静岡県伊豆市にある。
伊豆半島の西側、土肥温泉の北にある小土肥に鎮座。
小土肥大川の河口付近。
17号線(沼津土肥線)が湾曲している場所に、
道路に面して西向きの境内がある。
当社の北100mほどの小土肥大川のそばには、
式内社・國玉命神社に比定される國玉神社がある。
境内は石の垣に囲まれており、
「八幡宮」と刻まれた扁額の鳥居をくぐると、正面に社殿。
社殿の周りにも背の低い石の垣。
新しい狛犬の後方に瓦葺の拝殿があり、その後方に本殿覆屋。
境内には数本の大きな木があるが、印象としては簡素。
ただ、周囲は田園なので國玉神社からも境内の木々は良く見える。
創祀年代は不詳。
式内社・青玉比賣命神社の論社となっている古社で、
伊豆国神階帳に「従四位上 青玉姫の明神」とある神社。
滋賀県米原市にある。
近江長岡駅の北西200mほどの長岡に鎮座。
天野川に面して、南東向きの狭い境内がある。
参拝は、小雨の年末で、
入口の鳥居には角松が飾られていた。
参道を進むと、牛像や神馬像があり、
神馬像の後ろに大きな木が立っている。
境内の公孫樹は天然記念物なのだそうだが、この木だろうか。
さらに参道を進むと、鳥居があり、鳥居の奥に瓦葺の拝殿。
拝殿の後方、垣に囲まれて流造の本殿がある。
社伝によると、天平宝宇六年四月の創祀。
中古、現在地に遷座して、岡神社、牛頭天王社とも称し
式内社・岡神社であるという。
2年前、暖房を入れ始めた頃にも似たような現象があり、富士通ゼネラルに修理依頼をしたのだが、同じ感じ。
で、富士通ゼネラルのサイトから修理依頼をしたところ、その日(土曜日)の内に連絡があり、連休明けに修理すること、火曜日(今日)の朝10時までに訪問時間を連絡するということだった。
今朝、早めに起きて連絡を待っていたが、11時になっても連絡が来ず、再度、富士通ゼネラルのサイトから状況を説明、先ほど11時30分頃に担当者から連絡が来て、
「忙しくて忘れていた」
らしい。こちらから連絡しなければ、ずっと忘れられてしまったのだろうか。
忘れていたのは、富士通ゼネラルではなく、長野県の下請け工事業者なのだろう。
先週、宅配便を受け取った。午前中指定していたのに、届いたのは午後2時前。
郵便局の再配達も、指定時間内に届いたことが無い。
長野県民の県民性なのか、僕に運が無いのか。
エアコンが同じような故障を繰り返すのは、やはり、僕の運の無さなのかもしれないが、今、かなりムカついている。
こんなにムカついているのは、昨夜のコンタドールのがっかりアタックのせいかもしれない。暑いし。
]]>東京から180Km南にある三宅島にある。
三宅島は火山の島で、2000年の噴火から5年間全島避難が続いていた。
2005年に避難解除され、島民は島に戻り、
そろそろ神社参拝も可能だろうと、2008年5月に訪問した。
当社は三宅島の南西に鎮座。
島を周回する212号線に参道の入り口があり、鳥居が建っている。
鳥居をくぐり、200mほど進むと境内。
このあたりは噴火の影響で、時折ガスが発生するらしく
参道車道脇には警告が出されていた。
一応、港の売店で簡易のガスマスクを購入していたが
参拝当日には、ガスは出ていない様子。
ちょっとどきどきしながら参拝開始。
2007年に境内社殿は修復されており
参道も綺麗に整備されていたが、背後の丘の木々は禿山の雰囲気だ。
境内中央に新しい拝殿があり、右手に神輿殿。
拝殿の後方に階段があり、階段の両脇に境内社が2社ずつ祀られている。
階段を上ると本殿があるが、木々も疎らで、まだまだ寂しい。
