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2009年11月27日

吉御子神社 (湖南市)

滋賀県の 吉御子神社(湖南市) を掲載しました。

滋賀県湖南市にある。
石部駅の南1Kmの石部西に鎮座。
JR線路の南側を走る118号線から南へ入る。

参道入口の左手に「内侍所御泊輦遺跡」と刻まれた石碑が建っており
右手には「吉御子神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり、砂利の参道を進むと突き当たりに広い境内がある。

参拝は年末、休日の午後。
すでに陽は山に沈んでいたので、写真は暗め。

境内奥、石組の上に拝殿があり、その後方、階段上に中門。
中門の奥に、垣に囲まれた流造の本殿がある。
元治元年、社殿が大破したため
山城国上賀茂神社の旧社殿を移築したのが現在の本殿らしい。

本殿の階段左右に、金銀の美しい狛犬が座っている。

社伝によると、
崇神天皇六十八年、石部山に神降り
垂仁天皇二年、宇加之彦の子が、吉比古・吉比女の二神を
黒の御前に祀ったのが、当社の起源。

嵯峨天皇弘仁三年、山崩れにより、現社地に遷座し
承平五年、吉御子神社と改称した。

投稿者 GenSyouShi : 21:08 | こめんと (0)

2009年11月25日

春日神社 (網野町)

京都府の 春日神社(網野町) を掲載しました。

京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・網野駅の北西3Kmほどの網野町島津に鎮座。
網野町の中心部から53号線を東へ。
663号線との交差点の100mほど西に、
53号線に面して、南向きの境内がある。

石垣に囲まれた砂地の境内で、
入口の鳥居の右手に「村社春日神社」と刻まれた社号標が建っている。
鳥居をくぐると、正面に社殿。
社殿へ続く参道には、狛犬と灯籠が交互に並んでいるが、
灯籠の背が高く、四角形の角柱の上に乗っていて面白い形だ。

拝殿は入母屋造のどっしりとした構え。
拝殿の後方には、流造の本殿が鎮座。

本殿の右手に、少し小振りの境内社・床尾神社がある。
床尾神社の右手に西向きに4つの祠が並んでいる。
左の3つには社名の他に「・・・之神」と書かれた木札が掲げられていた。
左から、宮垣神社(平和之神)、嶋森神社(幸福之神)、早尾神社(健康之神)。

一番右手には、社名のみで布留宝神社。
他の3社は、周辺地元地域に祀られていた神々だと想像できるが
「布留宝神社」とは興味深い社名だ。十種の神宝を祀っているのだろうか。

拝殿の左手に鳥居が建っており、奥には、御神木らしき木と社日。
そして東向きに小祠が一つあるのだが、社名を確認するのを忘れてしまった。

当社は、寛永十二年(1635)三月に再興された神社で、
明治六年村社に列した。

本殿右手の床尾神社は、
式内社・床尾神社に比定されている古社。

投稿者 GenSyouShi : 03:12 | こめんと (0)

2009年11月21日

神崎神社 (神崎町)

千葉県の、神崎神社(神崎町) を掲載しました。

千葉県神崎町にある。
下総神崎駅の北西1.5Kmほどの神崎本宿に鎮座。
利根川のすぐ南、神崎大橋の近くに境内がある。

356号線の神宿交差点から当社境内へ入る車道があるが、
表参道入口は、交差点の少し東。
356号線に面して階段があり、階段上に鳥居が建っている。

階段を上り、木々に囲まれた参道を進む。
当社の境内は広大な森で、全域が天然記念物になっている「神崎の森」。
その森を抜ける参道を進むと、広い境内があり、
境内中央に大きな拝殿がある。

拝殿の後方に、流造の本殿。
拝殿の右手には、天然記念物の大樟「なんじゃもんじゃの木」が聳えている。
延宝二年(1674)四月、水戸光圀が当社へ参詣した折、
「この木は何というもんじゃろうか」と自問し感嘆したといい
それ以来「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになったという。
境内案内では「クス」とあるが、『明治神社誌料』では「山桂樹」。
昔は、湯津桂と記されていたようだが。

