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2009年7月27日
ツール終了
今年のツールが終わってしまった。
最終日、シャンゼリゼで逃げ集団に入った別府を見て、
捕まることは分かっているのに、ドキドキ。
ラスト一周で集団に飲み込まれてしまったが、なんと、最終日ステージ敢闘賞を獲得。
すごい!!
通常ステージなら表彰台に乗るのに、最終日は全体の敢闘賞の表彰だけで残念。
ゴール前スプリントでは新城の位置取りに注目していたが、
ガーミンのせいで純粋なスプリント勝負とならず残念。
結果的に新城は20位だったけど、でも、すごい!!
とにかく無事に完走できておめでとう。
投稿者 GenSyouShi : 01:23 | こめんと (2)
2009年7月26日
蛭兒神社 (久美浜町)
京都府の 蛭兒神社(久美浜町) を掲載しました。
京都府京丹後市にある。
久美浜湾の出口近く、湊大橋の東側に境内がある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線の丹後神野駅から久美浜湾沿いに
49号線を3Kmほどだが、当社付近には民宿などが多いようで、
道が少し狭くなったり、クネクネと曲がっているので
もう少し距離があるかもしれない。
小学校の側、道路に面して南向きの境内。
境内入口には「蛭児神社」と刻まれた社号標が建ち、
数段の階段を上ると、石垣に囲まれた砂の境内。
境内右手には多くの石碑が並んでおり、
左手には、寛政十一年奉納された
「千石船三社丸」の模型が展示されている建物。
正面に入母屋造の拝殿があり、
後方の垣の中に社殿が三つ並んでいる。
中央が当社本殿、左右が摂社・日御前神社と大川神社。
「千石船三社丸」の名は、当社・蛭児神社と日御前神社・大川神社に因んだ名。
垣の右手に、朱の鳥居の境内社があり
中には天満宮と稲荷神社が祀られている。
当社社号は「蛭児」と書いて「ヒルコ」と読む。
通称は、日間の宮(ひまのみや)。
古来、日留居大明神と称された神社。
元は当社の西、大向にある四神ヶ嶽(173.5m)に奉斎されていたが
建暦年間(1211~1213)現在地に遷座。
玉葉集に鎌倉右大臣の歌
「神風や朝日の宮の宮移しのどかなる世にこそありかれ」
は、当社の遷座を歌ったものという。
投稿者 GenSyouShi : 00:32 | こめんと (0)
2009年7月23日
山神神社 (養父市)
兵庫県の 山神神社(養父市) を掲載しました。
兵庫県養父市にある。
八鹿駅の西5Kmほどの八鹿町八木に鎮座。
9号線の北側、お寺の脇に参道入口があり、
緩やかな坂道を100mほど登る。
途中、参道の右手に稲荷社らしき赤い祠があるが、
当社の末社だろうか。
さらに参道を進み車道を越えると境内。
境内は、緑の雑草に覆われているが、
ちゃんと定期的に刈り込まれている様子。
境内中央に参道があり、右手奥に参籠所と社殿がある。
本殿は覆屋の中だが、覆屋の前面は開放されており
中の本殿を見ることができる。
本殿の扁額には「山神社」と記されており、
たぶん「やまのかみのやしろ」と読むのだろう。
緑の境内には「垣」はなく、明るい太陽の下
非常に開放的な印象の神社だ。
創祀年代は不詳。
式内社・夜伎村坐山神社に比定されている古社。
夜伎村(八木)に鎮座する「山神社」ということ。
祭神は『式内社調査報告』には、伊弉冉命・速玉命・事解之男命とあり
『兵庫県神社誌』には、三柱に加えて
忍穂耳之尊・瓊々杵之尊の名が記されていた。
また、別の資料では大山祇命や八木明神などとある。
投稿者 GenSyouShi : 02:52 | こめんと (0)
2009年7月20日
齋神社 (養父市)
兵庫県の 齋神社(養父市) を掲載しました。
兵庫県養父市にある。
播但線・新井駅の北西8Km、養父駅の南西10Km(道なりに17Km)。
建屋川に沿って走る70号線に面して境内がある。
道に面して鳥居が建ち、右手に駐車スペース。