いづれ木々が繁茂して、鬱蒼とした森になるのかもしれない。
創祀年代は不詳。
三島大明神(事代主命)が、天照大神の詔をもって
伊豆諸島をお造りになられた時、三宅島は、火力によって造り固めたが
威力が凄まじく、数十年毎に噴火や地震が発生。
島民が、神威を畏れて祀ったものと思われる。
嘉祥三年(850)従五位下、仁寿二年(852)従五位上の神階を受け、
古来より、伊豆七島総鎮守三島大明神として崇敬された神社で、
式内社・阿米都(和)氣命神社に比定されている古社。
山口県下関市にある。
山陰本線吉見駅の北東1Kmほどの吉見下に鎮座。
龍王山(614m)の麓に境内があり、
境内参道入口から龍王山を仰ぎ見ることができる。
鳥居の前数十mの位置に横向きの鳥居が建っおり
台座のようなものがある。御旅所だろうか。
境内入口は西向き。鳥居をくぐり、参道を進むと見事な楼門。
楼門の奥が、社殿のある境内。
拝殿は入母屋造で、後方に幣殿・本殿と続く。
本殿も入母屋造平入りだ。
本殿の左右に尾崎神社と河内神社。
境内右手に池があり、池の中に貴船神社。
池の横に赤い鳥居が数基並び、奥には稲荷神社。
境内右手には、御薬師社がある。
当社は、大正六年(1917)に旧郷社・乳母屋(ちもや)神社に
旧村社・大綿津見神社(龍王社)を合祀して龍王神社と改称した神社。
乳母屋神社は、第八代孝元天皇の御代に御鎮座され
第二十七代安閑天皇の頃、現在地にに社殿が建立され、
奈良時代、元明天皇の御代に再建されたという古社。
長門国第三鎮守(長門国三ノ宮)として崇敬された神社。
合祀された大綿津見神社も、
第十二代景行天皇の御代に鎮座したという古社。
一時期には、乳母屋神社が大綿津見神社の摂社であったこともある。
前シーズンで初登場したボリウッドが、今シーズンも登場。
インド映画に登場する群舞なのだが、ボリウッドが登場すると審査員は絶賛する。
たしかに面白いダンスなのだが、絶賛するほどじゃない。
アジア人としては、アメリカ人に東洋の精神性を表現したダンスを見てもらいたい。
日本舞踊は受け入れにくいかもしれないが、中国舞踊なら大丈夫だろう。ボリウッドよりも芸術性があり、しかも技術的難易度の高いダンスも多いだろう。
などと考えていたら、今日、CSでヤン・リーピン(楊麗萍)のシャングリラをやっていた。凄い。
ヤン・リーピンは中国では国宝級のダンサーなのだそうだ。中国ドラマ「射鵰英雄傳」では梅超風を演じていたので知っている人がいるかも。
とにかく彼女のダンスが凄い。
更新のつぶやきだけ残しておきます。
]]>下関駅から東へ3Kmほどの赤間町に鎮座。
唐戸市場の北にあり、9号線から300mほど入った場所。
ホテルの裏側、路地の奥、階段上の狭い境内に朱の社殿がある。
参道には稲荷らしい朱の鳥居が数基並んでいる。
現在の住所は赤間町だが、昔は稲荷町と呼ばれた遊郭街。
一説には壇ノ浦で敗れた平家の女官たちが平家一門の菩提を弔い
遊女となったという。
幕末の志士たちが闊歩したと言われる繁華街にあり
大きな神社だったようだが、空襲によって焼失し
その後復興されたが、往時の様子は留めていない。
社伝によると大同四年の創祀。
赤間関(下関)最古の稲荷神社だそうだ。
正式社号は稲荷神社だが、末広稲荷として親しまれている様子。
]]>京都府亀岡市にある。
亀岡駅の南3Kmほどの上矢田町に鎮座。
6号線を南下して行くと、当社の大鳥居が建っている。
そこから右手に入ると、東向きの境内。
木々の茂った境内には赤い鳥居。
境内の右手、北参道の脇には百太夫神社という境内社が一つ。
