西刀神社 (豊岡市)

兵庫県の 西刀神社(豊岡市) を掲載しました。合計2145社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・城崎温泉駅の北3Kmほど、
円山川の河口部にある津居山のある岬の根元にある
運河(瀬戸)のそば、城崎マリンワールドの駐車場の一角に鎮座。

参拝は五月の連休の早朝。
日出前から大雨が降っていたので参拝を中止しようかとも思ったが
とりあえず、豊岡市内のホテルを出発し
水飛沫をあげながら当社を目指す。
雨が降っていて場所がわからず、
仕方がないので、歩いて探そうと
駐車場に車を停めた、その目の前にあった。

垣に囲まれた小振りな境内。
入口の鳥居をくぐって境内に入り参道を進むと
もう一つの鳥居。
さらに進むと、神門のような割拝殿のような社殿があり
その奥に社殿がある。
この社殿は、本殿を納めた覆屋だが
社殿の中には明かりが付けられ
早朝でも扉が開いているようで、中に入って参拝ができる。

中に入ると、大きく立派な本殿がある。

現在の主祭神は稲背脛命で、相殿に西刀宿祢命を祀るが
資料によっては、西刀宿祢命一柱となっている。
社号から判断すると、本来は西刀宿祢命が主祭神だったのだろう。

社伝によると、
仁徳天皇十年八月、城崎郡司・海部直命の子・西刀宿祢に命じて
西刀の水門を浚渫せしめ、
履中天皇の御代、城崎郡司となす。
雄略天皇二年八月、西刀宿祢命を
瀬戸の丘に葬り、祠を建てて祀り、
水門を浚渫した鍬を相殿に納めたという。

境内案内板には、すでに稲背脛命を祀る神社が存在しており
そこに西刀宿祢命を合祀したとある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:17 AM

敷山神社 (越前市)

福井県の 敷山神社(越前市) を掲載しました。合計2144社。

福井県越前市にある。
鯖江駅の東7Kmほどの春山町に鎮座。
服部川に沿って走る2号線から、少し南に入った場所。
路地の奥に境内入口の鳥居が建っている。

以前、冬に参拝したことがあるのだが、
福井県の神社の多くは、
冬季になると本殿に雪除けのシートが設置されて
写真の撮影に向かない。
そこで、当社を含めて2・3社の参拝だけで
予定を変更し、滋賀県へ移動したことがある。
その時に予定していたコースを、五月の連休に再度訪れたのだ。

鳥居をくぐり参道階段を登ると、広い境内。
境内の奥(南側)に拝殿があり、後方に流造の本殿。
冬の参拝時には、シートが付けられていたが
今回(春)は木枠のみが残されていた。

創祀年代は不詳。

社伝によると、往古は大社であったらしいが、
天正年間(1573~1591)の一向一揆によって
社殿ことごとく打ち壊され、その後、次第に衰微。
享保年間(1716~1736)には村内の火災で焼失した。

式内社・敷山神社の論社の一つ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:50 PM

敷山神社 (鯖江市)

福井県の 敷山神社(鯖江市) を掲載しました。合計2143社。

福井県鯖江市にある。
鯖江駅の東7Kmほどの河和田町に鎮座。
河田川と天神川が合流する地点から北東へ500mほど。
山の斜面に境内がある。

境内入口の階段の上には石鳥居。
階段の右に「式内 敷山神社 是ヨリ三町」と刻まれた社号標。
左に「式内 指定 敷山神社」と刻まれた社号標が建っている。

鳥居をくぐると広い境内。
境内の右手には、漆器神社。
河田町は「うるしの里」と言うらしく、
河田川沿いにも同名社が存在する。

境内は、全体が山の斜面にあり、
階段をウネウネと登る感じ。
階段を登ると、神輿殿があり、
さらに登っていくと絵馬堂のような建物。
参道は、さらに登っていく。
参道には、織部灯篭のような背の低い灯籠が並んでいる。

参道を進むと、もう一つの境内社。
社名は確認できなかったが、
『福井県神社誌』には、境内社として漆器神社の他に
遠敷神社の名が記されているので、たぶん、遠敷神社だろう。

さらに参道を進むと、当社社殿のある境内。
中央に、入母屋造の拝殿があり、
後方には流造の本殿がある。
拝殿の扁額に「惣社敷山神社」と書かれている。
近隣の惣社的神社なのだろう。

境内の様子を文字で説明すると
かなり登るように伝わるかもしれないが、
実際は、それほど登るわけではない。

創祀年代は不詳。
一説には、
加賀国江沼郡敷地村菅生鎮座の石部神社の分霊を勧請した神社。
社伝によると、
もとは霊山岳に鎮座していたが、
延喜年間(901~)祠長より敷山神社の社号を付与され、
安和元年(968)、森禅空が神託を受け、
村人と相談して、大平の地(現在地)へ奉遷したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:01 PM

黄金山神社 (金華山)

宮城県にある 黄金山神社(金華山) を掲載しました。合計2142社。

宮城県石巻市にある。
牡鹿半島の沖1Kmほどに浮ぶ金華山に鎮座。
周囲26Km、中央最高点445mの金華山は
恐山・出羽三山と並ぶ、奥州三大霊場の一つで、
島全体が当社の御神域。
金華山へは、鮎川や女川から定期観光船に乗る。

