馬脊社 (山ノ内町)

長野県にある、馬脊社(山ノ内町) を掲載しました。

長野県山ノ内町にある。
長野電鉄の夜間瀬(よませ)駅から北東へ3.5Kmほどのよませスキー場に鎮座。

当初、資料に記載されていた住所(上記)から地図を探すが見当たらず、住宅地図にも記載がなく、仕方がないので山ノ内町役場へメールで問い合わせたところ、該当の住所は、よませスキー場近辺らしいという情報をいただいたので訪れてみた。
車でグルッとスキー場内を周回してみたがそれらしきものが発見できず、ロッジで作業している方に聞いてようやく到着。

スキー場のホテルやロッジが集まっている場所の西の端。
道路脇に「馬脊社参道入口」と書かれた、消えかけた標柱があり、そこから細い山道を一直線に登って行くと、二本の木に注連縄をした場所に到着。
その奥に石の祠が一つあるだけの簡素な神社。

参道の長さは200mほどだと思うが、よく覚えていない。
運動不足の身体なので、疲れないようにゆっくり登り、また、熊との遭遇も注意しながら、何度も休み辺りを警戒しながら登ったので、距離はわからない。

当社の創祀年代や由緒に関しては未確認。

『明治神社誌料』の上田市に鎮座している馬背神社の記述の中に、神祇志料に「馬背神○按信濃地名考高井郡夜間瀬郷あり、馬背夜間瀬音相近し、疑らくは馬背神盖此地にあらむ、しばらく附て考にそなふ云々」とあり、式外社(国史見在社)である馬背神に関して、上田市の馬背神社の他に夜間瀬の当社も候補とする説があるようだ。

馬背神に関しては、『三代実録』貞観二年(860)二月五日に「信濃國正六位上馬背神。飄別神。妻科地神。无位駒弓神。出速雄神並授從五位下。」とあり、さらに、貞観七年(865)三月二十三日には「授信濃國從五位下馬背神從四位下。」、貞観九年(867)三月十一日には「從四位上馬背神從三位。」と神階を授かった記録のある古社である。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:06 午前

八尾八幡社 (富山市)

富山県にある、八尾八幡社(富山市) を掲載しました。

富山県富山市にある。
高山本線越中八尾駅の南1Kmほどの八尾町下新町に鎮座。
井田川を渡って472号線を300mほど南下した場所、472号線の東側に境内がある。

境内入口は西向き。「八幡社」と刻まれた社号標が立っている。
社前に駐車スペースがあり、その奥、数段の階段上に鳥居。
鳥居をくぐると右手に手水舎。参道正面に社殿がある。

社殿の前に二基の灯籠が立っているが、雪囲いだろうか、竹が組まれていた。
参拝は10月だったので雪には早いし、あるいは転倒防止なのかもしれない。

拝殿は瓦葺入母屋造、後方の本殿は流造だが破風が前面にせり出した形で美しいフォルム。
本殿の側面はビニールで囲われており、これは雪除けだと思う。

当社の正式名は「八幡社」。
ただ、富山には八幡社という名の神社が多いためか、境内の由緒書にも「八尾八幡社」と書かれていた。
ただ、八尾(やつお)町にも八幡社がいくつもあるのだが、八尾町発祥の地にあるということで特別なのかもしれない。

なお鳥居扁額、拝殿扁額には「八幡社」とあるが本殿扁額には「八幡宮」とある。

『全国神社名鑑』によると、当社宮司(葛城氏)の祖であり。役小角の弟子であった卜丸正位が、
八尾町白木峰に金剛蔵王権現を勧請して金剛銅を開き、行基菩薩像、聖徳太子像を彫刻して安置したのが始まり。
後、八尾町薄尾の地に前堂を建立した。

『富山県神社誌』によると、舒明天皇の御代、山背大兄皇子の乳母で卜丸正位の祖母の鳥羽垂が預かった聖徳太子の尊影と、金剛堂山に勧請した金剛蔵王権現を尊崇したのが始まり。

永禄六年(1563)領主斎藤長門守が瀬戸山の現社地を寄進し、天正四年(1576)に遷座。
八尾の人々は皇太子を尊崇し産土神とした。
富山藩初代藩主である前田利次も深く崇敬し藩の祈願所とした。

正保三年(1646)八尾瀧谷の産土神(聖徳太子)を合祀し八尾総産土となった。
天明八年(1788)井波屋清左衛門の発願により、八幡社神体誉田別命を刻み奉納した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:45 午後

大石神社 (勝沼町)

山梨県にある、大石神社(勝沼町) を掲載しました。

山梨県甲州市にある。
中央本線の甲斐大和駅から北西に、直線距離で3Kmほど、道程では6Kmほどの勝沼町深沢に鎮座。
20号線を西へ進み、深沢入口交差点から217号線に入って深沢川に沿って北東へ2Kmで、217号線の右手に当社参道入口がある。

参道を進み深沢川を渡ると、山道のような参道の奥に鳥居。
鳥居扁額には「大石社」と刻まれている。
鳥居をくぐると赤い両部鳥居があり、参道の奥、木々の間に社殿が見えてくる。

境内入口、および社殿は西向き。
入母屋造の拝殿の左手に神饌殿らしき建物があり、上部に煙突。
中で調理でも行われるのだろうか。

拝殿の後方には赤い屋根の流造の本殿。
本殿の背後には、2~3m四方ほどの御神体の大きな石がある。

『山梨県神社誌』に、「境内を流れる渓流を本殿より十数丁逆登る水源に奥宮がある」とある。深沢川の上流にあるのだろうか。

創祀年代は不詳。
『山梨県神社誌』によると、甲斐国志所載の神社であり、古来、この地の鎮守として崇敬された神社。
毎年盛大な鎮火祭が斎行され、幕府より奉納された灯籠や石鳥居がある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:54 午後