鳥居の左手には「郷社齋神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐった参道は木々に囲まれ、
強い日差しを遮って、涼しげな境内。
参道を進み、階段を上ると社殿があるが、
拝殿は入母屋造で、後方の本殿は流造。
境内の左右に境内社が幾つか並んでいる。
左手に、大きな楯縫神社と、招魂社、歳徳金社。
右手に、琴平社と社名を確認できなかった境内社があった。
琴平社の隣に、結果された四角形の場所があり
細い木が植えられていたが、御神木だろうか。
当社社号は「齋」と書いて「イツキ」と読む。
聖武天皇天平二年(730)の創祀。
当初は現在地より300mほど隔てた丘陵に鎮座していたが
『兵庫県神社誌』によると、永承十六年現在地に遷座とあるが、
永承は八年までしかないので、誤記あるいは誤謬かも。
境内社の楯縫神社は、式内社・楯縫神社の論社。
「神祇志料」には「楯縫神社 齋明神といふ」とあり
昔は境内社ではなく、齋神社そのものを楯縫神社と考えていたようだ。
楯縫神社と考えられる理由は、
祭神に彦狹知命が含まれること。
さらに鎮座地の「建屋」と「楯縫」の音の近さによる。
投稿者 GenSyouShi : 21:59 | こめんと (0)
2009年7月18日
須波岐部神社 (綾部市)
京都府の 須波岐部神社(綾部市) を掲載しました。
京都府綾部市にある。
綾部駅の北西5~6Kmほどの物部町横椽に鎮座。
9号線から東へ1Kmほど入った場所に参道入口がある。
右手には燈篭が建ち、左手に小さな社号標。
参拝は夏休みの早朝。
参道奥の社域の背後には、朝靄が立ち込めて幽玄な雰囲気だったが
参道を進んでいるうちに、朝靄は消えてしまった。
参道を進むと鳥居が建っているが、
笠木(鳥居上部の横棒)が、湾曲した形状で面白い。
大きな扁額には「須波岐部神社」と社号が刻まれている。
鳥居をくぐり、参道を緩やかに登ると境内。
広場のような境内の奥、石垣の上にさらに境内。
その境内の奥、石垣の上に社殿があり、
石垣の左手前に境内社が二つ。
社殿は、本殿を納めた覆屋。
内部の本殿は、元和九年(1623)に再建された木造流造。
覆屋の左横には、大きめの境内社があり、
本社同様、大切に祀られている様子。
社伝によると、大同二年(807)、
須波伎山に創祀されたという。
三代実録の貞観十一年(869)十二月八日の条に
「授丹波國正六位上物部簀掃神従五位下」とある古社で
物部簀掃神と称されていたらしい。
投稿者 GenSyouShi : 20:42 | こめんと (0)
2009年7月16日
長彦神社 (大垣市)
岐阜県の長彦神社(大垣市) を掲載しました。
岐阜県大垣市にある。
関ヶ原駅の南8Kmほどの上石津町一之瀬に鎮座。
365号線を延々と南へ下り、名神高速を越え、牧田川を渡る。
365号線は2度、牧田川を渡るが、
2度目に渡ってすぐ、川西の交差点で、牧田川に沿って左折すると
川に面した境内が見えてくる。
緩やかな坂道に面して鳥居が建ち
鳥居の左手に「長彦神社」と刻まれた社号標。
広い境内の左寄りに入口があり、
鳥居をくぐると正面に社殿。右手は広場になっている。
拝殿は入母屋造。その後方、玉垣の中に流造の本殿。
参拝は年末の休日。
境内の隅や、社殿の屋根に雪が残っており、
川の側にあるせいか、背筋が伸びるほどの寒い日の午後。
境内の木々も、葉が落ちて寒々としていた。
だが、燈籠の屋根や境内隅の石には
ドキッとするほどに青々とした苔が生えていた。
苔は寒さに強いのだろうか。
社伝によると、
天武天皇白鳳四年(675)四月、
『全国神社名鑑』によると、白鳳四年から和銅元年までの間に
小柴美濃王と佐伯広足によって
大和国の龍田の風神を勧請したのが創祀。
投稿者 GenSyouShi : 23:37 | こめんと (0)
トップページ変更
「玄松子の記憶」 トップページを変更。
横にスライドしていた写真を縦にして、中央に配置。
バランスが良くなった?
