豊受大神社 (元伊勢外宮)

京都府の 豊受大神社(元伊勢外宮) を掲載しました。

京都府福知山市(旧大江町)にある。
北近畿タンゴ鉄道宮福線の大江高校前駅の北、歩いて1Kmほどの天田内に鎮座。

9号線と由良川支流・宮川に挟まれた舟形の小山・舟岡山に境内があり、
九号線に面して参道入口がある。

参道の階段を上ると、砂利の境内。
社殿のある境内には、生木を用いた黒木鳥居をくぐる。
黒木鳥居をくぐり、左手に進むと境内。

境内中央に拝殿があり、後方に茅葺神明造の本殿。
拝殿の左右には、別宮の多賀之宮と土之宮が祀られている。

本社社殿を取り巻くように、境内の左右・後方に境内社が並んでいる。

また、『神社名鑑』や『神社辞典』には、当社は旧府社とあるが
『日本の神々』には旧村社となっている。
明治期の郷社以上が記載されている『明治神社誌料』には
当社の記載がなく、村社が正しいのかもしれないが・・・
いずれにしろ、当社で確認すれば良かったのだが、忘れてしまった。

創祀年代は崇神天皇の御代。
天照大神が倭国笠縫邑から当地へ還幸の際に創祀されたという。

旧号を与佐宮と称し、御山を比沼の真名井ヶ原と呼ぶ。

伊勢外宮の縁起を伝える
延暦二十三年(804)の『止由気宮儀式帳』によると
伊勢外宮は、丹波国比治真奈井に鎮座する豊受大神を遷座したものとある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:37 PM

小槻神社 (草津市)

滋賀県の 小槻神社(草津市) を掲載しました。

滋賀県草津市にある。
草津駅の南東3Km、南草津駅の東3Kmほどの青地町に鎮座。
名神高速の近くに境内がある。

境内入口は西向き。
鳥居の脇に「式内 小槻神社」と刻まれた社号標が建っている。
鳥居をくぐり参道を右手に進むと、
石垣の上、社殿の建っている砂利の境内。
この石垣は、明治14年の造営の際
発見された古墳の石材を用いたものらしい。

階段を上ると境内中央に拝殿。
参拝は、年末の休日。
迎春準備のためか、拝殿には紅白の幕が付けられていた。

拝殿の後方、石組の上に、
垣に囲まれて、流造の本殿。
本殿の左右に、境内社の祠があり、
透垣の間から、見ることができる。

案内によると、本殿の右が日吉社・貴布祢社で、
左が恵比須社・熊野社。
ただ、左の祠は三扉なので、
もう一社(あるいは一座)祀られているのではないか、と思う。

創祀年代は不詳。

当地方に勢力のあった小槻山公が
その祖・於知別命を祀ったのが創祀だと思われる。

天徳三年、志津池のほとりの現在地に遷座され、
「池の宮」と称されていた。
(古社地は不明)

式内社・小槻神社に比定され、
天正九年宗源宣旨に、正一位池宮大明神の号証を残した古社。
中世には天児屋根命を合祀した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:15 PM

絹巻神社 (豊岡市)

兵庫県の 絹巻神社(豊岡市) を掲載しました。

兵庫県豊岡市にある。
城崎温泉駅の北東3Kmほどの気比に鎮座。
3号線を北上し、港大橋を渡ったところ、
道路の脇、絹巻山の麓に境内がある。

橋の東詰、道がカーブしている場所にあるため
車を止め難い場所。
かなり離れた場所に車を止めて、
歩いて境内に向かったが、小雨が降ってきて、
急いで参拝をしたのを覚えている。

社伝によると、応神天皇三年四月大山守命をして
山海の政を統治せしめし時、
大山守命は多遅麻黄沼前県主武身主命の子・海部直命をして
多遅麻の海政を行わせ、姓を海部直と称することを許した。
海部直命は、始祖である天火明命を黄沼前県に祀りて
清明宮と称したという。

仁徳天皇十年八月、海部直命を城崎郡司とし、海部直を兼ねることとなり
黄沼前県を海部村に置き、
多遅麻の海人を領し、清明宮(黄沼前神社)を海部村の絹巻山に移し
絹巻神社と称した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:08 PM

甲斐奈神社 (甲府市)

山梨県の甲斐奈神社(甲府市)を掲載しました。

山梨県甲府市にある。
金手駅の南100mの甲府市中央に鎮座。
道路に面して石垣が組まれ、
階段を上ると広くて綺麗な砂利の境内。

境内中央には、新しく改築された拝殿があり
後方に、やや小ぶりな感じの本殿が鎮座している。

参拝は、休日の早朝。
甲府市内のホテルを出て、すぐに参拝した神社。
あいにくの曇天と早朝のため、やや暗い境内だが、
市街地にある著名な神社であることは、すぐに理解できる。

社殿の左手には、境内末社や石がズラッと並んでいる。
南側から、
延命長寿社(旧石の霊、鳥居の石扁額や石柱などを祀る)、
動物霊石、諸霊社、水子霊石、無縁霊石、
境内守護社(戦没者霊・境内有縁神・庚申大神)、祖霊社
五行円満石、家内安全社、安全・合格の鐘、合格の石
学業成就社、学業・交通守護牛、交通守護社、交通・開運守護馬
開運守護社、甲斐奈七福神、諸願成就社、百度めぐり、
商売繁盛社(稲荷社)大国主大神石像、
健康守護社(金比羅大神・大國主大神・活目大神)、生目大神石像。

境内の南側には、命の石・子育石・夫婦銀杏石などもあり
現世利益の霊験著しいお宮なのだろう。

末社群の奥に、石碑が三本建っていたが、
読めなかった(残念)

社伝によると、
人皇第二代綏靖天皇の御代、
皇子土本毘古王が、甲斐国疏水工事を行い、
甲斐国開拓の御業なせし時、中央の山上甲斐奈山(現愛宕山)に、
白山大神を祀ったのが当社の起源。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:05 AM

川田神社 (湖南市)

滋賀県の 川田神社(湖南市) を掲載しました。

滋賀県湖南市にある。
草津線・石部駅の東2Kmほどの正福寺に鎮座。
野洲川を越えて、1号線を横断し、27号線を東へ500mほど進むと、
道路の南側に、こんもりとした社域の森が見えてくる。

境内入口は南側。
舗装された参道の先、森の入口に鳥居が建っている。
鳥居をくぐり、境内参道を北上すると、突き当りに拝殿。
拝殿の後方、少し離れて石組みの上に本殿覆屋がある。
内部の本殿は確認していないが、
案内板によると、慶長五年の流造。

参拝は、年末の休日、早朝。
参道や社殿には、明かりが灯っている頃。
少し寒かったが、静かな参道を歩くと、身が引き締まってくる。

参道も境内も、とても綺麗で、
本殿前には、迎春の角松が飾られていた。

創祀年代は不詳。

社伝によると、元亀元年(1570)五月、
織田信長と六角承預が野洲川で対戦した時、
天台宗の名刹である正福寺が織田側に加勢したため
六角勢に、正福寺ともども焼かれ、
慶長五年(1600)再建されたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:19 AM