筑土八幡神社 (新宿区)

東京の筑土八幡神社(新宿区) を掲載しました。

東京都新宿区にある。
飯田橋駅の北西300mほどの筑土八幡町に鎮座。
大久保通りに面して、境内入口がある。

当社の正式名は「八幡神社」だが、一般には筑土八幡神社と呼ばれ
鎮座地名にもその名が用いられている。

参道入口は南東向き。
注連柱が立っているが、注連縄ではなく横木を用いた形状。
階段下、左脇には「筑土八幡神社」と刻まれた社号標が立っている。

階段を上ると社殿のある境内で、通常の鳥居が階段途中にある。
これは享保十一年(1726)建立の区内最古の鳥居らしい。
また、階段途中の右手には小さな公園があり、ちょっと和む。

階段を上ると、右手に手水舎があり、
緩く左に曲がる参道の先に社殿。
拝殿は入母屋造で、本殿は流造。
ともに柱が赤く、屋根は緑青の銅が美しい。

境内の右手に、境内社・宮比神社。
その宮比神社の前には、舟型(光背型)の庚申塔。
寛文四年(1664)に奉納されたもので、
日月と雌雄の猿と桃の木が刻まれている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:47 PM

築土神社 (千代田区)

東京の築土神社(千代田区) を掲載しました。

東京都千代田区にある。
九段下駅の北、北の丸スクエアの奥に、ビルに囲まれた境内がある。

境内入口は北側。坂道の途中、ビルの前に鳥居が立っている。
鳥居をくぐり、参道を歩くと立派な社殿。

妻入拝殿の後方には、コンクリートの神明造平入りの本殿がある。
北の丸スクエアから見上げる本殿は、
ビルの谷間に聳えて、異世界の趣がある。

社殿の右脇に、世継稲荷神社があり、社殿との間に力石。
世継稲荷神社の脇に「山本社司之碑」が建っている。
昭和の大戦で全焼する世継稲荷神社から、
身を犠牲にして御神体を守った山本岸太郎を称えている。

世継稲荷神社の奥が社務所になっているが、
ビルの一階の管理室のような雰囲気だ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:46 PM

鳥越神社 (台東区)

東京の鳥越神社(台東区) を掲載しました。

東京都台東区にある。
地下鉄の蔵前駅から少し南下して蔵前通りに入り、
西へ300mほどの鳥越2丁目に鎮座。

境内入口の鳥居は、蔵前通りに面して南向き。
鳥居をくぐると、稲荷と恵比須・大黒と天神を祀った
福寿神社があり、左に向かうと正面に当社社殿がある。

よって、社殿は東向き。
社殿に向かって、左手に手水舎があり、右手に社務所や授与所。

本殿は入母屋造のシンプルだが美しい形。
屋根は緑青だろうか緑っぽい色だ。

参拝は平日の朝。
久しぶりに、通勤サラリーマンの流れに乗って地下鉄をおりた。
参拝中にも、何人かの通勤途中らしきサラリーマンが
境内を通過したり、参拝したり。
翌日に何が起きるか、想像すらできない、のんびりとした朝だった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:38 PM

御崎神社 (気仙沼市)

宮城県にある 御崎神社(気仙沼市) を掲載しました。

宮城県気仙沼市にある。
気仙沼駅の南東18Kmほどの唐桑町崎浜に鎮座。
宮城県の北橋、陸中海岸国立公園の南端、唐桑半島の先端に境内がある。

とにかく端にあり、御崎(おさき)、尾崎の名に相応しい場所。

26号線をひたすら進むと、赤い大きな鳥居があり、
鳥居からさらに進むと当社の前に到着する。
社前には大きな駐車場があり、駐車場の北側に南向きに境内。
駐車場から周囲を歩く遊歩道のようなものがある。

参拝後に遊歩道を歩くつもりだったが、
参拝していたら遊歩道のことを忘れてしまい歩いていない。
遊歩道は御崎灯台などへ続いているらしい。

社前の社号標は「御崎神社」「日高見神社」の二本あり、
鳥居をくぐり数段の階段を上ると広い境内。
参道正面に入母屋造の拝殿があり、拝殿の右手には護摩堂霊殿。

拝殿の左手には、東向きに境内社が並んでいる。

掲載は2011年3月16日で、東日本大震災の始まりから五日目。

岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県など、広範囲で大地震が発生し
大津波によって東北地方から関東の太平洋岸は大打撃を受け
町が流され、多くの人々の命を奪った大災害、
さらに福島では原子力発電所で放射線漏れが発生するなど、
日本にとって未曾有の危機に直面している時。

参拝は、2006年8月13日なので、
当社の社殿や境内は、写真とはずいぶん違ったものになっているかもしれないが、
災害で亡くなった方々への哀悼と、
愛する人を失った方々へのお悔やみと、
家や財産を失った方々への励ましと、
今後、きっと復興されるであろうことを信じて、今日、掲載する。

がんばろう日本!