鳥居をくぐると右手にも境内社が並んでいる。
鳥居をくぐって直進(西)へ進むと広い境内。
境内中央に拝殿があり、その後方には同規模の社殿が並んでいる。
向かって左手(南)が、当社・鍬山神社の本殿、
右手(北)は八幡宮の本殿だ。
ともに垣に囲まれた向拝付きの美しい本殿で
金細工の装飾が付けられている。
左手鍬山神社の向拝には、神紋である二羽の兎が遊び、
右手八幡宮の向拝には、同じく神紋である二羽の鳩。
社伝によると和銅二年(709)の創祀。
式内社・鍬山神社の比定される古社で
鍬山大明神とも矢田社とも呼ばれた神社。
往古、当地は大蛇の住む泥湖であった。
そこで祭神・大己貴命が、八神を黒柄山に集めて協議し、
みずから鍬を持って浮田峡(保津峡)を切り開き、肥沃な農地としたという。
里人は、その神徳を慕い、天岡山の麓に大己貴命を祀ったのが起源。
福井県坂井市にある。
JR春江駅の東5.5Kmほどの丸岡町高田に鎮座。
160号線をひたすら東へ進む、北陸自動車道を越えて200mほど。
160号線脇に境内があるのだが、160号線は境内の裏手を走っている。
境内入口は南側。
空き地のような境内で、鳥居の脇に「式内高向神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、参道を進むと石の垣に囲まれて本殿が鎮座。
当地高田は「高向の宮跡」と呼ばれる史跡。
武内宿禰六世の孫高向氏が統治した高向の郷で、
継体天皇の母・振媛命が、継体天皇を育てた宮の跡なのだそうだ。
拝殿も無く質素な境内。
これは、昭和五十五年に再建されたものらしい。
欽明天皇の御代の創祀。
境内の案内によると、五世紀の中頃
近江国高島郡三尾に住んでいた応神天皇の後裔・彦主人王は、
越の坂名井から振媛命を妻として迎えた。
振媛命は男大迹王(後の継体天皇)を生んだが。
まもなく彦主人王が亡くなったので、
幼い男大迹王を連れて故郷 の高向に帰り養育したとある。
滋賀県米原市にある。
近江長岡駅の北3Kmほどの間田に鎮座。
248号線を北上し、365号線と合流して西へ100mほど。
境内入口は南向き。
鳥居の右手に「式内岡神社」と刻まれた社号標。
参拝が年末だったので、
鳥居の脇には角松が飾られ迎春準備が整えられていた。
鳥居をくぐり50mほどの参道を北上すると境内。
境内のアチコチに石があるのだが自然のものだろうか。
拝殿の左手に大きな岩が祀られている。
入母屋造拝殿の後方に垣に囲まれて流造の本殿。
本殿の左手にも、石が祀られている。
境内の案内に「岡神社庭園解説」とあり
巨石を組んだ庭園の解説があるのだが
なぜか、写真に撮っていない。
気づかなかったのか、見落としたのか。
白雉三年の創祀と伝えられる古社で
式内社・岡神社の論社の一つ。
白雉元年、出雲国の人々が当地に移住し
大原郷開拓に際し、伊吹山より姉川の水を引き養水の便を計り開墾地に灌漑。
工事の落成した三年五月、五穀豊穣を祈願し、岡山に祠を築いたのが当社の起源。
岡山県岡山市にある。
岡山駅の東1,5Kmほどの石関町に鎮座。
旭川の西岸にあり、対岸には後楽園がある場所で、
岡山城の北西。
県立美術館の交差点から東へ入ると、
道路に面して、南西向きに鳥居が建っている。
鳥居の左脇には「岡山神社」と刻まれた社号標が建っており、
右手に由緒等を記した案内板がある。
鳥居をくぐると、神門があり、
神門の奥、境内中央にコンクリート造りの薄いピンク色の社殿。
拝殿後方の本殿も、同色のコンクリート造。
市街地にある大社では、薄いピンクや黄色のコンクリートの社殿が多いが
