中嶋神社 (豊岡市)

兵庫県の 中嶋神社(豊岡市) を掲載しました。

兵庫県豊岡市にある。
豊岡駅の南東4Kmほどの三宅に鎮座。
円山川にかかる円山大橋を渡り、
703号線を東へ進むと、突き当りに大きな境内があり、
朱の大鳥居が建っている。
鳥居の向き(境内の向き)は南向き。
境内は広く、綺麗に整備されており、
神社というより、史跡のような印象。
観光バス用の大きな駐車場もある。

大鳥居の右脇には「菓祖中嶋神社」刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、石の参道を進むと、
境内入口の石鳥居。
この鳥居の右脇には「お菓子の神様 田道間守の生誕地」と刻まれた石碑。

鳥居をくぐり、池の橋を渡ると、
正面に入母屋造の立派な拝殿があり、
拝殿の後方に、垣に囲まれた朱塗の本殿がある。
この本殿は室町中期の作で、国宝に指定されたらしい。

参拝は、五月の休日。
あいにくの曇天で、写真としては暗く不出来。
晴天の明るい日に参拝しておれば、
青空と朱の鳥居のコントラストが美しい神社だったはず。

社伝によると、推古天皇の御代、
祭神・田道間守命の七世孫にあたる三宅吉士・中嶋の君が
祖神を祀ったのが、当社の創祀。

田道間守命は、天日槍命の後裔で、
当地に居を構え、安美谷を開墾した当地の開拓神。

さらに、垂仁天皇の九十年二月、命を受けて、
神仙秘境の「常世国」に「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰った神。

ただ、戻った時には既に垂仁天皇は亡くなっており、
天皇の御陵に「非時香菓」を献じて殉死した。

景行天皇は、これを哀れみ、垂仁天皇御陵そばに池の中嶋に
田道間守命を葬られたという。
ゆえに、当社社号を「中嶋」というらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:51 PM

諸岡比古神社 (志賀町東小室)

能登の 諸岡比古神社(志賀町東小室) を掲載しました。

能登半島の志賀町にある。
日本海沿いを走る249号線から、
富来川上流へ向かって、23号線を2Kmほど東へ。
東小室の集落で、南へ入ると境内の丘がある。

丘の前に石の鳥居が建っており、
階段の横には「式内村社諸岡比古神社」と刻まれた社号標。

参拝日は、十月十日の休日で、
資料によると、秋祭(秋式)の日。

階段を上ると拝殿があるが、
拝殿の中では、氏子の方々が集まっており、
鳥居脇には、何台かの車も止まっていた。

ということで、邪魔にならないように
速やかに参拝。拍手も、音がしないように
手を軽く触れ合わせる程度。

創始年代は不詳。
古くより諸岡比古神社神社と称し、
明治の一時期「尾室神社」と称されたが、
明治三十五年、旧社名へ戻したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:37 PM

新鞍神社 (おおい町)

福井県の 新鞍神社(おおい町) を掲載。

福井県のおおい町にある。
若狭本郷駅の南西11Kmほどの川上に鎮座。
佐分利川に沿って1号線を進むと、道路南側に境内が見える。

境内入口は東向き。
入口の石鳥居の左手には、夫婦杉が聳えている。
その石鳥居をくぐると、もう一つの、こちらは木製の鳥居。
その鳥居をくぐると、境内奥(西側)の石組みの上に社殿があり、
石組み手前、左手に手水舎がある。

数段の階段を上ると正面に瓦葺の拝殿。
拝殿は全面が雪囲いのためと思われる板で覆われていた。
拝殿の後方に、本殿。
本殿は覆屋、というより覆屋根が設置され、
前面の庇が長く延びており、参拝はここで行うのだろう。
その庇の屋根は、板葺の上に瓦葺の屋根が二重に設置されていて面白い。

参拝は8月の休日。
炎天下と呼べる天気の下。
京都旅行中だったが、あまりの暑さで日程を繰り上げ
早々に長野へ戻る途中に立ち寄った。

創祀年代は不詳。

『若狭国神階帳』に「正五位 賊椋明神」と記されている古社で、
大飯郡内二十ケ所中の一社である。

往古、人身を御供する社であったが、
いつの頃か、陰暦正月十三日夜半、人皆寝静まった時刻に
酒を献じて祈願するように変化したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:40 PM

石田神社 (鯖江市)

