守田廼神社 (長野市)

長野県にある、守田廼神社(長野市) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野駅の北東2Kmほどの高田に鎮座。
19号線(昭和通り)の「守田神社入口」交差点から
北へ入ると当社正面。

木製鳥居をくぐると、垣に囲まれた広い境内で、
鳥居周囲には巨木が茂っている。
砂地の境内の中央に、石の参道がまっすぐ延びており
正面に立派な社殿。
入母屋造拝殿の後方に、祝詞殿・本殿と並んでいる。
当社本殿内には神殿があるらしい。
明治十二年、善光寺北側にあった善光寺守護神・年神堂が、
神仏分離により城山へ遷った際(現健御名方富命彦神別神社)に
当時の年神堂本殿を、当社へ移築したもの。

創祀年代は不祥。
式内社・守田神社の論社の一つ。

宝暦六年(1756)には、
吉田家から旧称の守田神社の称号で幣帛を受けている。
ところが、文政年間(1818~1830)、
式内社論争によって、
長沼穂保の守田神社ならびに古間の守田神社の二社より
異議を唱えられた時、
当時の神主が幼かったため、他社の神主が対応し、
その結果、天保十年(1839)社名に
「廼」の字を加えてしまったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:35 AM

神楽岡八幡宮 (仁摩町)

何気なくCS放送を見ていたら、
「ちりとてちん」に出ていた佐藤めぐみのドラマ「砂時計」をやっていた。
全60話を、何日間かで一気に放送しているようだ。

仕事があるので、全部は見られないが、少し見てみた。
子供の頃の恋愛を大人になっても引きずる物語。

主人公の二人の設定は、平凡で鈍感でガサツ。
なのに、二人とも異性にモテ、事あるごとに恋敵が出現し
ウジウジとして誤解を招き、その誤解によって、さらにウジウジと。

生理的に、こういうドラマは駄目なのだが
なぜか神社のシーンが幾つか出てくるので
そのたびに、どこの神社なのかを調べてしまう。

物語の舞台は島根県。
仁摩サンドミュージアムが重要な場所のようだ。

で、そういえば仁摩の神社で未掲載のものがあったことを思い出し、更新。
仁摩サンドミュージアムの近くの神社なのだ。

島根県の神楽岡八幡宮(仁摩町)を掲載しました。

島根県大田市にある。
仁万駅の北300mほどの神楽岡に鎮座。
道に面して駐車スペースがあり、その奥に鳥居。
鳥居をくぐると階段があり、その上に社殿。

境内は丘の上にあり、大きな社殿が下からも見える。
瓦葺の拝殿の奥に、銅葺流造の本殿があるのだが、
本殿の全体像を撮影することは難しい。

実は当社へ参拝した目的は、
当社に合祀されているという國分寺霹靂神社。

資料によると、國分寺霹靂神社は
当地の東方、九号線の向こう側にある丘に鎮座しているらしく、
丘の周囲を歩いてみたが見当たらず。
 
付近の方に聞いたところ、國分寺霹靂神社は既に廃され
現在は、当社・神楽岡八幡宮に合祀されているとのこと。

古跡があるかも知れないと、丘の中を歩いてみたが
それらしき場所には雑草に覆われた平地があるのみ。
さらに歩き回っていると、明神古墳に行き着いてしまい
探索を終了した。
ひょっとすると、もう少し探せば何か見つかったかもしれないが。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:34 PM

河牟奈備神社 (綾部市)

京都府の 河牟奈備神社(綾部市) を掲載しました。

京都府綾部市にある。
綾部駅の北東10Kmほどの十倉名畑町に鎮座。
綾部駅から東へ進み由良川を越えて27号線へ。
由良川に沿って27号線を東へ進み、
山家駅付近で1号線に入って北上。
道なりに8Kmほど進むと、1号線の北側に境内がある。

ちょうどT字路になっている場所にあり、
階段上に大きな鳥居が建っている。
境内の向きは南東向きだろうか。

参拝は8月の休日。朝日が昇った頃。
車が通る気配が、まったく無かったので
道路の真ん中に仁王立ちになって撮影した。

階段を上り鳥居をくぐると境内。
社務所などがある広い境内の奥に階段があり
階段を上ると社殿が建っている。

社殿右手に境内摂社が二つ並んでいる。
右から吉田社と阿上社。

阿上社の祠の下に、平安期(永久二年)の銘のある石碑がある。
現在、綾部市の文化財となっているようで
綾部市最古の金文石。
アップで撮影する予定だったのだが、
コンクリートで固められた御神体の石碑を見て、
「え~っ」と、ちょっと驚いたので撮影し忘れてしまった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:10 PM

国神神社 (坂井市)

福井県の神社、 国神神社(坂井市) を掲載しました。

福井県坂井市にある。
丸岡駅の東4Kmほどの丸岡町石城戸町に鎮座。
坂井市役所丸岡総合支社の東500mほど、
丸岡城の南に境内がある。

境内入口は西向き。
石の垣に囲まれた境内があり、入口に鳥居。
鳥居の形状は、貫が左右にはみ出ない中山鳥居。
福井県では珍しいかもしれない形。
注連縄は直線横一本。これは福井では多いかも。

鳥居をくぐると、広い砂利の境内。
参道正面に社殿があり、横には立派な社務所らしき建物。
拝殿も立派だが、本殿はよく見えない。
参拝後に一度、境内を出て周囲を歩いてみたが
北側の小川の向こうから、屋根が少し見えた。
屋根の形から、本殿は神明造のようだ。

境内の一角に、垣に囲まれた場所があり、
中に「旧御本殿跡」と刻まれた石碑が建っていた。
戦後の震災で、社殿が倒壊し、再建されたらしいが
現在西向きの社殿は、以前は南向きだった。
元は、この場所に本殿があったのだろうか。

社号の国神は、
資料によって「くにつかみ」「くにがみ」などの読みがある。

かっては神明宮とも呼ばれた神社。

社伝によると、
磨留古乎加(まるこおか)に居住された
味真野皇子(継体天皇)は、第二皇子の名を
地名をとって椀子皇子と命名され
産湯の水は、乎加(丘)の東の麓の清水を用い
御胎衣を、乎加(丘)の南に埋めて神明宮としたのが当社の起源。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:12 AM