漆喰のような白色じゃないのはなぜだろう。
ピンク色でも汚れは目立つし、個人的には、白い社殿であって欲しいのだが。
朱印の日付にある通り、参拝は正月二日。
曇天の朝八時頃だったが、すでに参拝客が多かった。
創祀年代は不詳。
社伝によると、清和天皇貞観年中の勧請と伝えられ、
備前国神名帳に「下宮明神」とある古社。
以前は大島(岡山、岡山城の位置)に鎮座していたが、
天正元年、宇喜多直家の岡山城築城に際し、現在地に遷座。
その後、金吾中納言秀秋によって拝殿以下の社殿が造営された。
滋賀県栗東市にある。
草津駅の南東4Km弱ほどの下戸山に鎮座。
名神高速を越えて数百mの地点に白い鳥居が立っており
車道を進むと、境内入口がある。
ここで参道は左手に進路を変える。
境内は鬱蒼と茂る森の奥、という雰囲気。
入口の鳥居をくぐってしばらく歩くと古墳がある。
古墳時代後期(六世紀後半)のものだそうで
古墳の上に、龍王社の小祠が祀られている。
さらに参道を進むと朱の鳥居、朱の社殿の境内社。
たぶん稲荷社だと思う。
さらに進むと社殿のある広い境内。
境内中央に入母屋造の拝殿があり、拝殿の後方に少し離れて
垣に囲まれた美しい一間社流造の本殿が鎮座。
社殿の向きは南東向きだ。
本殿の左右に、山王社と祇園社の小祠が祀られている。
大きくて綺麗な神社で、さすがに「大社」なのだ。
創祀年代は不詳。
小杖宮、小杖大明神とも称された神社。
当地方に勢力のあった小槻山公が
その祖・於知別命を祀ったのが創祀だと思われる。
於知別命は、祖別命、落別王とも記され、垂仁天皇の皇子。
兵庫県豊岡市にある。
国府駅の南東1Kmほどの日高町野々庄に鎮座。
国府駅と円山川の中間あたりに、道に面して南向きの境内。
境内は垣に囲まれておらず、オープンな感じ。
鳥居の左脇に「式内三野神社」と刻まれた社号標があり、
境内の奥に、社殿が一つ。本殿を納めた覆屋だろう。
社殿の前、左右に狛犬と灯籠があるだけのシンプルな神社。
境内の左手に赤い金属製の鳥居が一基あり
境内社の祠が一つ。稲荷社だろう。
創祀年代は不詳。
式内社・三野神社に比定されている古社。
雄略天皇三年(459)但馬国造黒田大連が、
天湯河板挙命の子孫である美務連嘉摩を召し抱え、
鳥取部として鳥を取らせ料理を作らせた。
その功績により、美務連嘉摩の祖先を祀らせて
美務神社としてのが、当社・三野神社であるという。
京都府南丹市にある。
日吉駅の西4Kmほどの日吉町志和賀に鎮座。
志和賀にあるため、地図には「志和賀神社」と記されている。
80号線を西へ3.5Kmほど進み、南下して500mほど。
道路がカーブしている場所に、道路に面して境内がある。
境内入口の鳥居には「志波加神社」と記された扁額。
鳥居の左わきに、小さな社号標が立っている。
鳥居の後ろ、すぐの場所に拝殿があり、
拝殿の後ろ、すぐの場所に階段があって、
階段の上に流造の本殿。
本殿の左右に、ずらっと境内社が並んでいる。
参拝は炎天下の夏の日。
強烈な日射しの中の参拝だったが
道路を走行していても社域であることがわかるほどの木が聳え、
境内は木陰となっていた。
そんな雰囲気が、写真では上手く伝わらないのが残念だ。
創祀年代は不詳。
社伝によると、慶雲二年(705)の創祀。
式内社・志波加神社に比定されている古社。
もとは、東組の奥(南西)の清水寺付近にあったとも伝えられている。
古社地とされる志津谷の東山には、3mほどの巨石があり、
昔は、岩の下に桧があり、そこに鎮座していたという伝承がある。