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2009年12月31日

伊那下神社 (松崎町)

静岡県の伊那下神社(松崎町) を掲載しました。

静岡県松崎町にある。
松崎町役場の南300mほどの松崎に鎮座。
松崎港の近く、那賀川の河口部にも近く、
136号線に面して境内入口がある。

駐車場に車を止め、赤い鳥居をくぐって参道を進む。
階段を上ると、正面に朱の拝殿があり、
右手にはイチョウの大木が数本。
境内のイチョウは親子イチョウと呼ばれているらしく、
枝が広がったイチョウは母イチョウ。
背の高いイチョウは父イチョウ。
参集殿の側のイチョウはは子イチョウと名付けられている。

参拝日は、正月元旦の朝。
附近の方々が初詣に来られていた頃。
曇天だったが、さわやかな正月の朝、という雰囲気。
朱の拝殿が、とても晴れやかな姿だった。

拝殿の後方に大きな本殿があり、
本殿の左手に、「亥子岩」と呼ばれる石が祀られている。
当社の例祭に行われる御旅式において
この亥子岩をとおして、背後の牛原山に向かって呪文を唱え
神輿へ神霊を移すらしく、
亥子岩は、牛原山に対する祭壇の役目を担っているようだ。

創祀年代は不詳。

500mほど北東に伊那上神社が鎮座しており
当社は下の宮とも呼ばれている。

社伝によると、
造船技術に長けていた新羅の帰化人である猪名部一族が
当地に流れ着いて伊那という地名になり
伊那湾の下にその産土神として祀った神社であるという。

式内社・伊那下神社の論社であり、
伊豆国神階帳に「従四位上 いなしもの明神」とある古社。

投稿者 GenSyouShi : 04:26 | こめんと (0)

2009年12月28日

伊那上神社 (松崎町)

静岡県の伊那上神社(松崎町) を掲載しました。

静岡県松崎町にある。
松崎町役場の東300mほどの宮内に鎮座。
松崎港の近く、那賀川の河口部にも近く、
136号線に面して境内入口がある。

参拝日は、正月元旦の早朝で、日が昇り始めた頃。
境内には迎春のため、紅白の幕が張られており
提灯にも灯りがともっていた。

参道を進むと、真っ赤な鳥居が建っている。
鳥居前で参道が左手にも分かれているが
左手参道の先には忠魂碑が建っている。

参道を進み鳥居をくぐると正面に入母屋造瓦葺の拝殿。
拝殿の後方に本殿の覆屋があり、中に本殿が鎮座。
本殿前には鏡餅が置かれていた。
本殿前に置かれていた、朱の火袋のある黒い灯籠が美しい。

朝日を背にした時刻の参拝だったため、
逆光で写真としても暗めになってしまったが、
全体として色を抑えた落ち着きのある神社だ。

創祀年代は不詳。
社伝によると、嵯峨天皇弘仁八年(817)伊予国越智郡の
三島大明神(大山祇神社)から遷座したとも、
伊豆国府三島から遷座したとも伝えられている。

『式内社調査報告』によると、
造船技術に長けていた帰化人である猪名部一族が
当地に流れ着いて伊那という地名になり
その産土神として祀った神社であろうという。

投稿者 GenSyouShi : 06:49 | こめんと (2)

2009年12月26日

出雲神社 (亀岡市)

京都府の 出雲神社(亀岡市) を掲載しました。

京都府亀岡市にある。
亀岡駅の西10Kmほどの本梅町井手西山に鎮座。
477号線から西へ入ったところ、小学校の裏に境内がある。

境内入口は南東向き。
鳥居の脇に巨木が聳え、その根元に大きな岩がある。
この岩が、当社祭祀の根源なのだろうと断言できるほどの大きさだ。

鳥居をくぐると正面に拝殿があり、
拝殿の後方、垣に囲まれて、やや小振りの本殿がある。
細身の流造の本殿だ。

境内には幾つかの岩が転がっており、
背後の林の中にも、幾つかの岩がある。

鳥居脇の岩の後ろに、岩に向かって小さな祠が祀られている。
境内には庚申塚の石や仏像などがあり、
境内右手に、境内社の稲荷社が鎮座している。

参拝は、夏の休日の午後。
夏休みなので小学校も静かだ。
授業のある日なら、境内の大岩は、
児童達の恰好の遊び場になっているかもしれないなぁ、
などと考えながらの参拝。
童心に戻って登ってしまいたいと云う欲求を抑えていた。
大人なので。

