松下社 (二見町)
三重県の松下社(二見町) を掲載しました。
JR参宮線松下駅の北500mほどの二見町松下にある。
42号線の東側に蘇民の森とも呼ばれる境内があり、広い駐車スペースもある。
駐車場側には「松下社」と刻まれた社号標と鳥居。
鳥居をくぐると蘇民将来を祀る蘇民祠があり、当社の通称は蘇民社。
『備後風土記逸文』の蘇民将来神話によると、
北海にいた武塔神が、南海の神の娘のもとへ通う時、
日暮れてしまい、備後国の地で宿を求めた。
備後国には将来兄弟が居り、弟の巨旦将来は豊かであったが宿を与えず、
兄の蘇民将来は、貧しかったけれども、宿を貸す。
武塔神は、南海から八柱の御子を率いての帰路、当地で報復を行うことになるが、
蘇民将来の子孫には、腰に茅の輪を付させて目印とし免れたという。
武塔神は、その時「吾は速須佐雄の神なり」と名乗ったという。
また、武塔神は牛頭天王とも称す厄神で、祇園大明神とも呼ばれている。
蘇民社では古くから「蘇民将来子孫」と書いた桃符を配布し、
伊勢志摩地区の人々はそれを注連縄に吊るして厄を逃れるという。
南側にも参道があり鳥居がある。
南側鳥居をくぐると、参道の左手に樹齢2000年と言われる大楠。
三重県の天然記念物にも指定されており、下部は大きな空洞になっている。
参道の右手には、榊を束ねた山の神が祀られている。
朽ちてしまう榊なので、毎年祀りなおされているのだろう。
南側からそのまま参道を進むと正面に社殿。
壁の無い拝殿の右手に絵馬堂があり、
拝殿のの奥、砂利の区画の中に神明造の本殿が鎮座。
拝殿の前、通常は狛犬が置かれている場所にも、
山の神同様、榊を束ねたものが、左右に置かれていた。
当社の創祀年代は不詳。
松下地区の氏神として崇敬された古社で、
「氏経神事日次記」文安六年(1449)六月十五日贄海神態の条に
「其雨の間、饗に於いては、松下社の拝殿に於いてこれを調理す」という記事が最古の記録。
ただし、入口付近には「コウザキサン」が祀られているという土地の伝承あるらしく、
当社を式内社であり、皇大神宮摂社でもある神前神社の旧地とする説もある。
また『三重県神社誌』によると、安倍晴明により勧請されたとの言い伝えもあるらしく、
境内蘇民の森は請明森とも呼ばれているとある。
当社の神紋に晴明判が用いられているのはそのせいか。