椎葉圓比咩神社 (柴垣町)

能登の椎葉圓比咩神社(柴垣町)を掲載しました。

石川県羽咋市にある。
七尾線・羽咋駅の北7Kmほどの柴垣町に鎮座。
羽咋駅から西へ進み、249号線に入って北上。
羽咋川を渡り、気多大社前を通過して柴垣町へ。
249号線から西へ、柴垣海岸方面へ分岐する道があるが
その分岐点付近にm249号線に面して西向きに境内入口がある。

参道入口は249号線の西側にあり、
「郷社椎葉圓比咩神社」と刻まれた社号標が立っている。
参道入口から東へ進み、249号線を横断すると境内入口。
境内入口には「延喜式内椎葉圓比咩神社」と刻まれた社号標。
参道を進み鳥居をくぐると、昼なお暗い参道。
階段を上り、右へカーブするように参道には幾つかの石碑が立っている。
さらに参道を進むと社殿のある境内。
参道から見ると社殿は横向きで、地図上では北向き。
昔は西の日本海を向いていたが海難事故が多かったため
天明六年(1786)建て替えて向きを変えたという。

拝殿は雪囲いのある瓦葺入母屋造。
本殿は拝殿の後ろに覆屋が接続している形式で確認できなかった。

社殿の前に「柴垣親王塚古墳」の説明板があり、
境内後方に前方後円墳があるようだ。
その説明には墳丘の表面には人の頭ほどの葺石(ふきいし)が
全面に敷かれているとあり、本殿の後の斜面にそれっぽい石がある。
これが、古墳の葺石だろうか。

創祀年代は不詳。
社伝によると雄略天皇の御代の勧請。
式内社・椎葉圓比咩神社の論社の一つ。

祭神・椎葉圓比咩の事績は不詳。
出雲系の気多大社との関連からか、櫛奈田比咩命とする説もあるが、
当地方に勢力のあった氏族の氏神と考えられ、地域に多い大小の古墳も
本社を奉斎した氏族に関係するものとされている。

しかし、明治以後は『日本書記』にある
反正天皇の皇女・圓皇女(『古事記』では都夫良郎女)であるとされ、
本殿後方の古墳は皇女の陵墓であるという。
また、柴垣の地名は、反正天皇の柴籬宮(柴垣宮)に関係があるいう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:43 AM