花長下神社 (揖斐川町)
岐阜にある、花長下神社(揖斐川町) を掲載しました。合計1709社。
名礼の集落は、東に下名礼、西に上名礼があるが、
その中間辺り、中名礼に、南へ入る農道がある。
その農道を1Kmほど下ると、
道の右手(西側)に境内の杜がある。
ちょっと場所が分かりにくいのだ。
僕は地元の方に道を聞いて、やっと到着した。
で、境内の入口の側に、『熊出没!注意』の看板があった。
参拝は冬の二月なので、気にせず参拝。
秋だと、ちょっとビビッタかも。
岐阜にある、花長下神社(揖斐川町) を掲載しました。合計1709社。
名礼の集落は、東に下名礼、西に上名礼があるが、
その中間辺り、中名礼に、南へ入る農道がある。
その農道を1Kmほど下ると、
道の右手(西側)に境内の杜がある。
ちょっと場所が分かりにくいのだ。
僕は地元の方に道を聞いて、やっと到着した。
で、境内の入口の側に、『熊出没!注意』の看板があった。
参拝は冬の二月なので、気にせず参拝。
秋だと、ちょっとビビッタかも。
岐阜にある、花長上神社(揖斐川町) を掲載しました。合計1708社。
鳥居をくぐり、300mほどの長い参道を歩くと、雪の残った境内。
参拝は二月の午後。
周囲の町や道には雪は、ほとんど無かったんだけど、
境内にだけ残っている雪。
コンクリートやアスファルトの無い神社境内には、
昔の時間が流れているようだ。
境内中央に拝殿があり、
その後方に本殿や境内社がズラッと並んでいる。
福井の 劔神社(越前町) を掲載しました。合計1707社。
南側の表参道から入ると、赤い両部鳥居。
鳥居をくぐり、参道を進むと、広い砂利の境内。
境内奥、数段の階段を上って社殿がある。
拝殿の後方に、垣に囲まれて入母屋造りの本殿。
本殿は、県指定文化財で、寛永四年(1627)に再建されたもの。
千鳥破風や唐破風の屋根は「織田造り」とも呼ばれるらしい。
本殿の垣の外、右手に摂社・織田神社が南向きに鎮座。
こちらの社殿も県指定文化財。
建立は室町時代であるらしい。
石川の 忌浪神社(加賀市) を掲載しました。合計1706社。
社伝によると、崇神天皇の御代、
大毘古命が、高志の国に至った時、
作物がとれず、不作が続いたため、
当地に、倉稻魂命を祀って豊作を祈願したのが当社の創祀。
嘉祥二年、貞観元年と神階を与えられた古社だが、
寿永二年、平家の軍の兵火にかかり、社殿宝物を消失。
寿永四年に再建されたという。
通称は、穂の宮。
由来は、稲穂の実りを祈願したことによるが、
一説には、当社の近くに船で来たので、帆の宮だとも。
また、当地を開拓した初穂を、当社へ供えたからだとも。
姉妹サイトである 『朱丘子の追憶』 に廃絶した神社の写真を載せてみることにした。
で、第三弾は、台湾神社 。
明治三十四年十月二十七日鎮座。
鎮座地は、現在のグランドホテル(圓山大飯店)の辺りらしい。
祭神・北白川宮熊久親王は、日清戦争で台湾を平定した貴族軍人。
明治二十八年に、台湾で病死した。
当社は、日清戦争後の台湾統治の流れの中で創立した神社ということか。
* 『朱丘子の追憶』 廃止したので、現在は 『玄松子の記憶」 に遷座しています。
福井の 藤島神社(福井市) を掲載しました。合計1705社。
福井県福井市にある。
福井駅の西1Km足羽山公園に鎮座。
公園の東側道路に、参道入口の大鳥居が立ち、
階段を上ると広い駐車場を持つ境内。
横に広い階段の上に鳥居が立ち、
鳥居の奥に社殿がある。
戦前の絵葉書を見ると、
足羽山公園の上から境内・社殿が望めるらしいので、
足羽山公園の上から車で下りて見たが、
残念ながら木々が茂って、よく見えなかった。
歩いて下りると、少しは見えるポイントがあったかもしれない。
参拝は三月の休日。
社殿の前には、白い梅の花が咲いていた。