創祀年代は不詳。
社伝によると、白鳳二年、
常陸国・下総国の境、大浦沼の二つ塚より現在の地に遷座。
現在地は、小松村字神崎の双生山と云ったらしく、
当社は、三代実録記載の子松神(小松神)であるという。

投稿者 GenSyouShi : 18:15 | こめんと (0)

2009年11月19日

須波阿湏疑神社 (池田町)

福井県の 須波阿湏疑神社(池田町) を掲載しました。

福井県の池田町にある。
池田町役場のすぐ南、476号線に面して境内入口がある。
476号線を挟んで向かい側の空き地に、
一里塚の保塁があり、その上に道祖神が祀られている。

境内入口は西向き。
小さな石橋があり、朱の大きな一之鳥居が建っている。
参道を東へ進むと、稲荷の赤山門とと呼ばれている赤い楼門。
さらに参道を進むと、社殿のある境内。
参道の長さは100m以上あるかもしれない。

二之鳥居をくぐり階段を上ると大きな拝殿。
元禄二年の建立で、池田町の文化財に指定されている。

拝殿の後方にも階段があり、階段上に鳥居が建っていて
その奥に、覆屋根に納まった三間社流造の本殿。
延徳三年の建立で、こちらは旧国宝、国の重要文化財になっている。

参拝は四月終りの連休だったが、
本殿の周囲には雪が解け残っており、
寒いと言うより、キリッとした空気の境内だった。

本殿後方、裏山の中腹に「稲荷の大杉」と呼ばれる御神木がある。

通称は、池田惣社、お稲荷さん。
池田郷四十八ヶ村の惣社として崇敬された神社で、
式内社・須波阿須疑神社三座の論社となっている古社。

投稿者 GenSyouShi : 18:17 | こめんと (0)

2009年11月15日

靖国神社

東京に住んでいた頃、何度も前を通ったのだが、なかなか参拝できず、長野に引っ越して、東京出張の合間に、ちょこっと参拝した神社。
東京なので、また参拝することもあるだろう、その時に写真を取り直そう、などと思っていたのだが、すでに五年が経過。
サラリーマンを辞めてしまったので、東京出張も無いのだなぁ、などと考え、掲載しておくことにしました。

すでに掲載しているページの見直しを、ボチボチと行っているが、とりあえずこれで官国幣社はひと段落したことにするのだ。

東京の 靖国神社 を掲載しました。

東京都千代田区九段にある。
都営新宿線、半蔵門線、東西線の九段下駅の西側に表参道入口がある。
緩やかに上る坂道の上に大鳥居が建ち、参道を進むと、
参道中央に大村益次郎の銅像。
大村益次郎に見下ろされながら参道を進み
二の鳥居をくぐり、大きな神門をくぐると、
正面に大きな社殿が見えてくる。

明治維新達成において犠牲となった殉難者をはじめ、
諸事変・戦役において国事に殉じた英霊二百四十余万柱を祀る神社。

明治元年六月二日、東征大総督・有栖川宮熾仁親王が江戸城に於いて
幕府軍追討のため関東・奥州の各地で戦没した将兵の慰霊祭を行った。

明治元年五月に、京都東山に霊山招魂社(霊山護国神社)が設けられ
翌二年三月、東京遷都にともなって、各藩内に招魂社設立の機運が高まった。

東京では、軍務官知事仁和寺宮嘉彰親王の命を受けた
軍務官副知事・大村益次郎らは、九段坂上の旧幕府歩兵頓所跡を社地に選定。
明治二年六月二十七日、東京招魂社の仮本殿が竣工され、
これが当社の創祀。

投稿者 GenSyouShi : 02:50 | こめんと (0)

2009年11月14日

談山神社

まだ二十世紀だった頃、十年前の参拝。
時間がなくて、駆け足で参拝し、御破裂山や談い山に行っておらず、
奈良だから、いつか必ずもう一度行くだろう、と思い続けて十年経ってしまった。

ということで、心残りだけれども、
奈良県の 談山神社 を掲載しました。

奈良県桜井市にある。
桜井駅から南へ7Kmほどの多武峰に鎮座。
37号線を南下し、155号線に入って西へ500mほど。

中大兄皇子(天智天皇)に協力して「大化改新」を成しとげた藤原鎌足を祀る神社。

藤原鎌足の長男定慧が、天武天皇白鳳七年(679)帰朝し、
弟不比等と相談の上、鎌足公生前のゆかり地である多武峯に改葬し、
十三重塔婆、講堂を建立して妙楽寺と称した。

