木幡神社 (矢板市)

栃木県の木幡神社(矢板市) を掲載しました。

栃木県矢板市にある。
宇都宮線・矢板の南2Kmほどの木幡に鎮座。
30号線の木幡交差点から東へ入ると境内入口の赤い鳥居が立っている。

小さな丘の境内は南向き。
参道入口は、さらに南100mほどの場所にあり
参道入口には、冠木門が立っている。
冠木鳥居とでも呼べばよいのだろうか、
二本の柱に貫を通した形式の門のような鳥居。
その脇には「國寶 重要文化財 木幡神社参道 入口」と刻まれた石碑。

境内入口の朱の鳥居近くには「木幡神社」と刻まれた社号標。
鳥居扁額には「鹽谷惣社大明神」とある。

鳥居をくぐると、左手に湯殿山、熊野三神、易體山などの石碑。
階段を上ると、室町時代の建立された重要文化財の楼門。

楼門をくぐると、参道の右手に市指定有形文化財の鉄灯籠。
元和三年(1617)松平土佐守藤原忠義が日光東照宮に寄進したもの。
東照宮と関係深い当社へ移されたようだが
損壊部や亀裂があり、平成十三年補修修理したらしい。

ただ、参拝は東日本大震災から2カ月後で、
補修された鉄灯籠は、残念ながら壊れていた。

参道左手に手水舎は社務所が並び、参道正面に当社の社殿。
入母屋造の拝殿の後方には、これも室町時代の重要文化財・本殿。
楼門と同じく朱に塗られていた、鮮やかで美しい。

社伝によると、桓武天皇延暦年間、
坂上田村麻呂在京の時、山城国宇治郡許波多神社(木幡神社)を信奉。
延暦十年、大伴弟麿らと蝦夷追討の命を受け
許波多神社に参詣し追討の成功を祈願し、
成功の後には一祠建立を誓った。

後、下野国鹽谷郡峯村に陣を設け、
遠江国の高島信保・信房兄弟を従えて追討に成功。
延暦十四年、田村麻呂凱旋の折りに、
当地に当社を創建し、山城国より木幡神を勧請したという。
この時より、峯村は木幡村と称するようになった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:00 AM