小野神社 (塩尻市)

長野県にある、小野神社(塩尻市) を掲載しました。

長野県塩尻市にある。
中央本線・小野駅の北1Kmほどの北小野に鎮座。
153号線(三州街道)に岡谷方面から254号線が合流する場所。
153号線に面して南東向きの境内入口がある。

当社境内の南には矢彦神社が鎮座。
小野神社と矢彦神社が、同じ規模の境内で並んでいる
というより、両社の間に垣や塀などはなく、社地境界標の石柱のみ。
通称を「頼母の森」「憑の里」と呼ばれる、一つの境内に
並んで鎮座しているような状態が面白い。

もちろん別の神社なので、
入口の鳥居も別、社務所も別にあるのだが、
昔は両社合わせて「小野南北大明神」とも称されていた。

入口鳥居の脇には「信濃國二之宮 縣社 小野神社」と刻まれた社号標。
信濃国一之宮諏訪大社に対して、当社と矢彦神社は二之宮なのだ。

諏訪大社が上社(本宮・前宮)と下社(秋宮・春宮)で構成されており
当社が矢彦社と並んで鎮座していることと関連があるのだろうか。

鳥居をくぐり参道を進むと社殿。
拝殿の奥、御垣に囲まれた場所は、一般の禁足地で
手前に勅使殿、後方に副本殿、本殿、八幡宮と三棟並んでいる。
これら四棟の社殿は県宝。寛文十二年(1672)火災で焼失したものを
同年、松本藩主・水野忠直が再建したもの。
本殿が二棟あるのは、御柱の年に御遷替されるかららしい。

社殿を囲む境内の四隅には、四本の御柱が立っており、
曳綱奉置所には、御柱を曳く綱が納められている。

創祀年代は不詳。
社伝によると、
建御名方命が科野に降臨し、諏訪へ入ろうとしたが
洩矢神がいたために入れず、この地にしばし留まった後、
諏訪へ移動したという。
その旧跡に、崇神天皇の御代創祀されたという古社。

坂上田村麻呂の戦勝祈願がかなったので、
桓武天皇の勅によって社殿が造営され、
四隅に御柱を建てるようになったとも。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:05 PM

城南宮 (伏見区)

京都府の 城南宮(伏見区) を掲載。


京都府の京都市伏見区にある。
近鉄京都線・竹田駅から1.5Kmほどの中島鳥羽離宮町に鎮座。
竹田駅から南へ500m進み、新城南宮道を西へ1Km弱。
阪神高速を越え、白河天皇陵を横目に見て進み、
京阪国道の手前。京都南I.C.の南に境内がある。

境内入口は東西にあり、
車は京阪国道に面した西側入口から。
僕は徒歩だったので、東側入口から入った。

参道を西に進むと、眞幡寸大神を祀る摂社・真幡木神社。
さらに進むと、唐渡天満宮とも称され、菅原道眞を祀る芹川神社。
それぞれ参道に面して南向きに鎮座。

さらに進むと、東南向きに境内入口の朱の鳥居が立っている。
東西の参道入口にある鳥居の扁額には「城南離宮」とあるが、
この鳥居の横には「城南宮」と刻まれた社号標。
鳥居の向かいには、天照大神を祀る三照宮社が北向きに鎮座。

鳥居をくぐり境内に入ると、境内中央に舞殿のような拝殿。
拝殿の奥に社殿があり、塀に囲まれて流造の本殿がある。

参拝した日は、境内左手の建物が工事中で白い塀に覆われていた。

社殿のある境内周囲には、曲水の宴などが行われる
美しい庭があり、季節の花々が咲いているらしいが、
僕は拝観していない。
また、京阪国道の向かい(西側)に鳥羽離宮跡があるが行ってない。
参拝の前日、宇治周辺をダラダラと歩き回って足を痛め
この日は、あまり歩きたくなかったのだ。

