大宮巌鼓神社 (東吾妻町)

群馬県の大宮巌鼓神社(東吾妻町)を掲載しました。

群馬県の東吾妻町にある。
吾妻川に四万川が合流する地点に近く、
吾妻線・群馬原町線の北500mほどの原町に鎮座。
146号線の西側、小学校の隣り、234号線を挟んで境内がある。

境内入口は南側(やや西寄り)。
道路に面して朱の鳥居が立っており、
鳥居の右脇に「郷社大宮巌鼓神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐると、参道左手に大宮会館という建物があり、右手には駐車場。
参道を直進して十段程度の階段を上ると境内。
境内入口には石鳥居があり、鳥居の右手に手水舎がある。

参道を直進すると社殿。
境内左手に社務所。右手には神楽殿。
拝殿は入母屋造。黒っぽい褐色の社殿だが
屋根の下、垂木や茅負が鮮やかに朱に塗られており「粋」な雰囲気で面白い。

拝殿の扁額には「正一位大宮巌皷大明神」。
拝殿の後方に朱の垣に囲まれて春日造の本殿がある。

参拝は晩秋十一月の晴天の日。
日射しが強く、木漏れ日の境内はコントラストが強かった。

一般に、吾妻の語は、碓氷の嶺に立った日本武尊が、見渡す雲海から、
海を連想され、走水で入水された弟橘比売命を偲ばれて
「吾嬬者耶」と嘆かれたとことに由来するとされているが、
当地では以下の話となっている。

当地の長者の娘に、上妻姫という美しい姫がいた。
日本武尊が東国平定の帰路、姫の美しさに心奪われ、姫は尊の子を宿す。
尊は、姫に「お前は私の妻である」「今日からは吾妻姫と名乗るように」と言い
「吾妻や妹背と契る言の葉も これぞ別れの形見なるらん 」と歌を残して都へ戻る。
信州との境の峠(鳥居峠)で姫を偲び「吾嬬者耶」と嘆いたという。

この吾妻姫(上妻姫)の生んだ子が大若宮彦といい、
大宮とか巌鼓尊と呼ばれて祀られたのが当社であるという。

また、四万川の上流にある稲裹(いなつつみ)神社が
当社の巌鼓(いわづつみ)と関係があるらしいが、詳細は確認していない。
「三代実録」に元慶四年従五位下を授けられた稲褁地神の名が記されているが、
稲裹神社あるいは当社と関係あるのかもしれないが、それも未確認。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:39 PM