越智神社 (須坂市)

昨日に続いて、長野にある、越智神社(須坂市) を掲載しました。合計1741社。

境内入口は南側にあり、境内入口にも、境内にも大きな樹が聳えている。
参道を歩くと静かな境内。
中央に社殿があり、後方に本殿(ただし、覆屋の中にある)。

拝殿の右手に、大きな古株があるが、昔の御神木だったのだろうか。
とにかく、境内の広さに比較して、巨木が目立つ神社。
境内中央には、大きな木蔭ができ、
社殿にスポットライトのように陽がさしていた。

現在の祭神は饒速日命となっているが、
明治三年の松代藩書上帳には、健御名方命となっており、
古くは諏訪大明神と呼ばれていたらしい。

式内社・越智神社の論社の一つとして、
越智氏の本流である物部氏祖神を祭神としたものと考えられるが、
当社と越智氏との関連を示す資料はない。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:43 PM

越智神社 (中野市)

長野にある、越智神社(中野市) を掲載しました。合計1740社。

境内入口に、公民館のような建物がある。
(正確な名前は確認し忘れた)
その前の駐車場に、一時、車を止めて参拝開始。

本殿の左手に、大きな石が2つ祀られており、
その中の一つ、緑の苔の覆われた石には神代文字が刻まれていた。
帰宅後、インターネットで調べると、
どうやら「越文字」と呼ばれるものらしく、
刻まれている文字は、当社祭神である「ミホススミノミコト」のようだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:51 PM

大領神社 (垂井町)

岐阜にある、大領神社(垂井町) を掲載しました。合計1739社。

参拝は冬の夕方で、陽が沈む間際。
境内周囲の木々が、長く影を落とす頃。
境内は広いが、何も装飾のない空間で、寂しげな雰囲気だった。
当社の前に、赤く華やかな南宮大社へ参拝したせいかもしれない。

祭神は、不破郡の大領であった、
宮勝木實(みやのすぐりのこのみ)。
壬申の乱の際に、天武天皇に味方して不破関を守り、
勝利に貢献した人物。
壬申の乱後、不破郡を賜り大領となった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:18 PM

朝田神社 (山口市)

山口の 朝田神社(山口市) を掲載しました。合計1738社。

小学校の近くに参道入口があり、
300m近いまっすぐな参道が続く。
当社は、周防五宮だが、鳥居扁額には「玉祖五宮」と刻まれている。
玉祖神社は周防一宮だ。

参道を歩くと、こんもりとした社域の森がある。
参拝は朝日の昇る頃。社名にピッタリな時刻だが、逆光なのだ。
眩しい陽射しを避けて、急いで森に入ると、涼しい木蔭。
木々の奥に、神門が見える。
神門の奥に拝殿があり、後方に本殿。

当社は、明治三十九年に大歳周辺の以下の七社が合祀された神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:21 PM

大荒比古神社 (新旭町)

滋賀県の 大荒比古神社(新旭町) を掲載しました。合計1737社。

鳥居をくぐり参道を歩くと、予想以上に広い境内だった。
参道には幟が立ち並んでいた。
参拝はゴールデンウィークの連休中。
案内板によると、5月4日に、例祭・七川祭が行われるらしい。
立ち並ぶ幟は、祭の名残りなのかもしれない。

主祭神は、大荒田別命と豐城入彦命。
相殿に祀られる神々は、
当地・高嶋郡に勢力のあった近江源氏佐々木氏の祖。

当社は、佐々木氏と深い関係にあったようで、
当社の神紋である四つ目結は、佐々木氏の家紋でもある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:49 PM

大荒比古鞆結神社 (マキノ町)

滋賀県の 大荒比古鞆結神社(マキノ町) を掲載しました。合計1736社。

鳥居をくぐって、参道を歩くと右手に境内がある。
階段をのぼると、正面に拝殿。
拝殿の後方に流造の本殿がある。

本殿の額には、「大荒比古 鞆結 神社」の文字。

社名から判るとおり、大荒比古神社と鞆結神社の二社並立の神社。
現在は、一社として扱われ、祭神も上記の五柱だが、
一説には、大荒比古神社祭神は、豐城入彦命・大荒田別命。
相殿神に、須勢理比女命・大己貴命。
鞆結神社祭神は、天忍日命・譽田別命。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:59 PM