礒部神社 (氷見市)

富山県にある、礒部神社(氷見市) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見駅の北西10Kmほどの磯辺に鎮座。
富山湾を右手に見ながら160号線を北上し、
阿尾川に沿って18号線を北西に進み、磯辺に入って
70号線と分岐したあたりに境内がある。

18号線に面した境内入口は南西向き。
「延喜式内礒部神社」と刻まれた社号標が鳥居の右手になっている。
「磯部神社」と記された扁額のある鳥居をくぐると、
参道左手に「八代仙」と名前のある大きな石。

参道を進み、社域の森に入ると、昼なお暗い境内。
当社の社叢はウラジロガシなどの常緑樹の茂る氷見市指定天然記念物。

参道を進み石段を上ると手水舎があり、
さらに石段を上ると社殿のある境内。

瓦葺入母屋造妻入りの拝殿には、北陸に多いガラスの覆いがあり、
拝殿の後方、一段高い場所に本殿の覆屋。
覆屋の前面は開放されていて、銅板葺きの本殿がある。

創祀年代は不詳。
礒部氏の一族が、伊勢の国を離れ、北国の山間に来て八代谷を開拓し、
礒部氏の祖神を祀った神社で、式内社・礒部神社に比定される古社。

伝承によると、
八代村の奥山に、八代仙(はったいせん)と呼ばれる洞窟があり
その洞窟を奥宮として、現在の地に箭代神社の遥拝所があり、
当社は、北の奥にある上宮(かみや)の地にあったらしい。
その後、箭代神社は北八代へ再建され、
その跡に、当社・礒部神社が遷ってきたという。
参道脇の八代仙の大石は、箭代神社遥拝所の名残りだろうか。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:44 AM

伊香保神社 画像入替と追記

伊香保神社に再訪したので画像を入れ替えて追記。
また近くにある薬師堂の写真も追加。
伊香保神社


薬師堂は『上野国神名帳』にある「正三位 温泉明神」。




A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:32 PM

甲波宿禰神社 (川島) 追記

渋川市川島鎮座の甲波宿禰神社の古社地に行って来たので追記。
甲波宿禰神社(川島)


かっては吾妻川の近くに鎮座していたが、
天明三年(1783)、浅間山の噴火の際の泥流で流出してしまい、
天明五年九月十九日に、諏訪神社のあった現在地に再建されたらしい。

古社地は、現在地の北東500mほどの吾妻川の南岸。
上越新幹線の高架の東側。観音堂の近く。

『神道集』には、当社の本地は千手観音とあり、この観音堂が本地堂らしい。
畑の中に数本の石柱や「甲波宿禰大神」と刻まれた社号標が立っている。

観音堂から吾妻川よりには、浅間山噴火で流されてきたという浅間石がある。
「金島の浅間石」と呼ばれる南北10m、高さ4.4mの大石で
群馬県指定の天然記念物になっている。
こんなのが流れて来たのでは、社殿も流出するだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:39 AM

白根神社 (草津温泉)

群馬県の白根神社(草津温泉)を掲載しました。

草津温泉で有名な群馬県の草津町にある。
温泉街の中心にある湯畑から少し北へ入った場所に参道の入口。
階段の途中には「郷社白根神社」と刻まれた社号標が立っている。
階段を上り鳥居をくぐって右へ進むと手水舎がある。

参拝は11月の初旬。早朝、夜明けの頃。
硫黄の香りに満ちた草津温泉全体が、紅葉に色づいて美しかったが、
境内参道の木々も紅葉し、そこに朝日が射し込んで、
とても美しい境内だった。

参道の途中に昔の鳥居の礎石らしきものが両脇にあり
右の礎石の上にはカエルの置物が置かれていた。
そのカエルの周りを誰かがモミジの葉で飾っていた。
風が吹けば無くなってしまうものだけど、なぜか心が和む。

参道を進むと「白根大明神」と書かれた扁額のある鳥居があり、
鳥居をくぐると社殿のある境内。
入母屋造の拝殿の後方に本殿がある。

本殿は、資料によると神明造らしいので、たぶん、覆屋の中にあるのだろう。

創祀年代は不詳。
『上野国神名帳』に吾妻郡十二社の「従一位 白根明神」とある古社。

火山である白根山を祀る神社で、もとは白根山上に鎮座しており、
草津温泉入口(運動茶屋公園付近)には遥拝所があったが、
明治六年、郷社に列格した際に、
温泉街を見下ろす囲山と呼ばれる現在地に社殿を建立した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:23 PM

矢田八幡神社 (久美浜町)

京都府の 矢田八幡神社(久美浜町) を掲載しました。

京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・久美浜駅の東9Kmほどの久美浜町佐野に鎮座。
312号線を東に進み、佐濃谷川と合流するあたりに境内入口がある。

表参道は南側、やや西向き。
低い階段の上に「式内村社矢田八幡神社」と刻まれた社号標が立っている。
数十メートルの広い参道を進むと石鳥居が立っており、
さらに進むと階段。階段の左手に騎馬像があり、右手に祠。
階段を上るとさらに階段があって神門がある。

当社を探して車を運転していたけれど、入口から鳥居が見えず
少し東へ行きすぎた場所で、バックミラーに鳥居が見えた。
そこは、裏参道の入り口のようで、
「式内矢田八幡神社」と刻まれた社号標が立っていた。

車を停めて、裏参道から歩いて参拝。参拝は8月の休日の早朝。
写真では明るく見えるが、実はまだまだ暗い時刻。
竹林の中の参道はさらに暗く、怪しさと厳かさが混在した神域。
良い雰囲気だなぁと考えながら歩いて行くと、
神門の前の階段の下で、表参道と合流。
階段を上り、神門をくぐると、静かな境内。
(早朝だから静かなのは当然だが)

境内奥に階段があり、階段の上に拝殿。
拝殿の後方に、入母屋造の立派な本殿がある。

社伝によると、
崇神天皇十年、四道将軍の一人丹波道主命が勅命により
山陰地方平定のため丹後国に至って比治の真名井に館を構えられ、
平定祈願のため、矢田部の部民(物部)に祖神を祭らしめられたのが当社の起源。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:12 PM