朱の鳥居の脇に手水舎があるが、「菊水若水」と呼ばれる井戸水で
あらゆる病に霊験があるらしい。僕は参拝時にこのことを知らず、
いつものように口をすすいで吐き出してしまったが、
ちゃんと飲んでおけば足の痛みも無くなっていたのだろうか。

東大寺のお水取りの水は、
若狭・遠敷川から「菊水若水」を通って、
二月堂の若狭井に達すると伝えられているらしい。

創祀年代は不詳。
社伝によると、神功皇后が三韓征伐の軍船に立てた御旗を
八千矛神の御霊を添えて当地に納められたことを起源とする。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:26 PM

加蘇山神社 (鹿沼市)

栃木県の加蘇山神社(鹿沼市) を掲載しました。

栃木県鹿沼市にある。
JR日光線・鹿沼駅から北西へ18Kmほどの上久我に鎮座。
293号線を西へ進み14号線から240号線に入って13.5Km。
荒井川に沿って石裂山(879m)を目指すと到着する。

神明鳥居の側に「加蘇山神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると正面に社務所を兼ねた石裂山荘があり、
境内右手に社殿や神楽殿があるが、ここは遥拝所。
本当の境内は、そこから石裂山方向へ数百メートル入った場所にある。

舗装道路の突き当たりに駐車スペースがあり、数段の階段を上ると鳥居。
鳥居をくぐると大きな木が二本あり、
その間を通って参道階段が上まで続いている。

階段を上ると石の冠木門。
冠木門をくぐると正面に堂々とした社殿がある。

参拝はゴールデンウィークの早朝。
深い緑と巨木の境内は、深呼吸したくなるほど清々しいが、
社殿の陰から熊が出てきても不思議じゃないような雰囲気。
(本当に熊が出るかどうかは知らない)
物音に耳を澄ましながら参拝した。

境内横から石裂山への登山道があり、
社頭の案内板によると、御神木の千本桂まで25分。
中腹の中ノ宮まで45分。奥ノ宮まで1時間。
石裂山山頂まで2時間20分らしい。

行者の修行の山なので、ハシゴやクサリ場などがある険しい山だが
都会に近く、手頃な山として人気がある山のようで、
参拝を終え車に戻ると、女性二人の登山客が準備をしていた。

残念ながら、僕は一泊二日の栃木旅行で、
他にも行きたい場所があったので登らなかった。

石裂山は「おざくさん」と呼ばれ、尾鑿山とも書かれるようだ。

当社の創祀年代は不詳だが、
三代実録の元慶二年(878)九月十六日に
「下野国賀蘇山神、従五位下」と記されている古社。
社伝によると、神護景雲元年(767)、
日光開山で有名な勝道上人による開山。

当社は石裂山の西麓にあるが、南麓の入粟野に賀蘇山神社があり、
両社ともに、賀蘇山神であるらしい。
石裂山を中心とした信仰世界が形成されていたのだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:29 PM

昌言社 (坂城町)

長野県にある、昌言社(坂城町) を掲載しました。

長野県の坂城町にある。
しなの鉄道・坂城駅の北東6Kmほどの平沢に鎮座。
坂城駅から北東へ進み、上信越自動車道を越えて山へ。

当社へ続く道は何本かあるようだが、
一番の近道が工事中で通行できなかったため
まず和平高原にあるキャンプ場を目指す。
キャンプ場へ向かう道の途中に、
当社へ続く道への入口があるのだが
当日の道路は残雪が凍って滑りやすい路面。
仕方がないので車を止めて、雪道を1Kmほど歩いて参拝。
狭い道のわきに当社の杜がある。

垣に囲まれて、大きな開墾記念碑があり
その脇に小さな石祠が一つ祀られている。

文久年間(1861~)の創建。
当地の開墾功労者である稲玉徳兵衛昌言を祀る神社。

このように、日本の各地には、それぞれの土地の繁栄を願って奮闘苦労した人々、犠牲になった人々が祀られている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:35 PM