酒折宮 (甲府市)
山梨県にある、酒折宮(甲府市) を掲載しました。
山梨県甲府市にある。
中央本線・酒折駅の西300mほどの酒折に鎮座。
411号線の酒折宮入口交差点から参道が北へ続き、鳥居が立っている。
その鳥居をくぐり参道をさらに進み、中央本線の線路を越えると境内入口がある。
鳥居をくぐると、右手に「酒折宮」「日本武尊御舊跡」と刻まれた社号標。
境内の左手には「新治筑波」で始まる連歌之碑が立っており、奥には、寛政三年、本居宣長が撰文し平田篤胤の書による「酒折宮壽詞」、宝暦十二年、山縣大弐が撰文し加藤翼の書による「酒折祠碑」の石碑が建っている。
参道を進むと正面に社殿。
拝殿も、その後方一段高い場所にある本殿も神明造。
拝殿には当社の神紋である「五七の桐」の紋が染められていた。
境内の東に高校があり、高校側(東側)からの参道にも鳥居が立っているが、その扁額には「八幡宮」とあった。
日本武尊が東夷征討の帰路、当国にお入りになり塩海足尼を召して、「汝はこの国を開き、益を起こし国民を育てよ、わが行末はここに鎮座すべし」といわれ、叔母である倭姫から授けられた火打嚢を賜わった。
のち社殿を建立し、その火打嚢を御霊代として奉祀したという。
また、当社は『日本書紀』に以下のように記述されている酒折宮の跡。
蝦夷を平らげられて日高見国からの帰り、常陸を経て甲斐国に至り、酒折宮においでになった。
灯をともしお食事をされ、この夜、歌を作って従者にお尋ねになって、こう言われた。
新治や筑波を過ぎて幾夜寝ただろうか(新治筑波過幾夜寝)
従者は答えられなかった。御火焚の者が、皇子の歌の後を続けて歌って、日数を重ねて、夜は九度、昼は十日でございます(計夜九夜日十日)とお答えした。
御火焚の賢いのを誉めて、厚く褒美を与えられた。
この時の歌のやりとりが、複数の作者によって詩を連作する連歌の発祥であるという。