穴水大宮
能登の 穴水大宮 を掲載しました。合計1754社。
東向きの鳥居をくぐると、広い境内。
参道奥に、どっしりとした社殿があり、
拝殿の後方に本殿がある。
創祀年代は不詳。
当社の正式名は、「邊津比め神社」。
舳倉島の奥津比め神社に対する神社として、
式内社・邊津比め神社の論社の一つ。
通称は、穴水大宮と呼ばれている。
能登の 穴水大宮 を掲載しました。合計1754社。
東向きの鳥居をくぐると、広い境内。
参道奥に、どっしりとした社殿があり、
拝殿の後方に本殿がある。
創祀年代は不詳。
当社の正式名は、「邊津比め神社」。
舳倉島の奥津比め神社に対する神社として、
式内社・邊津比め神社の論社の一つ。
通称は、穴水大宮と呼ばれている。
滋賀県の 丹生神社(余呉町下丹生) を掲載しました。合計1753社。
鳥居をくぐり、階段を上がると境内。
境内右手に拝殿があり、後方の垣の中に本殿。
上丹生にある丹生神社の拝殿では、
テント地の保護幕が全面に張られていたが、
当社では、その保護幕が巻上げられて開放されていた。
式内社・丹生神社二座の論社の一つ。
例祭には、丹保高山から赤土(丹生)を採り、
高取川の清水を汲んで、八十瓮に盛って神前に献じるという。
その後、赤土と清水を混ぜ、氏子の額に印を付けて、
無病息災の符とする。
滋賀県の 丹生神社(余呉町上丹生) を掲載しました。合計1752社。
鬱蒼と茂った木々の神域へ足を踏み入れ、
鳥居をくぐり、階段を上ると、
予想外に広い境内。
境内右手に、テント地で保護された、堂々として造りの拝殿があり、
拝殿の後方、階段上に、垣に囲まれた本殿がある。
参拝は5月の連休。
蒼々として活力に満ちた木々に
ちょっと癒される空間。そんな感じ。
社伝によると、天武天皇の御宇、
丹生真人がこの地を拓き、丹保野山に神籬を設け、
山土と丹生川の水を供え、天津神を祀ったという。
後、天平年間に現在の地に社殿を創建した。
よって、当社は土と水の神。
静岡にある、片岡神社(吉田町) を掲載しました。合計1751社。
当社の社号は、片岡神社だが、通称は住吉神社。
境内入口の石鳥居には、「住吉神社」の扁額が掛かっている。
鳥居をくぐり、境内に入ると隋神門があり、その奥に社殿。
拝殿の後方に流造の本殿がある。
拝殿の額には、「片岡神社」となっている。
大和国片岡神社から勧請された古社で、
式内社・片岡神社に比定されている神社だが、
仁徳天皇の御代、摂津国住吉大社から
分霊を勧請し、以後、住吉大明神と称されるようになった。
山形県の 湯殿山神社(本道寺口之宮) を掲載しました。合計1750社。
月山の南麓、月山湖の東の本道寺に鎮座。
112号線の北側に境内がある。
道路に面した階段を上ると、大きな社殿。
拝殿の後方に、流れ造の本殿。
参拝は八月の雨の日。月山登拝を目的にやって来たが、
雨で断念し、下山して周囲を車で巡って当社へ。
周囲は、鬱蒼とした森。
下山した頃には、雨は止んでいたが、
緑が瑞々しくて、マイナスイオン充満。
深呼吸したくなる境内だった。
当社は、湯殿山神社の口之宮。
社伝によると、大同四年(809)空海が湯殿山登拝の折、
雲霧の中に光る老木があった。
空海は、この老木から大日如来・大黒天の尊像を造り、
草庵に安置した。その草庵を、月光山光明院と号したという。
滋賀県の 稲荷神社(高島市) を掲載しました。合計1749社。
道路の南側にあるが、入口は東側。
近くに、「下ノ城」という江若バスのバス停がある。
境内に入ると、南向きの社殿があり、
本殿は、この中。
中を覗くと、宝珠の幕が掛けられた祠が一つ。
創祀年代は、不詳。
当社には、式内社・宇伎多神社が合祀されているという。