多太神社 (小松市)

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当社は、兜の八幡様と呼ばれ、実盛の兜を社宝としており、
参道にも「八幡様の兜」の像がある。

この兜は、斉藤実盛の着用していたもの。
実盛は、寿永二年源平の合戦の時、
加賀の篠原の地で73歳で討死にした平家の武将。
初め源氏の義朝に仕えたが、平治の乱後、平家の宗盛に仕え、
武蔵の国・長井の庄の別当として居住したという。

争乱の中、幼少の木曽義仲の命を救ったこともあったが、
平家敗亡の軍の時、手塚の太郎光盛に討たれた。
武者の黒髪を訝って首を洗ったところ、白髪が現れたという。
敵に老武者と侮られることを口惜しいと
白髪を黒く染め、潔く散った老将軍であった。

その後、木曽義仲が実盛の供養と戦勝を祈願して
当社へ兜を奉献し、現在、国の重要文化財となっている。

元禄二年(1689)松尾芭蕉が奥の細道の途次、
旧暦の七月二十四日に北陸路を金沢から小松へ入り
当地に宿泊して、句会を開催。
当社へ詣でて、実盛の兜や袖を拝観し、
木曽義仲と斉藤実盛の数奇な巡りあわせに思いをはせ
「むざんやな 甲の下のきりぎりす」 という歌を奉納した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:22 PM