入見神社 (南知多町)

愛知の 入見神社(南知多町) を掲載。合計1771社。

1771。なぜか嬉しい。
愛知方面の神社を掲載すると、意味不明な言いがかりをされる場合があり、
まともに相手をするのも面倒なので、控えていたけど、そろそろ良いかな。


知多半島の愛知県南知多町にある。
知多新線内海駅の南500mの内海中之郷に鎮座。

創祀年代は不詳。
社号の「入見」は「いるみ」とも「いりみ」とも読むようだ。
元は、入海であったらしく、往時は、社前までが海であったという。

式内社・入見神社に比定されている古社。
祭神は、五男三女神。故に八王子社とも呼ばれていた。
八王子は船の守護神とも考えられ、
境内も舟形をしているという。そういえば、そうかも。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:01 PM

六所神社 (市川市)

千葉にある、六所神社(市川市) を掲載しました。合計1770社。

創祀年代等、由緒に関する資料は未入手。
『神道事典』では、当社が下総国総社。

当社の北1Kmに下総国分寺がある。
当社のもとの鎮座地は国府台であったらしく、
国府台公園のスポーツセンターそばに、総社跡が残っている。

当社参拝時には、その総社跡へ行くつもりだったが、
早朝にも拘らず付近の交通量が多く、
一刻も早く都市部を離れたいという気持ちになり、
総社跡へは、行き忘れてしまった。残念。

『玄松子の記憶』に、東京や大阪、名古屋などの
大都市の神社掲載が少ないのは、そういう理由。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:41 PM

草薙神社 (静岡市)

静岡にある、草薙神社(静岡市) を掲載しました。合計1769社。

祭神・日本武尊が蝦夷平定のため、東国へ赴く途中、
当地で逆賊が起こり、原野に火を放って尊を焼き殺そうとした。
そこで尊は出発の折、伊勢神宮に参拝し、倭姫命より戴いた佩用の剣を抜いて、
「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」
と鎌で打ち払うように剣を振り、草を薙ぎ払って難を切り抜けた。

後、佩用されていた天叢雲の剣を 草薙の剣 と名称を変更。
尊を焼き殺そうとした場所を草薙と言はれるようになったという。

景行天皇が、日本尊命の勲功の地を尋ねられ、
景行天皇五三年九月二十日に当地に御着になり、一社を建立したのが、当社の創祀。
日本武尊を奉祀し、御霊代として、草薙の剣 を奉納された。

その後、草薙の剣 は第四十六代天武天皇の朱雀元年に勅命により
熱田神宮に奉祀されたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:14 PM

小御門神社

千葉にある、小御門神社 を掲載しました。合計1768社。

鳥居をくぐり境内に入ると、清らかな森というイメージ。
天気の良い日は、射し込む陽射しが美しい。
参道を歩き、左手に曲がると、
垣に囲まれて、社殿が立っている。
入母屋造の拝殿の後方、中門の中に本殿。

社殿を囲う垣の後方、丁度、本殿の真後ろに
大きな塚がある。
当社祭神の墓所である「公家塚」だ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:37 AM

飯津佐和乃神社 (牧之原市)

静岡にある、飯津佐和乃神社(相良町) を掲載しました。合計1767社。

静岡県相良町にある。
相良町役場の南西1Kmの波津に鎮座。

中世以降は、牛頭天王社と称し、
さらに、熊野本宮とも、法性大明神とも称したが、
明治になって、現社名に戻し、
さらに、明治六年には、須佐男神社としたが、
昭和二十四年、再び現社名に復したという。

元は、当社の北にある小堤山の山頂に祀られていたらしいが、
元亀二年(1571)に現社地に移したという。
小堤山は、現在は綺麗に整備された公園になっており、
古社地を偲ばせるものは見当たらなかった。
遷座から、すでに400年以上経過しているので仕方がない。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:38 AM