鵜江神社 (矢掛町西川面)

岡山県の鵜江神社(矢掛町西川面)を掲載しました。

岡山県矢掛町にある。
井原鉄道・矢掛駅の西2Kmほどの西川面に鎮座。
486号線から数百メートル北上した所、
星田川の西に、田に面して南向きの境内がある。

参拝は年末の休日。
境内では、地元の方々が迎春の準備中で、
ちょうど鳥居に国旗を掲げていたので、
遠慮して、少し遠くから撮影。
ということで、鳥居や境内正面からの写真は撮っていない。
邪魔にならないように境内に入り、
軽く参拝して、数枚の写真を撮っただけ。

境内に入ると正面に神門があり、
神門から拝殿まで廊下が続いている。
拝殿の後方には、流造の本殿があるのだが
全体が真赤というか真朱の本殿。
屋根も柱も壁も、すべて朱色だった。

社号の「鵜江」は、「うのえ」とも「うごう」とも読まれるようだ。

社伝によると、
仁徳天皇の勅令により、吉備津神社五社の神殿、
ならびに七十二の末社を創建した、その末社の一社。

祭神は吉備津彦尊だが、
一説には当地の国神・樂々森彦命。
垂仁天皇の御代、吉備津彦命が温羅という賊を退治した時
水際に逃げた温羅を、樂々森彦命が見事に捕らえ、
その姿が鵜のようであったといい、その功によって鵜江神という。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:50 AM

井上神社 (養父市)

兵庫県の 井上神社(養父市) を掲載しました。

兵庫県養父市にある。
八鹿駅の西16Kmほどの吉井に鎮座。
八木川に沿って、9号線を15Kmほど西へ。
八木谷川と八木川が合流する辺りで、
87号線へ入って、さらに西へ1Kmほど進む。

「上吉井」というバス停から北へ入ったところ。だが、
バス停は移動したり無くなったりするので、今でもあるかどうかは分からない、

とにかく、その辺りから当社への参道が北へ延びている。
参道には「式内井上神社」と刻まれた社号標が立っている。
鳥居は修理中で、鉄パイプで補強されている状態だったので、
注意しながら、鳥居を避けて参道を進んだ。
参道の長さは、100mは無かったと思う。そんな長さ。
参道を上りきると境内。
境内奥の石組の上に社殿がある。

階段を上ると正面に拝殿。
拝殿の左手に意味ありげな石があり灯籠が立っていたが、磐座だろうか。
拝殿の後方に廊下が延びて、本殿の覆屋があり、内部に本殿。

社殿は全体的に朽ちた雰囲気だが、
本殿の左右や、廊下、拝殿の屋根の下などに
電球が並んでおり、祀りは真摯に執行されている印象だ。

天平二年の創祀と伝え、
式内社・井上神社二座に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:16 AM

下新川神社 (守山市)

滋賀県の 下新川神社(守山市) を掲載しました。

滋賀県守山市にある。
野洲川の河口部から1Kmほどの幸津川町に鎮座。
守山市役所中洲支所の側に境内がある。

境内入口は、477号線に面して南西向き。
境内の向かいの歩道脇に「舟着場跡」という石碑が建っていた。
当社祭神・豐城入彦命が丸太のイカダに乗って
琵琶湖を渡ってきたという伝承があるらしいが
そのイカダが着いた場所だろうか。

社前の石橋の奥に鳥居が建っており、
きれいに整備された砂利の参道が北東へ延びている。
参拝は年末の休日、曇天の早朝で、やや暗かったが、
晴天の日なら綺麗な写真が撮れたかもしれない、
などを考えながら参道を歩く。

参道途中には「祓戸大神」と刻まれた石碑があり、
参道脇の林の中に、境内社が祀られている。
参道の突き当たりに倉があり、左手へ曲がると社殿。
ということで、社殿の向きは南東向き。

境内中央に、入母屋造の大きな拝殿があり、
拝殿の後方、少し離れて垣に囲まれた本殿がある。
垣の前に「神使おしどり」と刻まれた石柱があり
上に鴛鴦の彫刻が乗っていた。

垣の中の本殿は、覆屋根の中。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:33 PM

粟野神社 (長野市上野)

長野県にある、粟野神社(長野市上野) を掲載しました。

長野県長野市にある。
JR信越本線・北長野駅の北3Kmほどの上野に鎮座。
長野電鉄・信濃吉田駅を超えて、60号線(北国街道)を北上。
浅川を渡り、駒沢川を越えて、
そのまま北上すると60号線バイパスに合流するが、
その手前200mほどの交差点の角に境内がある。

境内入り口は西向き。
朱の両部鳥居の右脇には百度石があり、
左脇には幸神と猿田彦大神と刻まれた石が祀られている。

鳥居をくぐると、木々に覆われた境内で、
鎮守の森という言葉がぴったりな神社。
境内には滑り台や鉄棒などの遊具が置かれており
近所の子供たちの遊びの場となっているのだろう。

境内中央の参道を進むと、正面に社殿。
拝殿には、大きく「五穀豊穣」と書かれた額が掛けられている。
拝殿の後方に、白壁の社殿があるが、たぶん本殿を納めた覆屋だろう。

境内左手には、石祠がいくつか並んで祀られている。

創祀年代は不詳。
永禄年間の兵火にかかり、焼失したため
古記録等は残っていないらしい。

式内社・粟野神社の論社。
神社の東方の原を「粟野の原」というらしく、
鎮座地名の「上野」は「粟野」からの訛りとする説もある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:08 AM