投稿者 GenSyouShi : 04:35 | こめんと (0)
2009年7月15日
Movable Type アップデート version 4.261
最近スパムコメントが多くなったので、ブログに使用している Movable Type のバージョンを上げることにした。
これまでの version 3.33-ja を version 4.261 へ。
データをバックアップして、新しいバージョンをアップロードし、設定開始。
自動的にアップデートが完了し、さて、新バージョンで 全再構築を開始したのだが・・・
メインページの構築で以下のエラーが発生
"Can't call method "date_based" on an undefined value"
何の事やら・・・
仕方がないので、メインページのテンプレートを少しずつ削って 再構築トライ。
問題はカテゴリー一覧の記述にあり。
各カテゴリーの記事数を表示する目的で <$MTArchiveCount$> を使用しているのだが、これがエラーとなっている様子。
ネットでいろいろ調べた結果、 <$MTArchiveCount$> の代わりに <$MTCategoryCount$> を使用してもカテゴリー数が表示できるようなので修正。
再構築でのエラーが解消され、今日から version 4.261 の 「玄松子のぶろぐ」です。
投稿者 GenSyouShi : 21:17 | こめんと (1) | 1. 告…お知らせ
2009年7月14日
鹿蒜神社 (南越前町)
福井県の 鹿蒜神社(南越前町) を掲載しました。
福井県の南越前町にある。
南今庄駅の北東1Kmほどの南今庄に鎮座。
207号線から北へ入った場所。
鹿蒜(かひる)川にかかる帰(かえる)橋を渡ると
集落の奥、山の麓に境内がある。
参道階段を上ると鳥居があり、
右手に大きな木が聳え、左手に「式内鹿蒜神社」と刻まれた社号標。
当社の社号「鹿蒜」は「かひる」と読むが
「かえる」とも「かいる」とも呼ばれているらしい。
当地も昔の資料には「帰村」とあり
帰橋の名も、その変化の名残だろう。
鶴賀郡の式内社に所在不明の「加比留神社」があるが
当社とも地名由来の社号であるという。
鳥居をくぐると境内の奥に、石組があり、
中央に瓦葺入母屋造の拝殿。
拝殿には「明神通誠至」と書かれた扁額が掲げられている。
拝殿の後方に狭い石の階段があり、
上には瓦葺入母屋造の本殿がある。
ひょっとすると、この社殿は覆屋で中に本殿があるのかもしれないが
資料には瓦葺流造とある。
社伝によると、文武天皇二年(698)三月十五日の創祀。
式内社・鹿蒜神社に比定されている古社。
投稿者 GenSyouShi : 20:55 | こめんと (0)
2009年7月12日
岩根神社 (江津市)
島根県の岩根神社(江津市)を掲載しました。
島根県江津市にある。
江津駅の南西1.5Kmほどの嘉久志町に鎮座。
9号線と9号線バイパスの間に境内がある。
表参道は東側(やや南向き)。
柏紋を付けた燈篭が建ち、石鳥居から緩やかに登る参道。
南側には白い鳥居が建っており、階段の前で表参道と合流。
参道階段を上ると砂の境内。
参道を進み階段を上ると、瓦葺の拝殿がある。
拝殿の後方には流造の本殿。
本殿の左手に境内社の祠があるが、
左に一つ離れた金毘羅神社。
右に、幾つかの神社を祀った祠がある。
祀られているのは、
左から、荒神神社、稲荷神社、護王神社、皇子神社、王子神社。
寛永二十一年甲申八月出雲国日御碕神社より勧請。
平成六年には鎮座三五〇年祭が執行されたという。
明治六年村社に列した神社。
『式内社調査報告』には、式内社・山邊神社の論社(類社)が
明治四十二年五月十日、境内社・稲荷神社に合祀されたと記されている。
投稿者 GenSyouShi : 20:30 | こめんと (0)
2009年7月 8日
天満宮 (おおい町)
福井県の 天満宮(おおい町) を掲載。
福井県のおおい町にある。
小浜駅から南西へ162号線で17Kmほどの名田庄下に鎮座。
南川に沿って162号線を進み、
名田庄体育館を過ぎて1.5Kmほどで北へ入ると苅田比賣神社があるが、
苅田比賣神社から西へ300mほどの位置。
道の北側に小さな境内がある。
正確な場所はよく覚えていないが、