福井県の神社、 石田神社(鯖江市) を掲載しました。

福井県鯖江市にある。
北鯖江駅の西3Kmほどの石田上町に鎮座。
日野川の西側、186号線の石田橋を渡って南へ入った場所に境内がある。

境内入口は南側。
参道には大きな常夜燈が建ち、
常夜燈の前に「郷社石田神社」と刻まれた社号標。

参道鳥居から、少し北へ行くと境内入口がある。
参道の鳥居の扁額には「石田神社」とあるが
境内入口の鳥居には「八幡宮」とある。
かっては「八幡宮」とも称していたのだろう。

参拝は五月、雨の早朝。
日の出直後だと思うが、雨なので日の出がわからない、
そんな頃合いだが、僕が到着した時には
すでに近所の方が、傘をさしながら参拝されていた。

鳥居をくぐり、石の参道を進むと、
正面の褐色の社殿。
大きな銅板葺拝殿の後方に、大きな本殿覆屋がある。
『福井県神社誌』によると、本殿は瓦葺・流造らしい。

ちなみに拝殿は、昭和三十八年の台風被害により再建されたもの。
それ以前は鬱蒼とした森であったらしいが、今は広々とした境内になっている。

創祀年代は不詳。

社伝によると、
神日本磐余彦命(神武天皇)の東征の折り、
石田彦という人物が、それに従った。
神日本磐余彦命が、越の国を巡幸され、当地に滞在した時、
懐中より玉串を取り出して、
「朕今汝に石田郷を与えむと思う。
汝朕の命に従い之を無窮に伝えよ」
と、石田彦に勅したという。

よって、石田彦は社殿を築き、
その玉串を奉安し、日々これを尊崇したといい、
後に、石田神社と号したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:32 PM

矢田神社 (久美浜町)

京都府の 矢田神社(久美浜町) を掲載しました。

京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・久美浜駅の東、直線で3Kmほどの久美浜町海士にある。
甲山駅からは南東に1.5Kmほどの場所。
川上谷川の東岸、669号線から東へ200mほど入った場所に境内がある。

参道には石鳥居が建ち、鳥居の足もとに
「村社 式内 矢田神社」と刻まれた社号標。
参道を100mほど進むと、
ゲートボール場の奥に、西向きの社殿が鎮座。
社殿は瓦葺の拝殿と、その後方に
拝殿に付属して本殿覆屋。

参拝は8月、炎天下の朝。
眩しい太陽に向かって参道を進んだことを覚えている。

社伝によると、
垂仁天皇の御代、河上摩須によって勧請された神社で、
式内社・矢田神社の論社となっている古社。

「熊野郡誌」には
「海士の地は往古神服連海部直を居住地にして、
館跡を六宮廻(ろくのまわり)といふ。
海部直は丹後國造但馬國造の祖にして、
扶桑略記にも丹波國熊野郡川上庄海部里爲二國府一とあり、
されば海部直の祖たる建田背命及其御子武諸隅命、和田津見命を
斎き祀れるも深き由緒の存ずる所」とある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:46 AM

己爾乃神社  (洲本町御前社)

滋賀県の 己爾乃神社 (洲本町御前社) を掲載しました。

滋賀県守山市にある。
守山駅の北西5Kmほどの洲本町に鎮座。
477号線の列系図橋から西へ入って1Kmほどの場所にあり、
北側には「びわこ地球市民の森」がある場所。

境内入口は南西向きで、
右側に「式内己爾乃神社」と刻まれた社号標と由緒石碑が建っている。

鳥居をくぐり参道を進むと、正面に瓦葺入母屋造の拝殿があり、
拝殿の右手前に手水舎。拝殿の後方、石組の上、垣に囲まれた流造の本殿がある。

本殿の垣の左右には境内社。
左手には、通常の神社では本殿クラスの立派な境内社。
右手には稲荷社と、その横に小振りな境内社の二祠がある。

『式内社調査報告』によると、
境内社は、稲荷社・大城神社、天満宮とあり、
旧本殿に神宮を祀っていると記されているので、
たぶん、左の境内社が神宮。
右手の稲荷社の隣にあるのが大城神社と天満宮だろう。

社伝によると、文武天皇の大宝三年(703)
中臣為恵によって創祀されたという古社。

度重なる洪水の時、御前大明神が現われ
「この地は霊地なり。我を祭らば五穀豊饒にして国民安穏なるべし」
との託宣により創祀されたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:16 PM