護國八幡宮 (小矢部市)

富山県にある、護國八幡宮(小矢部市) を掲載しました。

富山県小矢部市にある。
北陸本線・石動駅の南西2Kmほどの埴生に鎮座。
西には石川県との県境、古戦場として有名な倶利伽羅峠のある場所。
42号線から西へ入った場所に南東向きの境内がある。

参拝は10月。
当日はメルヘンおやべ道の駅で車中泊し、
暗いうちに目覚めたので、とりあえず当社に向かった。
当社前にも、「倶利伽羅源平の郷・埴生口」という
小さな道の駅のような休憩施設があったので、
その駐車スペースに車を止めて、再度仮眠。
少し明るくなり始めた頃に参拝を開始した。

参道入口には、「八幡宮」の扁額のあるピンク色の鳥居。
鳥居をくぐり参道を進むと、参道左手に大きな源義仲の騎馬像がある。

参道を進むと境内入口の鳥居。
鳥居の右手に授与所があるが、まだ開いていなかった。
その脇に、「鳩清水」の手水鉢。
案内によると、倶利伽羅山中からひかれた水で、
源義仲(木曽義仲)が当社で戦勝祈願の折り、
白鳩が飛来し、その導きによって源氏勢は清水を得たという。

鳥居をくぐると、蓮沼城主・遊佐慶親寄進の103段の参道石段。
かつては108段あり、108の煩悩を踏み消して神に近づく意味があった。

石段を上ると広い砂利の境内。
境内中央に拝殿・幣殿があり「護國八幡宮」の扁額。
後方には釣殿と流造の本殿。すべての社殿は桃山時代様式で旧国宝。
現在は国指定重要文化財となっている。

本殿は、慶長五年、前田利長が大聖寺出陣の際に戦勝祈願し帰還後に寄進。
幣殿と本殿をつなぐ釣殿は、慶長十六年、病気平癒祈願のため寄進。
拝殿・幣殿は、元和八年、前田利常夫人天徳院の産後平癒のため寄進されたもの。

社伝によると、養老二年、豊前国宇佐宮から勧請された古社。

古くから文教の祖神、殖産の神として崇敬され
通称は埴生八幡宮と称されている。

治承四年、平家追討の令旨に応じて信濃で挙兵した木曽義仲は、
寿永二年、倶利伽羅峠で二倍の軍勢の平維盛の大軍と対峙し、
埴生に陣を取って、当社に戦勝を祈願。
『平家物語』では、この時、雲の中から三羽の山鳩が飛来し
源氏の白旗の上にひらひらと翻ったとあり、この瑞兆を得て大勝。
『源平盛衰記』には、四・五百頭の牛の角に松明を燃やして
平家の陣中に放ったとある。

一般に「護国」の名を持つ神社は、
戦争などの国事に殉じた英霊を祀る神社だが
当社の「護国」は、それとは異なる。
慶長十三年頃、地方の凶作が続いたため、前田利長が当社に祈願。
霊験により凶作が打破されたため『護国』の尊号を奉ったもの。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:34 AM