近くにお城のような建物(個人宅?)があったような、無かったような。
そんな場所。
石組の上に、背の高い木が聳え、
その根本、木陰の中に社殿があるだけの簡素な神社。
社殿前の燈籠に「天満宮」と刻まれていたので
なんとか社号を確認できる。
一説には、苅田比賣神社の古社地であるという。
投稿者 GenSyouShi : 23:28 | こめんと (0)
2009年7月 7日
苅田比賣神社 (おおい町)
福井県の 苅田比賣神社(おおい町) を掲載。
福井県のおおい町にある。
小浜駅から南西へ162号線で17Kmほどの名田庄下に鎮座。
南川に沿って162号線を進み、
名田庄体育館を過ぎて1.5Kmほどで北へ入ると境内がある。
社前の川に橋がかかっており、橋の向こうに社域の森。
森の入口に石鳥居が建っており、
鳥居の左手に「式内村社 苅田比賣神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると広い境内で、
周囲に木々が聳え、まるでドームの中。
境内奥に青い屋根の拝殿があり、
その後方、石垣の上に同じく青い屋根の本殿覆屋がある。
本殿内部には御神像十二体、薬師如来像一体が安置されているとか。
神仏習合によって、当社の本地は薬師如来であった。
社殿の右手に、天然記念物の大きなムクの木があり、
根本には境内社らしき祠が祀られている。
延宝三年(1675)の『由緒記』では、
大同二年(807)三月十六日の創祀。
明細帳では、大同元年の建立。
貞享三年(1688)の棟札では、
平城天皇の御宇、大同二年の建立。
投稿者 GenSyouShi : 19:52 | こめんと (0)
玄松子
毎日暇なので、ツール・ド・フランスの放送を見ながら、「玄松子」で検索してみた。
多くの方々にリンクしていただいて、改めて、ありがたいと思った。
ありがとうございます。
で、いくつかのブログで気になるモノがあるので、ここで訂正。
玄松子は神職ではありません。先月まで普通のサラリーマンでしたが、現在無職(職探し中)です。
玄松子は著作などをしておりません。
『玄松子の記憶』『玄松子のぶろぐ』などのサイトを運営しておりますが、紙媒体での仕事はしておりません。というかサイト運営は仕事じゃないし。趣味だし。お金無くなればサイトは閉じるしかないし。
ついでに、
たまに、リンク許可をお求めのメールをいただきますが、『リンクは自由』、これがポリシーですので、リンクするのもリンク外すのも、サイト作者の思うがまま、なのです。
さらについでに、
たまに画像やエクセルファイルなどのデータを添付したメールをいただきますが、物騒な世の中なので知人以外からの添付メールは開きません。
サラリーマン時代は、仕事関連の文書も自宅で作成していたので、変なウィルスに侵されないように注意していましたから、時間や興味があればウィルスチェック後に開封しますが、通常は削除してしまいます。
ですから、「メールしたのに返事がない」とお怒りの方々はご容赦ください。
というか、筆不精なもので、僕はあまりメールに返事を書きません。すみません。
このブログへのコメントにも返信することは少ないし。すみません。
投稿者 GenSyouShi : 00:04 | こめんと (4) | 1. 告…お知らせ
2009年7月 5日
住吉神社 (静岡市)
静岡県の 住吉神社(静岡市) を掲載しました。
静岡県静岡市にある。
静岡駅の西1.5Kmほどの一番町に鎮座。
362号線(昭和通り)から一本北へ入った道に境内がある。
境内入口は南西向き。
アスファルトの境内は小さく、数代の車が駐車され、
駐車場を兼ねているような、典型的な街中の神社。
境内入口の鳥居には「住吉神社」の扁額がかかっているが
鳥居右手の社号標には「神饌幣帛 供進指定 中津神社」と刻まれている。
当社社号は、以前は中津神社と称していたが、
現在は住吉神社が正式名となっているらしい。
境内の奥に、瓦葺の社殿が一つ。
中に本殿が格納されている感じだが、
扉が閉まっていて中を確認していない。
社伝によると、天平神護元年三月の創祀。
明治八年二月に村社に列した神社。
投稿者 GenSyouShi : 21:37 | こめんと (0)
2009年7月 4日
ツール・ド・フランス
いよいよツール。
新城がんばれ! 別府がんばれ! 今中ひっこめ!!
