奄我神社 (福知山市)

京都府の 奄我神社(福知山市) を掲載しました。

京都府福知山市にある。
福知山駅の北4Kmほどの中に鎮座。
音無瀬橋を渡って由良川を越え、55号線を北上して2Kmほど。
小学校の南に、55号線に面して南向きの境内がある。

境内は石垣に囲まれているが、
その垣の外、右手に池のような場所があり、祠が一つある。
境内社の篠島神社だ。

境内入口を入り、鳥居をくぐると
正面奥、石組みの上に社殿が並んでいる。
拝殿は入母屋造。後方の本殿は流造。
社殿は文化四年(1807)の大火で延焼し、
文化九年に再建されたままだったが、
昭和五十三年十月に境内の北側の森を売却し
全面改築されたらしい。

境内は砂利が敷き詰められて非常に綺麗。
境内入口にクスノキの巨木がそびえ、
八月の炎天下での参拝だったが、境内の大部分が木陰となっていた。
以前は、杉の大木三本と椋の大木もあったそうだが
昭和三十六年の台風で倒れたそうだ。惜しい。

創祀年代は不詳。

『続日本紀』に宝亀四年(773)九月に条に
「壬辰丹波國天田郡奄我社有盜 喫供祭物斃社中 即去十許丈 更立社焉」
とあり、773年に、当社に盗人が入り、供物を食べて中毒したので
その穢れを除くため、十許丈ほど隔てて建替えたらしい、というほどの古社。

式内社・奄我神社に比定されている神社で、
もとは、現在地の北方3Kmの字筈巻に鎮座していたとか、
あるいは、東方2Kmの字猪崎小字泉谷の奥にあったとか、
中の聖大明神古跡であったとか、諸説あるようだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:09 PM

日出神社 (但東町南尾)

兵庫県の 日出神社(但東町南尾) を掲載しました。

兵庫県豊岡市にある。
但東総合支所の南西600mほどの但東町南尾に鎮座。
426号線を進むと郵便局があるが、
その裏側、出石川の近くに境内がある。

境内は公園の一角の林の中という印象。
南側の表参道入口に鳥居は無く、灯籠が一基あるのみ。
東側の広場からの入口に鳥居が建っている。

南側から境内に入ると、参道脇に猿田彦神を祀った石。
さらに進むと鳥居があり、右手奥が社殿のある境内。

一段高い場所に神明造の本殿があり、
前面に向拝が延びたような感じの拝殿が接続されている。

社殿の両脇に境内社の祠が一つずつ。
右手にの祠は皇大神宮・稲荷神社、左手の祠は三宝荒神宮。
三宝荒神宮の中には「三宝大神」と刻まれた石が祀られていた。

創祀年代は不詳。
社伝によると神功皇后新羅遠征の時、
勅使を遣わされ供物を献上されたという古社。
戦国時代、市場高山城主、出合山城主の崇敬が篤かったという。

江戸時代になって、寛永・正保年間、出石城主小出氏が
出石川の改修を行い、当社を旧社地の東南隅に移転し社殿を新築。
安政六年、本殿が造立された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:55 AM

蛟蝄神社 (利根町)

茨城県の 蛟蝄神社(利根町) を掲載しました。

茨城県利根町にある。
成田線・布佐駅の北東6Kmほどの立木に鎮座。
栄橋を渡って利根川を超え、4号線を1.5Kmほど進み、
新利根川に沿って東へ2Km程度入った場所。
209号線と合流する手前、集落の北側、老人ホームの隣に境内がある。

境内入口は南側。狭い道に面して参道の階段があり、
階段脇には「蛟蝄神社(奥の宮)」と書かれた案内が建っている。
当社は、蛟蝄神社の奥の宮と呼ばれており、
当社の西300mほどの位置に門の宮と称する神社がある。

階段を登ると、入口に比して広い境内。
鳥居をくぐり、石板の参道を進むと正面に社殿。
赤い屋根の拝殿の後方に、垣に囲まれた流造の本殿がある。
拝殿の屋根は寄棟造になっているが、向拝が前面に突き出した形状。
屋根瓦の部分が、面白い形をしていた。

参拝日はあいにくの雨だったが、シトシトと静かに降る雨が良い感じ。

境内に小さな石祠が幾つか祀られている。
一つの石祠の前に「氏神」と刻まれた石が建っているが
詳細は分からない。
『茨城県神社誌』には、境内社・琴平神社と記されているが分からない。

社伝によると、
孝霊天皇三年(前288)に水神の彌都波能賣命を
文武天皇二年(698)に土神の波迩夜須毘賣命を祀ったのが始まりという。
一般的には、文武天皇二年の創祀。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:17 AM

穴切大神社 (甲府市)

山梨県の穴切大神社(甲府市)を掲載しました。

山梨県甲府市にある。
甲府駅の南西1Kmほどの宝に鎮座。
甲府駅から500mほど南下し、警察署のある交差点を西へ。
その道の突き当たりに境内入口がある。

境内入口は東向き。
入口の右手に社号標が建っているが
参拝日が11月だったためか、「七五三詣」の案内板が立て掛けられていた。

鳥居をくぐり、参道を進むと楼門形式の随神門。
寛政六年(1794)建立の重要文化財らしい。

随神門をくぐると、しっとりとした趣きの境内。
参道はコンクリートで整備されているが、
境内全体は苔むしているので「しっとり」と感じるのだろう。

境内右手に神楽殿があり、正面にコンクリート造の白い拝殿。
拝殿の後方、ブロック塀に囲まれて
国の重要文化財に指定されている桃山時代建立の本殿が鎮座している。

第四十三代元明天皇の御代、和銅年間の創祀。
当時は、甲斐国中は大半が湖水であったといい、
時の国司が巡見し、湖水を引けば良き田となるであろうと
朝廷に奏聞し、許可を得て、
さらに、国造神である大己貴命に祈願して土を起こし
鰍沢口を切り開き、富士川より南海に水を落とすことに成功。
よって湖水の大半が退き、良田となったという。

ひとえに御神徳を賜物と、勅命を以て勧請し、
穴切大明神と称し、国中鎮護の神として崇敬されたのが当社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:26 AM