天野八幡宮 (岡山市)

岡山県の天野八幡宮(岡山市)を掲載しました。合計2079社。

岡山県岡山市にある。
岡山駅の南3Kmほどの青江に鎮座。
2号線沿いにある赤十字病院の裏に境内がある。

入口の鳥居をくぐると神門があり
神門をくぐると、ちょっと広い、
街中にある典型的な、綺麗な境内。
境内中央の参道の奥に、社殿がある。
社殿は、瓦葺の拝殿の後方に垣に囲まれた流造の本殿。

参拝は、正月二日、
曇天の早朝で、写真が暗めのため、
なにやら、どんよりとした雰囲気になってしまったが
境内がどんよりとしていたわけではない。

早朝の神社境内は、清々しく、
街中であっても、空気が澄んで気持ち良いのだが、
天気が悪い日は、写真がどんよりとして
気持ちの良さが伝わらないのが、残念。

創祀年代は不詳。

社伝によると、
鹿田庄十二カ村の総鎮守で、
はじめは、天野神社として、三門に鎮座していたが、
天承元年(1131)、奥田に遷座。

さらに、大正十年(1921)現在地・青江に遷座し
八幡宮を合祀して、天野八幡宮となった。

この元の天野神社が、式内社・天神社の論社の一つ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:40 PM

神明八幡神社 (沼津市)

静岡県の神明八幡神社(沼津市) を掲載しました。合計2078社。

静岡県沼津市にある。
沼津駅から海沿いの道を414号線・17号線とひた走り、
25Kmほどの西浦江梨に鎮座。

17号線から少し南に入った場所にあり、
駿河湾を見下ろす地。
境内から、対岸に聳える富士山が良く見える。
そんな場所。

神明造の鳥居をくぐり、参道階段を上ると正面に社殿。
拝殿の後方にある本殿は、覆屋の中にあり確認できず。

創祀年代は不詳。

社名からわかるとおり、神明神社と八幡神社を合祀した神社。
境内入口には、「神明」と「八幡」の社号が併記された
社号標が建っている。

当社は、式内社・文梨神社の論社の一つ。
鎮座地の江梨を「えなし」と書き、
「え」と「文」の文字の類似から文梨と記されたとする説があり、
江梨の産土社である当社が論社となっている。

参拝は、年の暮れの30日。
よく晴れた青空の下の富士山が、
無茶苦茶に美しかった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:32 PM

國玉神社 (伊豆市)

静岡県の國玉神社(伊豆市) を掲載しました。合計2077社。

静岡県伊豆市にある。
伊豆半島の西側、土肥温泉の北にある小土肥に鎮座。
小土肥大川の河口付近。
17号線(沼津土肥線)から、小土肥大川に沿って
少し東へ入った場所。
17号線からも、社域の小さな杜を見ることができる。

川沿いに走る道の傍らに、田に囲まれた境内がある。
道路から、緩やかな坂道を下ると境内。

境内の中央に、コンクリートか漆喰の社殿がある。

創祀年代は不詳。由緒も不詳。

文亀九年の棟札が残っているようで、
『伊豆国神階帳』に「従四位上 国玉姫の明神」とある古社。
式内社・國玉命神社の論社でもある。

昔は、境内に「子宝の松」という樹齢数百年の老松があったが、
昭和の半ば枯死してしまったという。
老松は伐採されてしまったが、
その切り口の直径は180cmもあったらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:49 PM

葦田神社 (豊岡市)

兵庫県の 葦田神社(豊岡市) を掲載しました。合計2076社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・国府駅の南東2Kmほどの中郷に鎮座。
直線距離は2Kmだが、円山川を越えるので、
道路を行くと5Kmほどだろうか。

国府駅から312号線を南下し、
上郷橋を渡って482号線(但馬街道)を東へ進む。
249号線と分岐するあたりで、南側の農道へ入り
奥へ進むと、境内がある。

南西向きの境内は、フェンスで囲まれ
入口には鉄の門が付けられている。
このあたりの神社では、
鹿除けのフェンス等が設置されていることが多いのだ。
ということで、門を開き、階段を上ると鳥居。

境内中央に瓦葺きの社殿があり
拝殿の後方に本殿。
拝殿の前には狛犬と狛狐が置かれているのだが
当社は稲荷神社とも呼ばれていたのだろうか。

本殿には覆屋根が設置されている。
『兵庫県神社誌』や『式内社調査報告』には
本殿は流造と記されているが、
屋根を見ると、春日造っぽいのだが。

参拝は、GW、休日の午後。
太陽は遠い山の陰に隠れた頃だが
夜までは、まだまだ時間がある。そんな感じ。

伝承としては、当社祭神は天日槍の随神であるという。

天日槍が当地を開き、眺望の良い場所に宮を建てるため、
当社祭神に命じて、国内の見分をさせた。
当地に到った祭神は、その眺望の良さに
自分の屋敷を立てようと考え、
天日槍には、別の場所を報告した。