創立年代は不詳。
社伝によれば、往古、大岩の傍らに出雲大明神と称する祠があり
早田太夫と云う者が、承正年中まで奉祀してたという。

後、天正年中に社殿を造営したが
戦国時代の戦火により、社殿古記録は焼失したという。

投稿者 GenSyouShi : 03:16 | こめんと (0)

2009年12月22日

雷神社 (豊岡市)

兵庫県の 雷神社(豊岡市) を掲載しました。

兵庫県豊岡市にある。
豊岡駅の南4Kmほどの佐野に鎮座。
山陰本線の西側、50号線の上佐野から少し北へ入った場所に
参道入口の鳥居が建っている。

参道入口は南向き。
草に覆われた参道の坂道を上ると木の鳥居が建っている。
鳥居から参道を500mほど上ると山の中に広い境内がある。

砂利の境内の中央の参道を進み、
数段の階段を上ると石橋があり、その奥に社殿。
拝殿は入母屋造で、後方の本殿は流造。
参道の案内板によると、県指定文化財の本殿は
五間社切妻造とあるが、流造は切妻造の一種なのだ。

参拝は夏の休日の早朝で、
境内には朝靄が漂って厳かな雰囲気だった、

創祀年代は不祥。

式内社・雷神社に比定されている古社で、
佐野天神、雷天神社とも称された神社。
一般には「天神様」と呼ばれているらしい。

投稿者 GenSyouShi : 22:14 | こめんと (0)

2009年12月21日

幡日佐神社 (南丹市)

京都府の 幡日佐神社(南丹市) を掲載しました。

京都府南丹市にある。
八木駅かた北東へ直線で3Kmほどの八木町氷所に鎮座。
ルート上の距離では4.5Kmほど。

477号線を東へ進み、大堰川を渡ってさらに3Kmほど東へ。
408号線へ入って、三俣川を渡り、北西へ1.5Kmほど。
さらに408号線から集落の奥、北へ進むと、
山の麓に大きな神域がある。

鬱蒼と茂る木々の中に鳥居。
鳥居扁額には、「氷室 幡日佐 両神社」と記されており、
当社が氷室神社と幡日佐神社の合併神社だとわかる。

鳥居をくぐって、階段を上ると広い境内。
境内右手には、稲荷神社の赤い鳥居が並んでおり、境内中央に拝殿。
拝殿の後方、階段上に本殿がある。
本殿の屋根は、基本的には流造だが、
中央部に破風が付いていて、美しいフォルムだ。

創祀年代は不詳。

鎮座地の裏山の北・神吉は、謡曲『氷室』にも有名な氷室の地。
毎年六月一日には、製造保存した氷を京都御所へ献上しており
氷室大明神が祀られていて、
鎮座地・氷所にも、その分霊に祀られ、氷所大明神と称していた。

元明天皇の和銅年間、美濃田の幡谷山(あるいは中谷山)に
八流の幡が天下り、その一つが氷所大明神の境内樹にかかり
金色の光を放っていた。
これを瑞兆として、以後は幡久と称するようになったという。

後、戦国動乱期に氷室大明神が焼失したため当社に合祀し、
天正十九年(1591)八月二十七日、
故宮の地にあった社を、現在地に移転遷座したという。

投稿者 GenSyouShi : 02:50 | こめんと (0)

2009年12月17日

八坂神社 (水口町嶬峨)

滋賀県の 八坂神社(水口町嶬峨) を掲載しました。

滋賀県甲賀市にある。
近江鉄道・水口駅の南東3Km、道程では4Kmほど水口町嶬峨に鎮座。
307号線から549号線へ進み3Km。
さらに、野洲川を渡って南へ進むと池があるが、その池のそばに境内。
地図を見ると、南へ行くとゴルフ場があるようだ。
近くに千光寺がある。

