上野国一社八幡宮 (高崎市)

群馬県の上野国一社八幡宮(高崎市)を掲載しました。

群馬県高崎市にある。
信越本線・群馬八幡駅の西1Kmほどの八幡町に鎮座。
18号線の八幡大門交差点から北へ入ると、
赤い大鳥居が建っていて、扁額には「八幡宮」。

大鳥居から北上(正確には北北西)し、
信越本線の線路を越えて、突き当たりに当社境内の丘。
丘の麓に神門があり、神門の前には「上野國一社八幡宮」と刻まれた社号標。

神門の前で道路が左右に分かれており、
左手に進んで坂道を登ると、社殿のある境内の左側、駐車場に到着する。

徒歩の場合は、神門をくぐり参道階段を登ると、石鳥居があり、
石鳥居の扁額には「八幡大御神」。奥にもう一つの神門がある。
『平成祭データ』には、神門は元は仁王門であったとあるが、
どちらの神門のことだろうか。あるいは両方か。

境内の参道を進むと、右手に赤い神楽殿。
左手に手水舎と赤い大きな鐘楼があり、
参道正面に、どっしりと大きな拝殿がある。

拝殿は銅板葺の入母屋造。
拝殿の中に入り、右手奥に進むと本殿の横に出る。
本殿は極彩色の権現造で、像や龍、獅子などの彫刻が美しい。

参拝は11月の晴天の午後。
空は真っ青で、広い境内はとても眩しかった。

社伝によると、天徳元年(957)、京都の石清水八幡宮から勧請。
当社の正式名は「八幡宮」だが、「やわたの八幡さま」と呼ばれ、
また、古くから一国一社の八幡宮として広く崇敬されていた。

永承年間、源頼義が奥州征伐のおり、当社にて戦勝祈願。
康平年間、頼義の子・源義家(八幡太郎)が戦勝の奉賛として
社殿を修築し、以来、源氏の氏神として崇敬され、
源頼朝は鎌倉幕府開設にあたり神田百町を寄進した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:03 PM