鳥海山大物忌神社

山形県の飛島にある 鳥海山大物忌神社 を掲載しました。合計1760社。

山形県と秋田県の県境に聳える鳥海山(2236m)の山頂にある。
ということで、当社への参拝は、登山が前提。
登山が嫌いなので、できるなら避けたかったが、
前日に月山に登り、予想以上に平気だったので、
ついでに鳥海山にも登ってみた。

社伝によると、景行天皇の御代に出現し、
欽明天皇二十五年、鳥海山上に鎮座した。

他説では、欽明天皇七年の鎮座とする。

鳥海山は古代日本の北の境界に位置し、
異狄に対して神力を放って国家を守ると考えられており、
更に、穢れを清める神でもあるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:13 PM

與喜天満神社 (初瀬)

奈良の 與喜天満神社(初瀬) を掲載。合計1759社。

長谷川にかかる赤い橋を渡り、階段を登ると赤い鳥居。
さらに階段を登ると境内。

境内は、一段高く垣の中に社殿が並ぶ。
中央に本殿。左右に二社・三社の境内社が並んでいる。

『長谷寺霊験記』によると、
天慶九年(946)天満天神の化身神殿太夫武麿が
長谷の滝蔵社・観音堂などに参詣したところ、
滝蔵権現が、伽藍の守護を天満天神に譲り、
東の峯は、断惑修善に良き地なのでその峯に住むように命じたため、
天神は雷神となって降臨し、与喜大明神と称したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:17 PM

漆山神社 (村上市)

新潟県にある 漆山神社(村上市) を掲載しました。合計1758社。

現在の祭神は、雷神 龍神 大山祇神。
祭神には異説があり、
明神川そばにあるためか、水神・速秋津日命。
源義家の奥州征伐において、戦勝祈願を行ったことから、武神・武甕槌命。
さらに、越後から出羽へ通じる古道の峠にあることから、峠神・手向神など。

通称は、ヤブキ明神。
一般には、矢葺明神の字をあてる。
これは、源義家奥州征伐の帰路、当社に戦勝報告を行い、
余った矢で、社殿の屋根を葺いたことによるが、
他に、矢武計明神、矢武岐明神、夜深明神などと
記載された資料もあるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:04 PM

小物忌神社 (飛島)

山形県の飛島にある 小物忌神社(飛島) を掲載しました。合計1757社。

山形県酒田市の沖39Kmに位置にする、
周囲10Km、海抜50mの飛島にある。
出航時、酒田市の天気は小雨。
覚悟はしていたが、海は少し荒れており、船も揺れて、
乗船客の多くは船酔いでたいへんそうだった。

船を下りて、定期船の到着する勝浦港から
海沿いの道を1.5Kmほど歩き、中村港へ。
小物忌神社は、路地裏の狭い道を登っていくのだが、
どの道かわからない。
もちろん、案内も出ていないので、住民の方に道を聞く。
教えられた狭い道の階段をとにかく登ると境内入口に到着。
登ってきた道は雑草の茂る細い道だったが、
境内入口では、もう少し広い道が交叉している。

創祀年代は不詳。
大和国龍田社からの勧請と伝えられる古社。
よって、当社は風神を祀る神社。

一時、大宮神社とも称されていたが、
昭和十七年に古名に戻したという。
式内社・小物忌神社の論社の一つ。
飛島は、鳥海山の頂が噴火で吹き飛んで出来たという伝承ある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:39 AM

月山本宮

山形県の 月山本宮 を掲載しました。合計1756社。

今回、山形の滞在予定は3日間。
その中で、天気予報で晴れると予報のあったこの日に登山と決め、
涼しい早朝(というか夜)に頂上を目指す。
登山は好きじゃないし、出来れば山に登りたくはないのだが、
山頂にしかお宮がないので仕方ない。

山頂の月山神社は南に向いているので、
八合目駐車場からの登山道は、お宮の裏側に到着する。
正面に回って、石積みの参道を歩くと、境内入口。
山頂にあるため、境内全体が石積みで囲われている。
入口から中は撮影禁止。

境内に入ると、右手に休憩場。
先に進み、お金を払ってお祓いを受けて社殿の前に出る。
社殿の形状や大きさは、中之宮とほぼ同じ。
社殿前、通常の神社では賽銭箱のある場所に、
月を模した、新しい石の台があるが、ちょっと違和感。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:38 PM

三重生神社 (高島市)

滋賀県の 三重生神社(高島市) を掲載しました。合計1755社。

創祀年代は、不詳。
式内社・三重生神社に比定されている古社。

祭神は、応神天皇の五世孫・彦主人王と
その妃である垂仁天皇七世孫・振媛。

振媛出産の折、彦主人王の夢に三尾大明神のお告げがあり、
「この度天より授かる子は天孫の大いなる迹をふむべき男子なり」と。
そこで山崎社(三尾神社)の拝殿を産所として南天に祈られ、
無事に、彦人、彦杵、彦太の三子を安産されたという。
故に、当社は「三重生」と称され、安産の神でもある。

ちなみに、三男の彦太が、後の継体天皇。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:39 PM