白山神社 (文京区)

東京の白山神社(文京区) を掲載しました。

東京都文京区にある。
地下鉄三田線・白山駅の西200mほどの白山に鎮座。
鎮座地・白山は、昔は白山前町と呼ばれており
白山権現(当社)の門前町として発展した町らしい。

境内・社殿は南向きなので、表参道は南側参道なのだと思うが
僕は根津神社から歩いて来たので、東参道から参拝。

鳥居をくぐり階段を上ると境内。
参道脇に境内社・福受稲荷神社があるが、社前に猫がいた。

境内に入ると、瓦葺の社殿。
拝殿の後方に、入母屋造の美しい本殿。

参拝中にも、通勤・通学の人達が何人も境内を通過。
地下鉄への近道として利用されているのかもしれない。
その中の何人かは、拝殿前で参拝していくようで
毎日の通勤で、神社にお参りしているんだなぁ、
などと考えながらの参拝。

天気が良くて、気持ちの良い朝。
この日の午後、日本中を震撼させる大震災が発生するとは。

天暦二年(948)九月、加賀一宮白山比咩神社を
武蔵国豊島郡元岡本と号して、今の本郷元町に勧請したのが当社の起源。

元和二年(1616)徳川秀忠公の命により、
小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座。

慶安四年(1651)徳川家綱公の用地となったため、
明暦元年(1655)現社地に遷座した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:19 AM

根津神社 (文京区)

東京の根津神社(文京区) を掲載しました。

東京都文京区にある。
地下鉄千代田線の根津駅と千駄木駅の中間あたり
不忍通りの根津神社入口交差点から西へ入ると境内入口。

境内入口は東向き。
赤い鳥居の左脇に「元准勅祭 根津神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を進み、緩く右にカーブすると境内。
右手に池があり、左手に「つつじ苑」がある。
つつじ苑には四月からゴールデンウィークまで多くのつつじが咲くらしいが
参拝は三月(東日本大震災の朝)だったので、
一輪も咲いていなかった。

境内の中央に神橋があり、瓦葺の国宝・楼門。
楼門を越えると、右手に神楽殿があり、参道左手に手水舎。
参道正面には、透塀に囲まれた社殿のある境内。
入口の唐門も国宝らしい。

その唐門をくぐると、正面に朱の社殿。
社殿は権現造で、拝殿・幣殿・本殿が「エ」の字形に並んでおり、ともに国宝。

拝殿の右手に受付があり、そこで御朱印をいただいたが、
その奥に庫があった。神輿庫だろうか。

当社に到着したのは朝の八時頃。
若い神職の方々が境内の掃除をしており、
通勤のサラリーマンや通学の学生が境内を横断していく、
そんな感じの神社の朝だった。

通称は根津権現。

景行天皇の御宇、日本武尊東征の途次、
武神須佐之男の御神徳を仰ぎ創祀されたと伝えられる古社。

後、文明年間(1469~87)太田道灌が社殿を再建。

徳川時代には、将軍徳川綱吉が嗣子・家宣の産土神として
宝永三年(1706)千駄木の旧社地(現団子坂あたり)より遷座し、
現社殿を造営。永代社領五百石を寄進した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:01 PM

高坂神社 (香美町)

兵庫県の 高坂神社(香美町) を掲載しました。

兵庫県の香美町にある。
八鹿駅の西25Kmほどの村岡区高坂に鎮座。
9号線を22Kmほど西へ進み、
村岡区福岡あたりでハチ北高原方面へ進む。
森脇・和池・池ケ平の集落を越えて、
高坂集落の中央あたりに境内がある。

境内入口に新しそうな石鳥居が建ち、
鳥居の右脇に「式内 高坂神社」と刻まれた社号標。
鳥居の左脇と、社号標の右脇に木が聳えているが、
境内は芝生で、ほとんど木が生えていない。
そのせいか、とても明るい感じの境内。

境内中央に瓦葺の社殿。
拝殿の後方に本殿覆屋が接続した形式で
本殿は確認できなかったが、
資料には春日造一間社だと記されている。

式内社・高坂神社に比定される神社で、
創建以来、現在地にあるという。

神社明細帳によると、
大同元年(806)に再建されたとあり
大同以前から存在していたらしき古社。

ただし、『七味叢誌』によると
貞観年間(859~877)の勧請とあり、
永禄二年(1559)兎束庄内に五社明神を定めた時に
当社は二番目に列せられたため、二宮とも称されたらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:07 PM

笠石神社 (湯津上)

栃木県の笠石神社(湯津上) を掲載しました。

栃木県大田原市にある。
東北本線・西那須野駅の南東17Kmほどの湯津上に鎮座。
461号線から294号線に入って南下し4.5Kmほどにある
笠石神社前交差点から、西へ30mほど入ると参道入口がある。

参道を北上すると社域の森。
境内入口には神明造の石鳥居が建っている。
鳥居をくぐり境内の入ると、
参道の右手に少しずれて拝殿のような社殿があり、
参道正面に垣に囲まれた宝形造の本殿。

この本殿の中に、御神体である日本最古の碑・那須国造碑が安置されている。
境内右手にある社務所でお願いすると、
祠を開けて那須国造碑を見ることができる。ただし撮影は禁止。

碑文は十九文字八行、百五十二字。
この那須国造碑は花崗岩製は高さ120cm、幅は40cmほど。
上に笠のような冠石(高さ30cm、幅48cm)を戴いていることから、
笠石神社と呼ばれている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:55 AM

八幡宮 (益子町長堤)

栃木県の八幡宮(益子町長堤) を掲載しました。

栃木県の益子町にある。
真岡鉄道益子駅の南4.5Kmほどの長堤に鎮座。
41号線を南へ下り、長堤で少し西へ入るのだが判りにくい場所。

ゴールデンウィークに益子焼陶器市へ行ったのだが
かなり早く到着してしまったので、周囲の神社を散策。
地図を見ると、八幡池のあたりで西へ入るのだが、
車で走っているとよくわからず、周囲をぐるぐると探し回ってしまった。

境内への参道は、東参道と南参道があり
南参道を歩くと、鬱蒼と茂る林の奥に境内が見える。

2011年3月11日の東日本大震災の影響か
参道途中に石鳥居があるのだが、
参拝した2011年4月29日現在、倒壊して粉々になっていた。

参道を進み境内に入ると、
社前の灯籠も石台から落ちて砕けていた。

拝殿は銅葺の入母屋造り。
昭和39年2月11日発行の『栃木県神社誌』には
萱葺屋根の古風な拝殿の写真が載っており
期待していたのだが、残念ながら屋根は変更されてしまっていた。

拝殿の後方には流造の本殿。
境内案内によると、元禄時代のものらしい。

後冷泉天皇の康平六年(1063)、源義家によって創祀された神社。
戦勝の軍旗を納めた旧地であるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:44 AM