朝鮮神宮
姉妹サイトである 『朱丘子の追憶』 に廃絶した神社の写真を載せてみることにした。
絵葉書や写真集からしか、写真が入手できないけど。
一応、戦前などの大昔のもので、著作権上問題ないだろうと思うものを。
で、第一弾は、朝鮮神宮 。
現在の韓国ソウルにあった。大正十四年の創建。
* 『朱丘子の追憶』 廃止したので、現在は 『玄松子の記憶」 に遷座しています。
姉妹サイトである 『朱丘子の追憶』 に廃絶した神社の写真を載せてみることにした。
絵葉書や写真集からしか、写真が入手できないけど。
一応、戦前などの大昔のもので、著作権上問題ないだろうと思うものを。
で、第一弾は、朝鮮神宮 。
現在の韓国ソウルにあった。大正十四年の創建。
* 『朱丘子の追憶』 廃止したので、現在は 『玄松子の記憶」 に遷座しています。
静岡にある、 春日神社(浜松市) を掲載しました。合計1651社。
参拝は五月。境内の木々の葉は濃い緑色。
褐色の拝殿と、真っ赤な本殿が美しい神社だった。
交差点に近く、駅にも近いのだが、境内は静か。
愛知県の 赤日子神社(蒲郡市) を掲載しました。合計1650社。
参道入口に大きな鳥居が立ち、
参道を北へ歩くと、境内入口の鳥居。
境内に入ると、広い境内の正面に社殿がある。
参拝日は、非常に天気が良く、
美しい青空が印象的。
ただ、陽射しが強くて陰が濃いため、
コントラストの強い写真しか撮れないのが残念。
滋賀県の 兵主大社 を掲載しました。合計1649社。
社伝によると、兵主神は、景行天皇の御代、
皇子・稲背入彦命により大和国穴師(奈良県桜井市)に奉斎され、
近江国高穴穂宮への遷都に伴い、高穂の宮居近くの穴太(大津市坂本)に遷座。
その後、欽明天皇の御代に琵琶湖を渡り、現在の地に鎮座したという。
当社の神紋は、亀甲に花菱と亀甲に鹿角の2つ。
亀甲に鹿角については、慶長九年(1604)の
『兵主大明神縁起』によると、
「御祭神八千矛の大神 亀の背に乗り湖上を 鹿の背に乗り豊積の平野を」
渡って来たとの記載があるらしく、境内・社殿のアチコチに見ることができる。
能登のえの目嶽神社(七尾市)を掲載しました。合計1648社。
港を見下ろす丘の上に境内があるが、
階段や境内は、最近整備されたようで、
新しく、少し味気ない。
『式内社調査報告』に載っている写真では、
木々も多く、味のあるものだ。
これから時が経てば、それなりの風景になるのだろうか。
社殿は、北陸特有で、ガラスで覆われている。
本殿の覆屋が、拝殿の後方に付属しており、
拝殿内に本殿が安置されているような形。
福井の式内社1社追加。合計1647社。
須波阿津疑神社(越前市)
須波の社名に関しては、以下の説がある。
・諏訪社の当て字とする説。
・今立郡曾博(曾波久)郷の地名に由来するとする説。
・座摩巫五座の、波比祇神・阿須波神に由来するとする説。