はじかみ神社 木蜀椒 神社 (竹野町椒)

兵庫県の 椒神社(竹野町椒) を掲載しました。合計2091社。

兵庫県豊岡市(旧竹野町)にある。
豊岡駅の西10Kmほどの竹野町椒に鎮座。
三椒川に沿って南北に走る1号線のそば。
712号線(床瀬神辺高原線)との合流地点から1Kmほど北。

道路がカーブする場所に、
当社の遥拝所と思われる下宮(牛頭天王社)があり
そばに「おまき桜」と呼ばれるエドヒガンの巨木がある。

その祠の少し南。
道路脇の田圃の奥に、当社の鳥居が見える。
田圃の北側に細い参道があり、
田を迂回して境内入口へ向かう。
入口の左右には背の高い木が聳え、
階段を上ると鳥居。
鳥居の右脇には「式内大社 椒神社」と刻まれた社号標。
鳥居の扁額には「八幡宮」と刻まれている。

鳥居をくぐり左に曲がって、参道の山道を上る。
こういう神社に入る時、
「どこまで登るのだろうか」
「どのくらい歩くのだろうか」と
少し不安になるのだが、
地図を見ると、それほど遠くない場所に
鳥居マークがあるので、少し安心。

で、最初の曲がり角に神門があり、
次の曲がり角を曲がり、真っ直ぐ上ると割拝殿がある。
思っていたよりも近い感じだ。

で、その割拝殿をくぐると広い境内にでる。
境内奥には入母屋造の立派な本殿が鎮座。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:14 PM

須流神社 (但東町赤花)

兵庫県の 須流神社(但東町赤花) を掲載しました。合計2090社。

兵庫県豊岡市(旧但東町)にある。
豊岡駅から東南東に20Kmほどの但東町赤花に鎮座。
円山川に沿って南下し、出石川に沿って426号線を進む。
さらに太田川に沿って482号線へ。
次いで、担当町畑山付近で、赤花川沿いの701号線を東へ。

701号線を2Kmほど進むと、
南の山の方へ入る道があり、
道路脇の高い場所に当社の鳥居と社号標が立っている。

境内は、その鳥居からさらに南へ700mほど南下した
山間部というか谷のような場所。
南下する道に沿って川が流れており、
その川にかかる橋を渡って境内。
参道を進み、階段を上ると西向きに社殿が立っている。

拝殿は入母屋造、後方の本殿も入母屋造。
境内や参道は、整備されて間もないようで
川にかかるコンクリートの橋も真新しいが
社殿は少し古びた感じ。

本殿の左手には、大きな岩が転がっているが
祀られている雰囲気はない。

鎮座地は「主樓谷」と書くのだが読み方がわからない。
ひょっとすると、当社の社号・須流「スル」と同じ
「スルタニ」なのだろうか。

『式内社調査報告』によると、
当社後方の山に、朱樓石という
大小二個の岩があるらしい。
二見浦の双石のようなものらしい。
この「朱樓石」(スルイシ?)が御神体なのだろう。
朱樓石を祀る、主樓谷にある、須流神社なのだろう。

創祀年代や由緒は不詳。

式内社・須流神社に比定されている古社。
主樓谷にあるため、主樓明神とも称される神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:45 PM

春日神社 (あわら市中番下番)

福井の春日三連発。

福井県の 春日神社(あわら市中番下番) を掲載しました。合計2089社。

福井県あわら市(旧芦原町)にある。
えちぜん鉄道三国芦原線・本荘駅の西500mの
中番と下番の境界上に鎮座。
101号線に面して南向きに境内があり、
境内後方には竹田川が東西に流れている場所。
竹田川は、西へ2Kmほど下ると兵庫川と合流し
さらに西へ下ると九頭竜川と合流して日本海に注ぐ川だ。

南向きの入口を入ると、鳥居が建ち、
左手に「郷社 春日神社」と刻まれた社号標。
右手には巨木(松だと思う)。
参道をまっすぐ進むと、正面に社殿。
拝殿後方の本殿は、300年前に建立された文化財らしいが
覆屋の中にあり確認できず。

社殿の右手に、西向きの石祠がある。
これが井口神社。
境内の石碑には相殿と刻まれていたが
このように境内社として祀られている。

当地は、もとはこの井口神社の境内地であった。
井口神社の創祀年代は不詳。

第二十七代継体天皇は即位前は
男大迩命と称し、当地に在住していた。
その頃、国中の水利の不便を憂い
当国三大河(九頭竜川・日野川・足羽川)
および坂井港を開かれ国中の治水を行ない、
当地に行宮を構えた。
天皇の崩御後、当地に社殿を造営し
祭神として祀ったのが初めという。
ただし、祭神には異説もあり、
御井神(井戸の神)とする説もある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:17 AM

春日神社 (大野市不動堂)

今日は日曜日なので、もう一つ。

福井県の 春日神社(大野市不動堂) を掲載しました。合計2088社。

福井県大野市にある。
越美北線・越前豊田駅の東2Kmほどの不動堂に鎮座。
26号線を東へ進む、九頭竜川にかかる阪谷橋を渡って
26号線を北へ逸れ、さらに
九頭竜川の支流・唐谷川に沿って500mほど東へ。
唐谷川の北側に境内がある。