後、文武天皇大宝元年(701)方三丈の神殿を建て、
鎌足公の御神像を安置したのが当社の創祀。

明治維新後、「かたらい山」の故事から「談山神社」と名づけられ、
明治七年、明治天皇の勅により別格官幣社に列せられた。

投稿者 GenSyouShi : 05:39 | こめんと (0)

2009年11月13日

鵜江神社 (矢掛町西川面)

岡山県の鵜江神社(矢掛町西川面)を掲載しました。

岡山県矢掛町にある。
井原鉄道・矢掛駅の西2Kmほどの西川面に鎮座。
486号線から数百メートル北上した所、
星田川の西に、田に面して南向きの境内がある。

参拝は年末の休日。
境内では、地元の方々が迎春の準備中で、
ちょうど鳥居に国旗を掲げていたので、
遠慮して、少し遠くから撮影。
ということで、鳥居や境内正面からの写真は撮っていない。
邪魔にならないように境内に入り、
軽く参拝して、数枚の写真を撮っただけ。

境内に入ると正面に神門があり、
神門から拝殿まで廊下が続いている。
拝殿の後方には、流造の本殿があるのだが
全体が真赤というか真朱の本殿。
屋根も柱も壁も、すべて朱色だった。

社号の「鵜江」は、「うのえ」とも「うごう」とも読まれるようだ。

社伝によると、
仁徳天皇の勅令により、吉備津神社五社の神殿、
ならびに七十二の末社を創建した、その末社の一社。

祭神は吉備津彦尊だが、
一説には当地の国神・樂々森彦命。
垂仁天皇の御代、吉備津彦命が温羅という賊を退治した時
水際に逃げた温羅を、樂々森彦命が見事に捕らえ、
その姿が鵜のようであったといい、その功によって鵜江神という。

投稿者 GenSyouShi : 00:50 | こめんと (0)

2009年11月 9日

必ずメールの返事は書きますか?

インターネットで色々と検索していたら、「玄松子」さんは、メールしても返事がないという書き込みを発見。

自分では、そういう風に考えたことがないので、過去一年間程度のメールをザッと軽く確認してみた。
確かに返事を書いていないメールは多い。
だが、質問に対してはすべて返事を書いている様子だし、間違いの指摘には必ず返事を書いている「はず」。

で、返事を書いてないメールは、どんなメール? と考えてみた。

1.相互リンクしてください・・・
昔は一々返事を書いていたが面倒になってやめた。リンクって意図して相互にするものではないと考えています。先方がどんなサイトかわからないのにリンクできないし、僕が全く興味を持てないサイトにリンクするつもりもないし。

2.いつも見ています・・・
とても有難いメールです。感謝しながら読んでます。でも、どんな返事を書いてよいのか迷います。迷っている間に忘れてしまいます。すみません。

3.私はXXX神社に行きました・・・
はぁ、そうですか。羨ましいです。 羨ましいので返事は書きません。

4.XXX神社を載せてください・・・
僕が参拝した神社しか掲載できませんし、参拝していたとしても掲載するかどうか気分次第。載せる時は載せますが、載せない時は載せませんから、返事のしようがありません。

5.何が言いたいのか、何が書いてあるのかわからないメール。
放置です。

6.いきなり添付ファイルがあるメール。
削除です。

こう考えてみると、返事を書かないメールが多いです。
普通なら返事を書くのでしょうか。
知らない方から来たメールには、かならず返事を書くものなのでしょうか。

そういえば、このブログへのコメントにも返事を書かないことがありますが、それも変ですかねぇ。
返事を書くようにした方が、みんな幸せになりますか?

