塩湯彦神社 奥宮 (横手市)

秋田県にある 塩湯彦神社 奥宮(横手市) を掲載しました。合計1815社。

山形県横手市にある。
横手駅の北東8Kmほどの位置にある御嶽山(744m)山頂に鎮座。
横手駅から3Kmほど北上し、吉沢川に沿って東へ続く道に入る。
大松川まで続く、この道の何処かに、御嶽山登山口がある。

地元の方の話では、北へ入る未舗装の道を進むと、
参道石段下の水場まで、車で行けるらしい。
ただし、かなりのダート道らしく、注意して運転してとのこと。
お礼を言って、砂利の道に進入する。

話の通り、砂利というか石がゴロゴロと転がる道。
雨水でできた、深い溝にタイヤをとられそうになりながら、ゆっくりと走る。
そんな道を2Km以上走った場所に広場があり、水飲み場がある。
そこに車を止めて、石段の参道を登る。
石段は、ほぼ真っ直ぐに登っており、482段あるらしい。
熊が出るかもしれないので、周囲に注意しながら登ると山頂。
中央に、大きな社殿が立っている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:28 PM

笠原神社 (中野市)

長野県にある、笠原神社(中野市) を掲載しました。合計1814社。

長野県中野市にある。
長野電鉄・信州中野駅の北4Kmほどの笠原に鎮座。
夜間瀬川のそば、道路に面して南向きの境内がある。

境内入口に赤い鳥居が建ち、傍らに社号標。
鳥居の左手には、新しい立派な由緒書きの石碑が立っている。

境内に入ると、暗い空間が広がり、奥に社殿。
拝殿の後方に本殿がある。
境内というより、林の中に入り込んだ感じ。
それほど鬱蒼とした杜ではないのだが、不思議だ。
天気が悪かったせいだろうか。

創祀年代は不詳。
元は、現社地の北東300mほどの字天神前という場所にあったが、
数度の洪水により社殿が流失したという。

その後、若宮八幡宮に祭祀を委ねていたが、
若宮八幡宮が笠原神社の額を掲げようとしたことから、
村民と争いになり、寺社奉行の決裁により、
現社地に社殿を再建したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:42 PM

久能山東照宮

静岡にある、久能山東照宮 を掲載しました。合計1813社。

静岡県静岡市にある。
草薙駅の南3Kmにある久能山(270m)山頂に鎮座。
当社へのアクセスは2通り。
まず、日本平からロープウェイに乗る方法。
もう一つは、駿河湾沿岸を走る150号線近くの
一ノ鳥居から、表参道石段を登る方法。

久能山は、推古天皇の時代、久能忠仁によって開かれ、
補陀落山久能寺が建立された山。
平安末期から鎌倉にかけて、三百余の禅坊が栄えたという。

戦国時代になって、武田信玄により
久能寺が移され、久能城が築城されたが、
信玄の死後、徳川領となった。

元和二年、徳川家康が駿府城で薨ずると、
その遺言により、遺体を久能山山上に埋葬し、城を廃止した。
二代将軍秀忠の命により、社殿が造営され、
朝廷より「東照大権現」の神号を賜り、東照社と称した。
後、正保二年(1645)宮号を許され、東照宮と称するようになった。

ところが、久能山に埋葬された翌年。
またも遺言により、日光へ移されたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:29 PM

重蔵神社 (輪島市)

ちょっと早いけど、能登の 重蔵神社(輪島市) を掲載しました。合計1812社。

境内奥に社殿があるが、社殿の前には、
赤い鳥居の「要石」が置かれている。
「要石」のある神社として有名な神社は、鹿島神宮、香取神宮など。
伊賀の大村神社境内にも置かれているが、なにか関連があるのだろうか。

舳倉島(へくらじま)へ向う船の待ち時間に、輪島市内を散策しながらの参拝。
これから乗る船の安全を祈った神社。
当社の社号「重蔵」は、「じゅうぞう」と読むが、
本来は、「へくら」と読むという説がある。
輪島の沖に浮かぶ、舳倉島の神を祀ったということらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:05 AM

静間神社 (大田市)

島根県の静間神社(大田市)を掲載しました。合計1811社。

島根県大田市にある。
JR静間駅の北東1Kmほどの静間に鎮座。
9号線から狭い道を入った場所。
社前の道が狭くて、境内全体を撮影できなかった。

境内のある垂水山の北、魚津漁港の隅に、
「静之窟」(しづのいわや)がある。
漁港の堤防が切れた西の端。

2つの入口があるのだが、
当日は、入口にロープが張られて入れないようになっていた。
内部の崩落が激しく、危険なのだそうだ。
北側の入口からみると、奥に鳥居と、万葉歌碑が立っているのが見える。

「静之窟」は、
万葉集巻三の生石村主真人による歌
「大汝少彦名乃将座志都乃石室者幾代将経」
(おほなむち すくなひこのいましけむ しつのいわやは いくよへにけむ)
に詠まれた「志都乃石屋」と考えられている。
ただし、島根県邑南町の志都岩屋神社や、兵庫県高砂市の生石神社も
その伝承地となっている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:02 AM

伊奈冨神社 (鈴鹿市)

さらに、総社を続けます。でも飽きてきた。

三重県にある 伊奈冨神社(鈴鹿市) を掲載しました。合計1810社。

三重県鈴鹿市にある。
伊勢鉄道の鈴鹿サーキット稲生(いのう)駅の南西500mほどの稲生に鎮座。
参道入口は東側。稲生民俗資料館の前に
ステンレスらしき真新しい鳥居が立つ。

参道は新川に沿って100mほど西へ延びており、
参道の途中、南側には七島池のある庭園。
七島池は弘法大師が一夜で造ったと伝えられ、
日本最古の「七島式庭園」らしい。

庭園を左手に見ながら進むと、右手に境内入口の鳥居。
丸い石橋の奥に南向きの大きな社殿がある。
拝殿の後方に、本殿があるのだが
木々の葉が茂っていて、屋根しか撮影できなかった。

当社の社号「伊奈冨」は、資料によると伊奈富とも書く。
読みは、「いのう」だが、「いなふ」とも。

崇神天皇の御代、天皇が霊夢の告を受け、
その勅旨によって、社地が選定され、創祀された古社。
あるいは、雄略天皇治天五年に、はじめて稲生神社大国道命の
神号を賜ったとも。

また、当社は中世以後、伊勢国の惣社として機能していたらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:26 PM