伊智布西神社 (舞鶴市)

京都府の 伊智布西神社(舞鶴市) を掲載しました。

京都府舞鶴市にある。
JR舞鶴線・西舞鶴駅の西10Kmほどの桑飼下に鎮座。
由良川に沿って走る55号線に面して境内があり、
福地山や綾瀬に近い場所。
綾部宮津道路の舞鶴大江I.C.から、由良川を越えて1Kmほどの場所。

境内入口は北向きにあり、
入口階段の前に、「式内伊智布西神社」と刻まれた社号標が建っている。
その社号標の右手には、自然石の「桑飼下縄文遺跡碑」が建っている。
当地には、縄文遺跡があるようで、
遺物の中には祭祀用の土器も含まれていたという。

数段の階段を登ると、鳥居が建っており、
鳥居をくぐり、参道を進み、さらに階段を登ると社殿のある境内。
境内入口は北向きだが、社殿は東向き。
階段を上って右手に社殿が並んでいる形式。

中央の大きな社殿が、神明造の本殿覆屋。
内部の本殿は流造で、明和三年(1766)に再建されたもの。
本殿の正面、階段を上って左手に拝殿らしきものがあるが
拝殿としては機能していないのではないだろうか。

創祀年代は不詳。
社伝によれば延喜五年(905)の造営という。
式内社・伊知布西神社に比定されている古社。

桑飼下の集落は、もとは、当社の北側、
由良川の堤防上にあったが、明治末期の大洪水で山麓の高地へ移転。
河川改修の際に、縄文・弥生時代から奈良・平安時代にかけての
遺物住居跡が発見されたというほどの、古い土地。

よって、当社の創祀もかなり古い時期なのだろうと思う。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:29 PM

磯部稲村神社 (桜川)

茨城県の 磯部稲村神社(桜川) を掲載しました。

茨城県桜川市にある。
JR水戸線・羽黒駅の北1Kmほどの磯部に鎮座。
50号線から北へ入った場所にあるのだが、
言葉では道が説明できないのだが、
当社への参道脇、昔は馬場であったと思われる場所が
「桜川のサクラ」で有名な桜川公園となっている。
その桜川公園から北東へ道を進むと、突き当りに境内がある。

数段の階段を上ると、社殿のある境内だが、
境内入口に「城館跡 磯部館跡」という案内があった。
城には詳しくないのだが、位置的にはそんな感じの場所。

鳥居をくぐり境内に入り、案内板を眺めていると
謡曲「桜川」のモデルとなった場所らしい。
謡曲にも詳しくないのだが、
その謡曲「桜川」に登場する磯部寺のモデルとなった神宮寺の跡が境内にある。
明治の神仏分離によって廃寺となったようで、
それほど有名だった(と思う)寺を廃するほどの、
当時の狂気を、心に思い描きつつの参拝。

鳥居正面に拝殿があり、
その後方、垣の中に流造の本殿が鎮座。
垣の外、右手に摂社・鹿島社があり、
垣の外、左手には「要石」が祀られている。

「要石」の案内では、
鹿島神宮の要石が凹で、当社の要石が凸と一対であり
鹿島神宮が大鯰の頭を、当社が尾を押さえているという。
昔、深さを調べようと三日三晩掘り下げたが底が出なかったという。

個人的には、鹿島神宮と対をなすのは香取神宮であり、
香取神宮の要石も凸なんだけどなぁ、などと考えていた。

『茨城県神社誌』によると
日本武尊東征のおり、常陸に入り、桜川に臨み、
皇大神宮を遥拝して斎祀し、磯部大明神と称したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:09 PM

白鬚神社 (墨俣)

岐阜県の白鬚神社(墨俣) を掲載しました。

岐阜県の大垣市にある。
犀川と長良川が合流する場所、一夜城で有名な墨俣に鎮座。
一夜城とは、信長の美濃攻めのため、秀吉の進言で三日で建てた城。

現在は、大垣城の天守を模した墨俣一夜城歴史資料館(平成3年)が建っている
墨俣城址公園内に境内がある。

参拝は、年末の休日、朝。
朝日を浴びて美しい城なのだが、一夜城とは似ても似つかぬ城の姿に
違和感を感じながらの参拝。
ただし、秀吉による墨俣一夜城の伝説は江戸時代の創作とする説もあるようだ。

その城のある中州の北側に、南向きの境内がある。
境内入口に鳥居が建ち、右手に「村社 白鬚神社」と刻まれた社号標。
境内案内板には「白髭」の文字が使用されているが、
「鬚」でも「髭」でも「髯」でも良いのだろう。

参道の正面には瓦葺の拝殿があり、後方に本殿の覆屋。
拝殿右手には、秀吉を祀った別宮・豊国神社があり、
地図によっては、白鬚神社ではなく、豊国神社と記されていることもある。

創祀年代は不詳。

式内社・荒方神社の論社となっている古社。

「荒方」の名の由来は、
長良川岸・墨俣より北は、古代、低湿の荒れ地であったから。
墨俣北方の堤外地や、祖父江あたりを荒方と呼んでいたらしい。

また、祭神の異説として、阿多賀田須命(吾田片隅命)とする説がある。
阿多賀田須命は、素盞嗚尊八世孫で和邇君等の祖。
「阿多賀田須」が、「荒方・墨」と転じて、
「荒方」となったという考えもあるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:30 AM

吉姫神社 (湖南市)

滋賀県の 吉姫神社(湖南市) を掲載しました。

滋賀県湖南市にある。
石部駅の南東1Kmの石部東に鎮座。
JR線路の南側を走る118号線を進むと、境内入口がある。
線路の北側に国道1号線があり、そちらがメインなので、
こちらは裏道になるのだろうが、交通量はソコソコあるが狭い道。

その118号線に面して参道入口の鳥居が建っている。
入口右手には「吉姫神社」と刻まれた社号標。
砂利の参道を歩くと、参道左手の高い場所に祠があるのだが境内社だろうか。
さらに参道を進み、緩やかな階段を登ると境内。
右手に社務所があり、左手に手水舎。
境内入口の鳥居をくぐり、参道を進み、階段を上ると
境内中央に拝殿がある。

参拝は年末の休日。
正月準備も整って、綺麗で広い境内だが、
すでに夕方近くになっており、やや暗めの境内。

拝殿の後方、階段上に透塀に囲まれて社殿が鎮座。
階段上の中門をくぐると、正面に拝殿形式の幣殿があり、
後方に流造の美しい本殿がある。

創祀年代は不詳。

元は現在の御旅所の位置、
字上田に鎮座しており、上田大明神とも称された古社。
天文三年(1534)、現在地に遷座したという。

鹿鹽上社吉比女大明神とも称し、
式内社・石部鹿鹽上神社の論社となっている。
『神祇志料』には、石部鹿鹽上神社について
「今石部駅に在り、上下両社とす。
上を吉姫明神・下を吉彦明神といふ。即駅中の生土神也」
とあり、当社の北西1Kmにある吉御子神社と一対の神社であるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:00 AM