田の中を走る農道の先に見える、巨木の聳える社域。
農道なのか参道なのかわからないが、
その道をまっすぐに進むと境内入口。

境内入口には鳥居ではなく、
屋根の付いた門のようなものがあるのだが
これはなんだろうか。
祭の時に提灯をぶら提げるための似たような門は見かけるが
基礎部分はコンクリートで固められており
常設されている様子。
その門をくぐると鳥居が建っており、
鳥居の右手に、「村社 春日神社」と刻まれた社号標。

境内の中央部に、二つの灯籠が立ち、
奥の一段高い石積の上に社殿。
入母屋造拝殿の扁額には「不動明王」と書かれている。
拝殿の周囲には廊下が付けられているが
スカートのような雨除けと思われる板が付けられている。

拝殿後方の本殿は、覆屋の中にあり確認できず。
『福井県神社誌』には、瓦葺流造と書かれている。

本殿の左手には、ゴツゴツとした大きな岩があり
岩の上には、小さな石祠が祀られている。
この岩が、不動明王の御神体だろうか。
そんな感じだった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:26 PM

春日神社 (あわら市沢)

福井県の 春日神社(あわら市沢) を掲載しました。合計2087社。

福井県あわら市(旧金津町)にある。
北陸本線・細呂木駅の北北東1Kmほどの沢に鎮座。
153号線に沿って500mほど北上し、
観音川を越えて北へ。

目印は、「衣かけの大杉」と呼ばれる大きな木。
田圃の中の参道に、一本の巨木が聳え、
その根元付近、地上2m近くの枝が伸びて
アーチ状になってり、その下を参道が通っている。
車で下を通ってみたが、充分に余裕がある、そんな大木。
今は見当らなかったが、
昔は、そばに「お身すすぎの池」があり
当社の社人や社僧が、身を清めた場所だという。

参道を北上すると、社域の森の前に
新しい鳥居が建っている。
鳥居をくぐり、鬱蒼と木々の茂る参道階段を上ると境内。
境内中央に、大きな社殿。

入母屋造の拝殿の後方に、春日造のような形状の本殿。
ただし屋根は、瓦葺きの覆屋根と融合しており
本来の屋根の形は違うのかもしれない。
また、『福井県神社誌』には、
「流造(覆舎の中)」と記されており
この社殿の中に、小さな本殿があるのかもしれない。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:16 PM

佐伎都比古阿流知命神社 (朝来市)

兵庫県の 佐伎都比古阿流知命神社(朝来市) を掲載しました。合計2086社。

兵庫県朝来市(旧和田山町)にある。
山陰本線・養父駅の東4Kmほどの和田山町寺内に鎮座。
円山川に沿って南東へ1.5Kmほど進み、
糸井橋を渡って、10号線を北東へ。
糸井小学校あたりで北へ入っていく。

境内隣には、光福寺というお寺がある。
ちょっとわかりにくいが、光福寺の参道階段の左横に、
当社境内へ続く参道があるので、農道のような小道を進むと
小さな丘の森の前に、当社の鳥居が見える。

鳥居をくぐり参道階段を上ると境内。
境内奥の高い場所に、覆屋の中に納まった本殿がある。

社殿の前には、小さな猿の像が左右に向かい合って座っている。
当社の通称は、日枝明神、山王権現と言うらしく、
山王神の神使の猿が、狛犬替わり。

創祀年代や由緒は不詳。

式内社・佐伎都比古阿流知命神社に比定されている古社。
延喜式には「佐伎都比古阿流知命神社二座」と書かれており
当時は、二柱の祭神を祀っていたようだ。

主祭神は、社号の通り、佐伎都比古阿流知命。
『日本書記』垂仁天皇八十八年紀に以下の一文がある。

昔、一人の人が船に乗って但馬国にやって来た。
どこの国の人か、とたずねると
「新羅の国の王子、名を天日槍という」と答えた。
その後、但馬国に留まり、
但馬国の前津耳の娘・麻挓能烏を娶り
但馬諸助を産んだ。

この前津耳が、佐伎都比古命であり
佐伎都比古阿流知命は、その妻であるという。
一説には、佐伎都比古命は前津耳の祖であり、
佐伎都比古阿流知命は、佐伎都比古命の御子であるという。
いずれにしろ、延喜当時の祭神は、
佐伎都比古阿流知命と佐伎都比古命の二柱だったのだろう。

ただし、『神祇全書』では、
彦主人命と振姫命の二柱と記されている。

また、『古事記』では前津耳は多遅摩の俣尾の娘で、
天日槍の妻であると書かれており、
女性だと考えられている。

『日本書記』によると、垂仁天皇に天日槍の神宝を献上した清彦は、
天日槍の曾孫にあたり、上記の諸助の孫。
清彦が献上を躊躇った唯一の神宝の刀(出石)は、
淡路島の祠に祀られ、今も由良湊に出石神社が存在する。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:53 PM