出前に豊岡のホテルを出発し、
久美浜付近で最初の休憩をとっている時に、
地図を眺めて、当社を確認したので、偶然立ち寄った。
地図を見ると、久美浜駅からの参道があるようだが、
僕は裏側(北西側)に車を停めたので、そちらから参拝。
だから、
駅に向かう道にも鳥居や境内社があったかもしれないが
そちらは確認していない。
北西側の入口の鳥居をくぐると、砂地の広場。
鳥居の脇には、「式内郷社 神谷神社」と刻まれた社号標。
広場の北側に、垣に囲まれて社殿の鎮座する境内がある。
神門をくぐると、正面に拝殿。
拝殿の奥に、入母屋造の美しい本殿がある。
崇神天皇十年九月、四道将軍・丹波道主命が
勅命を受けて山陰地方を巡視された時、
武運長久を祈願して、久美浜の地に社地を定めて
出雲国・八千矛神・天神玉命・天種子命を祀ったのが
当社の創祀。
式内社・神谷神社に比定されている古社。
もとは、神谷小字明神谷に祀られていたが
中世の頃、戦乱にため社屋が破壊されたので
現在地の太刀宮に合祀された。
太刀宮は、丹波道主命薨去の後、命を追慕して創建された神社。
同じく熊野郡の式内社・村岳神社の神は、
この太刀宮の神(丹波道主命)の臣下で、
神谷神社の社地選定を命じられたという。
ところが、村岳の神は良地を秘して
別の地(当社の元地)を上申した。
このことが露見し、怒った太刀宮の神は剣を抜いて村岳の神を追った。
大石に隠れた村岳の神を斬ろうとしたが
誤って大石を断ち割った。
怖れた村岳の神は、大根を下物として和睦の宴を開き和解した。
よって、以後、太刀宮(当社)の例祭には
奥馬地部落より大根が奉納されているという。
似たような伝承が、丹後の隣り、但馬(豊岡市)の葦田神社にも残っている。
話の筋は同じだが、葦田神社の神が騙したのは天日槍であり、
石だけでなく、葦田神社の神の足も傷つけられている。
神社の裏側(北西)に神社の森があり、
文化財環境保全地区になっている。
その中心は巨石がころがる磐座。
桃のような形の磐座の横には、八幡神社。
後には、二つに割れたような形の岩がある。
これが上記の、太刀宮の神が断ち切った剣岩だろうか。
この磐座周辺は、近年まで女人禁制だったらしい。