広野神社 (北杜市)

山梨県にある、広野神社(北杜市) を掲載しました。

山梨県北杜市にある。
中央本線小淵沢駅の南東4Kmほどの小淵沢町松向に鎮座。
17号線から東へ608号線に入り、中央本線を越えて150mほどで南に入る。
そこから約1Kmほど進むと中央本線に突き当たるが、線路を超えずに右手(西)へ進むと境内。

当社の正式な参道入口は中央本線の南側にあるのだが、参道は通行止め。
参道の突き当たり、ちょうど境内の前を中央本線の線路が横切っていて渡れないのだ。
仕方がないので線路の北側、線路沿いの道を進んで境内に入ることになる。

境内には拝殿と本殿のみの簡素な造り。
寄棟造りの拝殿の後方に本殿の覆屋があり、本殿は確認できなかった。

拝殿前面のガラス扉から内部を覗くと、拝殿奥の扉が開いており、奥に白装束の神職らしき人影が見えたが、よく見ると随神像だったのでちょっとびっくり。

当社の正式な社号は諏訪神社。
ただし拝殿の改修工事の板書きには「広野神社」とあり、通称広野神社の名で呼ばれているようなので、当サイトでも広野神社としておく。

創祀年代は不詳。
社伝によると、宝亀二年(771)九月、従五位甲斐守豊国真人秋篠が本殿を建立。
徳川家代々の崇敬篤く、社領として御朱印高一石一斗、社地二千坪が寄進された神社。

『日本紀略』第一醍醐天皇の条に、寛平九年(897)九月七日「甲斐國正六位上広神従五位下」とある広神が当社のことであるといい、社地が広大で原野のようであったことから広野社と呼ばれたらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:43 午後

紀師神社 (松阪市)

三重県の紀師神社(松阪市) を掲載しました。

三重県松阪市にある。
紀勢本線相可駅の西4Kmほどの庄町に鎮座。
両郡橋を北上して櫛田川を渡り、701号線を西へ。
庄町の中心部付近で701号線から北へ入った場所、道沿いの斜面に境内入口の鳥居が立っている。

鳥居の左手、植栽の中に「延喜式内 紀師神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり階段を上ると、広くてあっさりとした印象の砂利の境内。
境内の奥に当社社殿があり、左手に境内社が一つ並んでいる。

拝殿は瓦葺入母屋造。後方に一段高く板垣に囲まれて神明造の本殿がある。
当社はもと八王子と称されていたようで、本殿前の階段脇に「八王子」と刻まれた灯籠があった。

境内の右手に石を積んで前面に格子扉を付けた何かがあった。
伊勢周辺の神社にはこのような古墳を模したような形態のものが祀られていることが多いのだが、残念ながら詳細は調べていない。

『三重県神社誌』および『平成祭データ』に、当社に関する由緒などの記載はなく、『三重県神社誌』伊佐和神社の説明に「明治四〇年に八重垣神社、紀師神社など二三社を合祀し」とあるだけ。

『式内社調査報告』によると、当社は式内社・紀師神社に比定されている古社。

古記録に上川原宮、川原宮、河原宮とも記された神社で、延喜斎宮式には「紀師社」とあり、斎宮の祈年祭に預かっていたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:55 午後

武田神社 (甲府市)

山梨県にある、武田神社(甲府市) を掲載しました。

山梨県甲府市にある。
甲府駅の北、約2Kmほどの古府中町に鎮座。
武田通りと呼ばれる大通りを進んでいくと突き当たり、国指定史跡の武田氏館跡、躑躅ケ崎の西方にあることから通称、躑躅ケ崎館跡の中にある。

当社祭神である武田信玄公の父・信虎が、永正 十六年(1519)に石和から当地に館を移し、その後、信玄・勝頼と武田家当主の館であったところ。
境内には、信玄公が使用したという井戸や、息女の産湯に使ったという姫の井戸などが残されている。

躑躅ケ崎館は、一辺が約200mの正方形の主郭(現武田神社)を中心に、その回りのいくつかの副郭とによって構成された平城形式だったそうだ。
ということで、外観は神社というより城跡。
お濠にかかる神橋を渡り、階段を上ると石垣の上に広い境内。
参道の左手には芝生が広がり、甲陽武能殿や榎の下に祀られた榎天神。
参道には風林火山として有名な「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」と染められた幟が立っている。
あいにく当日撮った写真では幟が裏向きになっていたので、画像を反転して下に掲載してみた。

参道を進むと鳥居があり、鳥居の奥に当社の社殿。
拝殿は入母屋造。拝殿の後方に中門があり、垣に囲まれた流造の本殿。
社殿の右手には白山社(歯の神様)が祀られ、宝物殿の前にはキティ石像がある。

参拝は四月後半の早朝だが、観光客だけではなくジョギングや散歩の途中に参拝する人も多く、甲府市民の生活に不可欠な存在なのだろう、などと考えながらの参拝。

当社祭神は戦国武将の武田信玄公(武田晴信命、「信玄」は出家後の法名)。

大正四年十一月一日、大正天皇御即位に際し、信玄公の偉徳を賞せられ特に従三位を追贈せられたるを以って神社創建の議が熟し、官民有志一致協力のもと、大正六年七月十七日、信玄公居館の地を鎮座地と定めて神社創建を願い出、同年九月十七日内務大臣より創建許可、大正八年四月十一日社殿落成、鎮座祭を執行。
信玄公の命日である翌四月十二日を例大祭と定めたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:26 午後
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