投稿者 GenSyouShi : 23:12 | こめんと (1)
油日神社 (甲賀市)
滋賀県の 油日神社(甲賀市) を掲載しました。
滋賀県甲賀市にある。
草津線・油日駅の東2Kmほどの油日に鎮座。
油日岳(698m)の北西麓に境内がある。
杣川に沿うように131号線を東へ進み、
神宮寺あたりで131号線から東へ入ると、
参道入口の鳥居が建っており、
鳥居の右手に「縣社油日神社」と刻まれた古い社号標。
鳥居をくぐり参道を進むと左手に手水舎。
さらに参道を進むと、石垣に挟まれた参道の奥に
重要文化財である回廊付きの楼門。
左右の回廊が両手を広げて参拝者を迎えているような感じ。
楼門をくぐると社殿のある境内。
境内左右には楼門から続く回廊があり、
正面には、これも重要文化財の拝殿。
拝殿扁額には、大きく「鎮護」の文字が描かれている。
拝殿の後方、垣に囲まれて同じく重要文化財の流造本殿。
本殿の左手前には、樹齢750年、樹高35mの
県指定自然記念物のコウヤマキが聳えている。
創祀年代は不詳。
社伝によると、用明天皇、あるいは天武天皇の頃であるという。
当社を式内社・川枯神社とする説があるのだが
当社は、三代実録に元慶元年(877)十二月三日、
「授近江国正六位上油日神従五位下」とあり、
同じく三代実録に貞観三年(861)四月八日、
「授近江国従五位下川枯神正五位下」とあり、
近接した時期に二社は別の神社として記載されており
川枯神社の方が、油日神社より上位に位置づけられている。
投稿者 GenSyouShi : 23:09 | こめんと (0)
2009年7月 2日
小幡神社 (亀岡市)
京都府の 小幡神社(亀岡市) を掲載しました。
京都府亀岡市にある。
亀岡駅の西3Kmほどの曽我部町に鎮座。
亀岡駅から西へ進み、京都丹波道路を越えてさらに1Kmほど。
372号線から、亀岡運動公園野球場辺りで南下して400m。
犬飼川の西岸に境内がある。
車道から下る階段が参道。
参道脇には「延喜式内 小幡神社」と刻まれた社号標。
参道入口は狭く、小さな境内を想像させるが
参拝すると懐の深い神域であることがわかる。
階段を下ると、砂利の参道に鳥居が建っており
参道を進むと拝殿がある。
拝殿の奥、階段の上に本社社殿があるが、
階段手前、境内左右に境内社がある。
右手には、祖霊社・百太夫社があり、脇に大きな石。
左手には、愛宕社があり、脇に社日がある。
社日とは五角形の石の柱に五柱の神々を刻んだもの。
出雲などの山陰に多く見られるものだが、
亀岡は出雲文化の影響が残っている地ということだろうか。
ちなみに、刻まれている五柱の神々は、
農業祖神・天照大神、五穀祖神・倉稲魂命、五穀守神・大己貴命、
五穀護神・少彦名命、土御祖神・埴安媛命。
階段を上ると正面に流造の本殿があり、
本殿前には参拝用の屋根が付けられている。
創祀年代は不詳。
社伝によると、開化天皇の第二皇子・崇神天皇の十年、
四道将軍丹波道主命が崇神天皇の父・開化天皇を祀ったのが当社の起源。
開化天皇の第三皇子・彦坐王と彦坐王の御子・小俣王を配祀した古社で、
和銅元年(708)大神狛麻呂が社殿を造営したという。

















