雄山神社中宮祈願殿 追記

雄山神社中宮祈願殿近くにあった姥堂が国史見在社・新川神であるという説があり、
雄山神社中宮祈願殿に姥堂趾の写真と文章を追加した。


中宮祈願殿の周囲には多くの寺堂が立ち並んでいたが、明治期の廃仏毀釈によって、多くは破壊された。

中宮祈願殿から東へ少し進んで南へ下りた場所に立山博物館展示館などがあり、遥望館という建物の前に四角形の舞台のようなものがある。これが「姥堂基壇」で、姥堂の趾。

基壇の前に石の手水鉢が置かれており、姥堂御寶前と刻まれている。

立山は神仏分離まで女人禁制で、禁をおかして山に登った女性は岩石や樹木に化せられたといい、美女平の美女杉などはその変わり果てた姿だという。
姥堂は女人堂で、ここまでは女性の参拝も許された。

ここに祀られた姥尊は万物の母神で、死後は冥界の主催神となったといい、伊邪那美命のような神。

この姥尊を、男神である立山神に対して、女神である新川の神とする説があり、『三代実録』に貞観九年二月二十七日に神階を受けた国史見在社である新川神社として復古することを願い出たが認められなかったらしい。

女偏に田を三つ書くこの姥堂の文字は、田畑を感がいする水源の女神であるとも、田は母を意味し、万物の母たる三女神であるとも。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:50 PM