水口町嶬峨には同名の八坂神社という小社があるのだが、
こちらの方が大きくて有名なので間違うことはないと思う。

池の脇の参道を進むと鳥居があり、
そばに「神輿御陵」と書かれた塚のようなものがあった。
昔の神輿を埋めているのだろうか。

さらに参道を進むと、石の橋「下馬橋」がある。
元禄十年(1699)雨乞祈願成就の返礼として
氏子より奉納されたものらしい。

参道を進み、階段を上ると、社殿のある境内。
中央に拝殿があり、拝殿の後方、階段上、中門の奥に本殿が鎮座。
本殿は永享十一年建立、天正十五年(1587)に再建されたもの。

本殿の左右に境内社があり、
左手の境内社には「川枯姫命」「川枯神」と刻まれた石碑が建っている。

創祀年代は不詳。
江戸時代には牛頭天王社、あるいは儀俄大宮と称していた神社。

『滋賀県神社誌』によると、
郷土開拓の神を祀り、川枯神を勧請とあり、
天平二十一年、左大臣橘諸兄が千光寺伽藍創立の際に、
仏法擁護のため社殿を造営し、素盞嗚尊を主神としたという。

投稿者 GenSyouShi : 23:38 | こめんと (0)

2009年12月12日

奄我神社 (福知山市)

京都府の 奄我神社(福知山市) を掲載しました。

京都府福知山市にある。
福知山駅の北4Kmほどの中に鎮座。
音無瀬橋を渡って由良川を越え、55号線を北上して2Kmほど。
小学校の南に、55号線に面して南向きの境内がある。

境内は石垣に囲まれているが、
その垣の外、右手に池のような場所があり、祠が一つある。
境内社の篠島神社だ。

境内入口を入り、鳥居をくぐると
正面奥、石組みの上に社殿が並んでいる。
拝殿は入母屋造。後方の本殿は流造。
社殿は文化四年(1807)の大火で延焼し、
文化九年に再建されたままだったが、
昭和五十三年十月に境内の北側の森を売却し
全面改築されたらしい。

境内は砂利が敷き詰められて非常に綺麗。
境内入口にクスノキの巨木がそびえ、
八月の炎天下での参拝だったが、境内の大部分が木陰となっていた。
以前は、杉の大木三本と椋の大木もあったそうだが
昭和三十六年の台風で倒れたそうだ。惜しい。

創祀年代は不詳。

『続日本紀』に宝亀四年(773)九月に条に
「壬辰丹波國天田郡奄我社有盜 喫供祭物斃社中 即去十許丈 更立社焉」
とあり、773年に、当社に盗人が入り、供物を食べて中毒したので
その穢れを除くため、十許丈ほど隔てて建替えたらしい、というほどの古社。

式内社・奄我神社に比定されている神社で、
もとは、現在地の北方3Kmの字筈巻に鎮座していたとか、
あるいは、東方2Kmの字猪崎小字泉谷の奥にあったとか、
中の聖大明神古跡であったとか、諸説あるようだ。

投稿者 GenSyouShi : 23:09 | こめんと (0)

クリミナルマインド

テーマ曲
Citizen Cope の Penitentiary

投稿者 GenSyouShi : 18:05 | こめんと (0) | 3. 聴…音楽の話

2009年12月 9日

フレーム削除

フレームの使用を止めたので、全ページを一気に改編。
かなりの時間を費やしてしまった。

全ページを機械的に修正したので、修正ミスが多々あるような気がする。
ページによっては見えなくなったり、見にくくなったり、表示が崩れたりしているかも。
ブラウザによっても見え方が違うかも。

不都合があれば御一報いただけると有難いです。

投稿者 GenSyouShi : 01:58 | こめんと (0)

日出神社 (但東町南尾)