投稿者 GenSyouShi : 03:33 | こめんと (6) | 9. 雑…ふと思う

井上神社 (養父市)

兵庫県の 井上神社(養父市) を掲載しました。

兵庫県養父市にある。
八鹿駅の西16Kmほどの吉井に鎮座。
八木川に沿って、9号線を15Kmほど西へ。
八木谷川と八木川が合流する辺りで、
87号線へ入って、さらに西へ1Kmほど進む。

「上吉井」というバス停から北へ入ったところ。だが、
バス停は移動したり無くなったりするので、今でもあるかどうかは分からない、

とにかく、その辺りから当社への参道が北へ延びている。
参道には「式内井上神社」と刻まれた社号標が立っている。
鳥居は修理中で、鉄パイプで補強されている状態だったので、
注意しながら、鳥居を避けて参道を進んだ。
参道の長さは、100mは無かったと思う。そんな長さ。
参道を上りきると境内。
境内奥の石組の上に社殿がある。

階段を上ると正面に拝殿。
拝殿の左手に意味ありげな石があり灯籠が立っていたが、磐座だろうか。
拝殿の後方に廊下が延びて、本殿の覆屋があり、内部に本殿。

社殿は全体的に朽ちた雰囲気だが、
本殿の左右や、廊下、拝殿の屋根の下などに
電球が並んでおり、祀りは真摯に執行されている印象だ。

天平二年の創祀と伝え、
式内社・井上神社二座に比定されている古社。

投稿者 GenSyouShi : 02:16 | こめんと (0)

2009年11月 4日

下新川神社 (守山市)

滋賀県の 下新川神社(守山市) を掲載しました。

滋賀県守山市にある。
野洲川の河口部から1Kmほどの幸津川町に鎮座。
守山市役所中洲支所の側に境内がある。

境内入口は、477号線に面して南西向き。
境内の向かいの歩道脇に「舟着場跡」という石碑が建っていた。
当社祭神・豐城入彦命が丸太のイカダに乗って
琵琶湖を渡ってきたという伝承があるらしいが
そのイカダが着いた場所だろうか。

社前の石橋の奥に鳥居が建っており、
きれいに整備された砂利の参道が北東へ延びている。
参拝は年末の休日、曇天の早朝で、やや暗かったが、
晴天の日なら綺麗な写真が撮れたかもしれない、
などを考えながら参道を歩く。

参道途中には「祓戸大神」と刻まれた石碑があり、
参道脇の林の中に、境内社が祀られている。
参道の突き当たりに倉があり、左手へ曲がると社殿。
ということで、社殿の向きは南東向き。

境内中央に、入母屋造の大きな拝殿があり、
拝殿の後方、少し離れて垣に囲まれた本殿がある。
垣の前に「神使おしどり」と刻まれた石柱があり
上に鴛鴦の彫刻が乗っていた。

垣の中の本殿は、覆屋根の中。

投稿者 GenSyouShi : 22:33 | こめんと (1)

2009年11月 1日

粟野神社 (長野市上野)

長野県にある、粟野神社(長野市上野) を掲載しました。

長野県長野市にある。
JR信越本線・北長野駅の北3Kmほどの上野に鎮座。
長野電鉄・信濃吉田駅を超えて、60号線(北国街道)を北上。
浅川を渡り、駒沢川を越えて、
そのまま北上すると60号線バイパスに合流するが、
その手前200mほどの交差点の角に境内がある。

境内入り口は西向き。
朱の両部鳥居の右脇には百度石があり、
左脇には幸神と猿田彦大神と刻まれた石が祀られている。

鳥居をくぐると、木々に覆われた境内で、
鎮守の森という言葉がぴったりな神社。
境内には滑り台や鉄棒などの遊具が置かれており
近所の子供たちの遊びの場となっているのだろう。

境内中央の参道を進むと、正面に社殿。
拝殿には、大きく「五穀豊穣」と書かれた額が掛けられている。
拝殿の後方に、白壁の社殿があるが、たぶん本殿を納めた覆屋だろう。

境内左手には、石祠がいくつか並んで祀られている。

創祀年代は不詳。
永禄年間の兵火にかかり、焼失したため
古記録等は残っていないらしい。

式内社・粟野神社の論社。
神社の東方の原を「粟野の原」というらしく、
鎮座地名の「上野」は「粟野」からの訛りとする説もある。

投稿者 GenSyouShi : 01:08 | こめんと (5)

 

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