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:02 AM

瀧山神社 (河津町)

静岡県の瀧山神社(河津町) を掲載しました。

静岡県の河津町にある。
伊豆急行河津駅の北西3.5Kmほどの川津筏場に鎮座。
河津川を遡って北西に進み、峰大橋付近で北東の山中へ300mほど。
地図で確認するとそんな感じの場所だが、
周囲の道をウネウネと運転し、小道を歩きまわっていたので、
実は当社への道をよく覚えていない。

社前には川が流れており、境内右奥に続いているが
その先は人口の滝のように工事されていた。
昔は滝だったのかもしれないし、
当社の御神体だったかもしれないが、未確認。

参拝は四年前(2007)の正月二日の冬だが、
夏だったら、さぞ鬱蒼としていただろうと思える境内。
境内入口、数段の階段の上に石の鳥居。
さらに階段を上ると社殿があり、扁額に「滝山神社」と書かれていた。
扁額の下には、正月飾りと蜜柑。

社殿の中に本殿と思われる祠があり、
左右に境内社らしき小祠。左の小祠は稲荷のようだ。

今も大切に祀られているようで、
境内の石垣も綺麗に維持されており、参道も遊歩道のような雰囲気だった。

竹村茂雄の『伊豆國式社考』に、
式内社・多祁伊志豆伎命神社として「筏場瀧権現」と記されている。
それが、現在のどの神社なのか、すでに廃絶したのかわからず
とりあえず川津筏場にやって来た。

筏場にはいくつかの神社があるが、当社・瀧山神社の社号から
「瀧権現」ではないかと思って確認に来たのだが、
結局、何もわからず、参拝しただけ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:58 PM

新七稲荷 勇吉宮 与兵衛明神

長野県の青木村は『義民の里』。
青木村には、幾つかの義民(義人)を祀った小社がある。
そこで、『郷土を救った人々』に記載されている三社 新七稲荷 勇吉宮 与兵衛明神 を掲載しました。

長野県の青木村にある。
青木村に入ると「義民の里青木村」と書かれた看板が目に入る。
青木村では、江戸時代の天和、享保、宝暦、文化、
そして明治二年と合計五回もの百姓一揆が起こったそうで
その首謀者や犠牲者を義民として崇敬し、村内各所に
十数人の義民の墓が、村指定の史跡になっているという。

義民の墓巡りも興味深いところだが、
当サイトは神社巡りのサイトなので、
今回は、その中で神として祀られている三人の義民(義人)を紹介する。
まず、中挟にある新七稲荷。
中挟は、青木村役場から南西、沓掛温泉への道の途中にある集落。
『郷土を救った人々』には、その中挟の上野山の中腹とある。
知っていればわかりやすい場所にあるのだが、
知らずに訪れて、里山をウロウロと徘徊してしまった。
歩き疲れたので役場で聞いてみようと車に戻り、
役場に行く前に、中挟にある豐受皇大社へ向かうと、
豐受皇大社の前に、当社・新七稲荷への案内が出ていた。

ということで、当社は豐受皇大社の横から山に少し登った場所にある。
途中まではセメントの道だが、やがて山道となり
しばらく登ると、木製の鳥居と案内板が見えてくる。

鳥居をくぐり、さらに登ると、塚のような状態の境内がある。
境内中央には平林新七命を祀った新七稲荷の石祠。
右手には「史跡 享保の義民 新七稲荷」と刻まれた石柱が立っている。
新七稲荷の石祠の左手に、小さな石祠があるのだが、詳細はわからない。

次は、入奈良本にある勇吉宮。
入奈良本は、沓掛温泉から西へ向かう181号線の途中にある集落。
ここには恋渡神社という変わった名前の神社があるが、
勇吉宮はその300mほど手前。181号線から深山へ向かう道にある。

数本の木が聳えている開けた空間にあり、
周囲も最近整備された印象。境内の白い石祠も新しい。
石祠の前に二基の灯籠があり、石祠の左手には
「史跡 文化の義民 勇吉宮」と刻まれた石柱が立っている。

次も、同じく入奈良本にある与兵衛明神。
勇吉宮の西10mほどの場所に祀られている。
道路脇に階段があり、階段の上に石祠。
右手に「史跡 天和の義民 與兵衛明神」と刻まれた石柱が立っている。

石祠の右に、昭和四十二年の建てられた顕彰の石碑があるが、
一部が読めなかった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:02 AM