兵庫県の 日出神社(但東町南尾) を掲載しました。

兵庫県豊岡市にある。
但東総合支所の南西600mほどの但東町南尾に鎮座。
426号線を進むと郵便局があるが、
その裏側、出石川の近くに境内がある。

境内は公園の一角の林の中という印象。
南側の表参道入口に鳥居は無く、灯籠が一基あるのみ。
東側の広場からの入口に鳥居が建っている。

南側から境内に入ると、参道脇に猿田彦神を祀った石。
さらに進むと鳥居があり、右手奥が社殿のある境内。

一段高い場所に神明造の本殿があり、
前面に向拝が延びたような感じの拝殿が接続されている。

社殿の両脇に境内社の祠が一つずつ。
右手にの祠は皇大神宮・稲荷神社、左手の祠は三宝荒神宮。
三宝荒神宮の中には「三宝大神」と刻まれた石が祀られていた。

創祀年代は不詳。
社伝によると神功皇后新羅遠征の時、
勅使を遣わされ供物を献上されたという古社。
戦国時代、市場高山城主、出合山城主の崇敬が篤かったという。

江戸時代になって、寛永・正保年間、出石城主小出氏が
出石川の改修を行い、当社を旧社地の東南隅に移転し社殿を新築。
安政六年、本殿が造立された。

投稿者 GenSyouShi : 01:55 | こめんと (0)

2009年12月 3日

蛟蝄神社 (利根町)

茨城県の 蛟蝄神社(利根町) を掲載しました。

茨城県利根町にある。
成田線・布佐駅の北東6Kmほどの立木に鎮座。
栄橋を渡って利根川を超え、4号線を1.5Kmほど進み、
新利根川に沿って東へ2Km程度入った場所。
209号線と合流する手前、集落の北側、老人ホームの隣に境内がある。

境内入口は南側。狭い道に面して参道の階段があり、
階段脇には「蛟蝄神社(奥の宮)」と書かれた案内が建っている。
当社は、蛟蝄神社の奥の宮と呼ばれており、
当社の西300mほどの位置に門の宮と称する神社がある。

階段を登ると、入口に比して広い境内。
鳥居をくぐり、石板の参道を進むと正面に社殿。
赤い屋根の拝殿の後方に、垣に囲まれた流造の本殿がある。
拝殿の屋根は寄棟造になっているが、向拝が前面に突き出した形状。
屋根瓦の部分が、面白い形をしていた。

参拝日はあいにくの雨だったが、シトシトと静かに降る雨が良い感じ。

境内に小さな石祠が幾つか祀られている。
一つの石祠の前に「氏神」と刻まれた石が建っているが
詳細は分からない。
『茨城県神社誌』には、境内社・琴平神社と記されているが分からない。

社伝によると、
孝霊天皇三年(前288)に水神の彌都波能賣命を
文武天皇二年(698)に土神の波迩夜須毘賣命を祀ったのが始まりという。
一般的には、文武天皇二年の創祀。

投稿者 GenSyouShi : 00:17 | こめんと (0)

2009年12月 1日

穴切大神社 (甲府市)

山梨県の穴切大神社(甲府市)を掲載しました。

山梨県甲府市にある。
甲府駅の南西1Kmほどの宝に鎮座。
甲府駅から500mほど南下し、警察署のある交差点を西へ。
その道の突き当たりに境内入口がある。

境内入口は東向き。
入口の右手に社号標が建っているが
参拝日が11月だったためか、「七五三詣」の案内板が立て掛けられていた。

鳥居をくぐり、参道を進むと楼門形式の随神門。
寛政六年(1794)建立の重要文化財らしい。

随神門をくぐると、しっとりとした趣きの境内。
参道はコンクリートで整備されているが、
境内全体は苔むしているので「しっとり」と感じるのだろう。

境内右手に神楽殿があり、正面にコンクリート造の白い拝殿。
拝殿の後方、ブロック塀に囲まれて
国の重要文化財に指定されている桃山時代建立の本殿が鎮座している。

第四十三代元明天皇の御代、和銅年間の創祀。
当時は、甲斐国中は大半が湖水であったといい、
時の国司が巡見し、湖水を引けば良き田となるであろうと
朝廷に奏聞し、許可を得て、
さらに、国造神である大己貴命に祈願して土を起こし
鰍沢口を切り開き、富士川より南海に水を落とすことに成功。
よって湖水の大半が退き、良田となったという。

ひとえに御神徳を賜物と、勅命を以て勧請し、
穴切大明神と称し、国中鎮護の神として崇敬されたのが当社。

投稿者 GenSyouShi : 00:26 | こめんと (0)

 

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