鮎川から20分程度の船旅で、金華山西側にある船着場に到着。
船着場のすぐ近くには神輿御旅所があり、石碑が建っている。

船着場から境内までは20分ほどの登り坂。
送迎バスのようなマイクロバスが走っているようだが、
(確認していないので、よくわからない)
せっかくなので歩いて登る。
参道の坂道は、舗装された綺麗な道。
坂道の始点には、当社の鳥居が建っている。

参拝は、夏休みの朝。
船着場に到着した頃は、小雨が降っていたので
傘を広げて歩くが、風に飛ぶ雨粒が
火照る顔に心地よい。
少し歩くと、赤い欄干の神橋があり、
橋の先には、赤い鳥居。
傍らには「縣社黄金山神社」と刻まれた社号標。
左手には、境内社の濱神社(八重言代主神)。
さらに参道を登って行くと、
御神木(樹齢800年の欅)があり、境内に到着する。

金華山全体に鹿や猿が居るようで、
境内でも数頭の鹿が散策していた。
参拝者がエサを与えるのだろう、
近づいても逃げないのは奈良と同じ。

境内の鳥居をくぐり、階段を登ると
楼門のような随神門。
随神門の奥に、さらに階段が続いており、
階段の左手には祈祷殿がある。

階段を登ると、正面に大きな拝殿。
拝殿の後方、垣の中に本殿があるのだが、
屋根しか見えなかった。

創祀年代は不詳。

社伝によると、金華山は、
神代の昔、大己貴命と少彦名命が国作りをしている時、
椿を作ろうと、金石を煉固めて作った山。

天平二十一年、丸子連等が相謀りて
山中より黄金を採取し、時の陸奥守百済敬福によって
黄金が朝廷に献上されたという。
その功績に拠って、丸子連は牡鹿連の姓を賜わったという。

また、大伴家持が産金を祝して、
すめらぎの御代栄えんと東なる みちのく山に黄金花咲く
という長歌を作り、
黄金山と呼ばれるようになり、
後に金花山・金華山と呼ばれるようになったという。

丸子連等が黄金を掘った時、
山頂に国常立命・海童神・金山毘古命の三柱を
山腹に金山毘売命を祀ったが、
後、本地垂迹により三柱を龍蔵権現、金山毘売命を弁財天と称した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:50 PM

志波姫神社 (高清水五輪)

宮城県にある 志波姫神社(高清水五輪) を掲載しました。合計2141社。

宮城県栗駒市にある。
古川駅の北10Kmほどの高清水五輪に鎮座。
4号線から少し東へ入った場所、
167号線(真山高清水線)のそばにあるのだが、
正確な場所を、忘れてしまった。
写真で確認すると、
境内左横に「コミュニティセンター」という建物が写っており
その「コミュニティセンター」の横で、道に面して境内がある。

入口(といっても境内に囲いは無いのだが)には
「史跡 五輪之塔」と刻まれた石柱。
境内奥に、赤い鳥居と石祠を収めた覆屋があるだけの
簡素な神社だ。

創祀年代は不詳。

以前は、現在地の西北500mほどの丘陵上にあったという。
『式内社調査報告』には、
現在の鎮座地住所が五輪17番地と記されており
「明治に至り字五輪四四番地に石宮を儲け遷座、
更に昭和五十一年三月現在地に移祀された。」
とあるのだが、
現在の鎮座地住所は、五輪四十四番地じゃないだろうか。

『式内社調査報告』にある写真は、
覆屋というより、雨よけの屋根だけなので、
『式内社調査報告』発行後に、
再度遷座・移築されたのかもしれない。

式内社・志波姫神社の論社の一つで、
古来、清水権現・清水明神と称された古社。
祈雨に霊験のある神として信仰され、
寛保年中夏の大旱の折に、たちまち雨を降らせ
領主より社領が寄進されたという。

覆屋のそばに、背の低い五輪塔と
いくつかの石碑が建っているが、
これが、史跡なのだろうか。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:44 PM

桑原神社 (竹野町桑野本)

兵庫県の 桑原神社(竹野町桑野本) を掲載しました。合計2140社。

兵庫県豊岡市(旧竹野町)にある。
豊岡駅の西15Kmほどの竹野町桑野本に鎮座。
178号線を進み、江野トンネルを抜けた後、
竹野川に沿って西へ。
とにかく竹野川に沿って進むと桑野本集落に到着。
集落内は、道が狭いので、適当な場所に車を停めて、
地図を見ながら歩くと、社域の森が見えてくる。

境内は、低い丘の上。
田圃の畦道のような参道を進むと、境内入口に到着する。
入口には鳥居が立っており、
傍らに「桑原神社」と刻まれた社号標。
境内に入ると、まず境内社があり
その横の階段上にも境内社。
最初の境内社の前を通ると、
境内中央に聳える大イチョウ。
大イチョウの傍らに、本殿を納めた覆屋。
覆屋の右手に階段があり、その上にも境内社がある。

覆屋の中の本殿は、横に広めで
唐破風付きの屋根を持つドッシリトした造り。

創祀年代は不詳。

森本にある式内社・桑原神社は、
当社から移されたという説があるらしく、
『但馬考』などでは、当社を式内社・桑原神社としている。

明治までは稲蔵神社と称していたが、
明治十四年、現社名に改称した。

覆屋の隣りの大イチョウは、
イチョウとして兵庫県第三位の天然記念物らしい。
案内板によると、秋に葉が全部落ちると
翌日は雪が降るという伝承があるようだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:38 PM