正一位浅間神社 (市川三郷町)

山梨県にある、正一位浅間神社(市川三郷町) を掲載しました。

山梨県の市川三郷町にある。
身延線の甲斐岩間駅の南東、直線距離で500mほどの宮原に鎮座。
葛篭沢川と宮原川が合流する場所の南に境内がある。

境内入口は南向き。垣の中に「郷社正一位浅間神社」と刻まれた社号標が立っており、境内に入ると稚児柱が黒い、朱の両部鳥居があり。鳥居扁額には「浅間神社」とある。

鳥居をくぐり参道を進むと、右手に手水舎。手水舎の奥に神楽殿。さらに参道を進むと石鳥居があり、石鳥居の奥が当社の社殿。

拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は銅板葺流造。
本殿を囲う瑞垣や本殿は赤く塗られていた。
拝殿の中を確認していないが、境内の案内板によると社殿の中に町指定文化財である文化十三年(1816)建造の神輿が安置されているらしい。また、当社の太太神楽は町指定無形文化財となっている。

参拝は晴天の四月の午後。参道の木々や草が青々としていた。

当社の社名に関して、『平成祭データ』には、正一位浅間神社とあり、『全国神社名鑑』や『山梨県神社誌』には、単に浅間神社とあり、鎮座地名を冠して宮原浅間神社と呼ぶ場合もあるようだ。

創祀年代は不詳。 社伝によると、第十二代景行天皇五十六年六月、塩海足尼が甲斐の国造として入国の際に創建されたと言われ、成務天皇五十六年幣帛を賜り、往古は、表門社、浅間神社、あるいは磐間宮とも称し、また、岩間、葛篭沢、宮原三村の産神として三ノ宮とも呼ばれ、岩間庄内の総鎮守として崇敬された古社。

大化年中、徳丸皇子の祈願により社殿を改築。
神護景雲元年、坂上田村麻呂によって再建されたとも伝えられている。
戦国時代兵火に焼亡するも再建され、朝廷・武将の崇敬篤く、天保八年、有栖川宮家より正一位の神階を受けられ、同家の祈願所となった。

『式内社調査報告』には記されていないが、『全国神社名鑑』には延喜式神名帳に記載されているとあり、『明治神社志料』には「當社を表門神社に擬てたるは他に徴証なきを恨む」とあって、当社は式内社・表門神社の論社の一つとされているようだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:48 PM