その後、当地に来た天日槍は、
祭神の嘘に怒り、祭神を切りつけた。
足を傷めた祭神は、「アイタ」と叫び、山に逃げ込んだ。

後日、天日槍は祭神を許し、当地を賜り、
祭神は感謝して屋敷を建て、
足を傷めた人々を救済したという。

天日槍の随神である祭神の名は不明だが
「アイタ」と叫んだ祭神は
「あいたっつぁん」と呼ばれるようになった。

また、祭神が切りつけられた際に
勢い余って傍らの岩も切り付けたといい
その岩(切岩)も境内にあるようだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:55 PM

佐々伎神社 (但東町)

兵庫県の 佐々伎神社(但東町) を掲載しました。合計2075社。

兵庫県豊岡市(旧但東町)にある。
出石川の側にある但東総合支所の南東5Kmほどの佐々木に鎮座。
482号線出合交差点から426号線を南東へ1Km、
そこから南に分岐して、佐々木川に沿って走る道を走ると
道路の左手(東側)に境内がある。

が、車道からは境内は見えず、少し奥まった場所にある。
「佐々木集会所」の建物の前が境内入口。
階段を上ると、左手に鳥居があり、
鳥居をくぐり、さらに階段を上った丘の上が境内。

正面に社殿があり、
拝殿の後方に、流造の本殿がある。
本殿はブルーシートで保護されており、
拝殿を覗くと、奥の本殿は青い光に包まれていた。
一瞬、アクアな雰囲気、という感じではあるが
横から見ると、醒める。

参拝は、GW、曇天の休日の朝。
境内は、まだ暗く、写真も暗めだ。

古い資料には、雀岐大明神、雀岐社と記されており、
二宮大明神とも称される神社で、
式内社・佐々伎神社に比定されている古社。

ところで、社殿の前に、観光地でよく見かける
顔を出して写真を撮る看板が置いてあった。
神主や巫女の装束で、サイズは子供用。

やや暗い参道の階段を、一段一段上って、
徐々に社殿が見え始めると、突然、社殿の前に、
平安貴族装束の子供が現われたようにみえてかなり驚いた。
というかビビッて、一瞬、凍りついた。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:09 PM

氣多神社 (日高町)

兵庫県の 氣多神社(日高町) を掲載しました。合計2074社。

兵庫県豊岡市(旧日高町)にある。
山陰本線・国府駅の南2Kmほど
江原駅の北東2Kmほどの日高町上郷に鎮座。

円山川の土手を走る482号線に面して境内入口があるが、
482号線からは階段を下るので、
車で境内に入るには、境内東側の狭い道から入る。

482号線を走っている時は、
ちょっとした森があるとしか思えなかったので、
周囲をグルッと回って、ようやく入口を見つけた。

鳥居をくぐり、境内に入る。
と言っても、鳥居は境内の中にあるので
くぐらなくても境内だが。

境内は、思っていたよりも広い。
注連縄の無い注連柱の立っている境内の奥、南側に拝殿があり、
その後方の垣の中に本殿がある。

参拝は、休日の朝。
社叢の森の中にある神社で、
雨が降っており、境内は緑が瑞々しく清涼なのだが
やや暗かった。
拝殿には、まだ参拝客用の明かりが灯っている。
晴れて明るい日なら、この明かりは消えているのだろうか。

創祀年代は不詳。

総社気多大明神とも称される神社で、
但馬国総社として崇敬された古社。

『播磨国風土記』宍禾郡の記載にある、
御方(御形)の郷の地名の由来に以下の記述がある。

天日槍命と葦原志許乎命が、黒土の志爾嵩に至り
おのおの黒葛を三条(みかた)を投げて支配地を決定した。
天日槍命の投げた三条は、すべて伊都志(出石)に落ちた。
葦原志許乎命の投げた黒葛は、
一条が但馬の気多の郡に、一条は夜夫の郡に、
そして、最後の一条が御方に落ちたため、
三条(みかた:御方・御形)という地名となった。

上記のように、気多は葦原志許乎命(大己貴命)の
支配するところとなり、当社は、その大己貴命を祭神としている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:23 AM