佐久奈度神社 (大津市)

滋賀県の 佐久奈度神社(大津市) を掲載しました。

滋賀県大津市にある。
石山駅の南7Kmほどの大石中町に鎮座。
忠臣蔵の大石家も当地の出だそうだ。

瀬田川に沿って422号線を南下し、
瀬田川が西へ湾曲するあたりにある鹿跳橋を渡り、
782号線を南へ下ると、境内入口がある。

参道を進むと鳥居があり、
鳥居の前で右手に下ると、大きな駐車場がある。

鳥居をくぐり参道坂道を上ると砂利の境内。
境内左手に社務所などの建物があり、
境内奥(西側)に、社殿がある。

拝殿は入母屋造の淡い朱の社殿。
後方の本殿も淡い朱の流造。
本殿の周囲に透垣があり、右手に門が設置されている。

参拝は、年末の休日。
境内では迎春の準備が行われており、
境内中央には左義長のための丸太が組まれていた。

社伝によると、天智天皇八年(669)、
朝廷が明日香より大津宮へ移ったのを期に、
天皇の勅願によって右大臣中臣金連を勅使とし
八張口(桜谷)で修祓した地に神殿を設け、
「祓戸大神三神」を祀ったのが当社の創祀。
現在は、祓戸四神を祀っている。

大祓詞(祝詞)に、
「佐久那太理爾落多岐都速川乃瀬爾坐須
瀬織津比賣登云布神」とあり、
この「佐久那太理」が、当社社号・佐久奈度であるといい、
「中臣大祓詞創始の社」。
瀬田川が湾曲して激しく流れる桜谷の地に祀られた祓いの神。

桜谷の地名から、桜谷社・桜田社、あるいはミタラシ社とも呼ばれ、
仁寿元年(851)六月十三日、名神に列し、
貞観元年(859)正月二十七日に従五位上の神位を授けられた古社で
式内社・佐久奈度神社に比定されている神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:20 PM

多他神社 (香美町)

兵庫県の 多他神社(香美町) を掲載しました。

兵庫県香美町にある。
JR香美駅の南西30Kmほどの小代区忠宮に鎮座。
鎮座地名の「忠宮」は、当社「多他神社」のこと。
資料によっては、当社社号に
「おおた」と訓が記されている場合もあるが。

矢田川に沿って、4号線を20Kmほど南下。
9号線と交わる辺りで、482号線へ入り、
さらに矢田川に沿って7Kmほど南下する。

482号線の西側に境内があり、
参道階段を上ると、大きな社号標が建っている。

参道を進むと、境内奥に社殿。
平入入母屋造の拝殿の後方に、妻入の本殿覆屋が連結された
ちょっと変わった構造の社殿。
覆屋の下が開いていたので、内部を覗くと
流造の本殿が納められていた。

社伝によると、貞観元年(861)九月の創祀。

式内社・多他神社に比定されている古社だが
近世には三宝荒神とも称し、小代庄一の宮として崇敬されていた。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:52 PM

和奈美神社 (養父市)

兵庫県の 和奈美神社(養父市) を掲載しました。

兵庫県養父市にある。
JR養父駅の南1Kmの網場(なんば)に鎮座。
312号線と9号線が三差路になっている場所。
宮越交差点の北側に、広いアスファルトの駐車スペースがあり、
その北側に境内があり、鳥居が建っている。

鳥居をくぐり、参道階段を上ると狭い境内だが、
最近整備されたようで、植栽も整っている。

境内の社殿は、拝殿と本殿覆屋が繋がった形式で、
拝殿の扉から、内部に流造の本殿が見える。

創祀年代は不祥。

『日本書紀』垂仁天皇二十三年によると、
垂仁天皇の皇子・誉津別王は、
30歳になっても言葉を喋らなかったが、
ある日、空を飛んでいる鵠を御覧になり、
初めて何物であるかと仰った。

天皇は大いに喜ばれ、天湯河板挙命にこの鵠の捕獲を命じられた。
天湯河板挙命はこれを追い、
和那美の水門に網を張り、鵠を捕獲して献上。
その功績によって、鳥取造の姓を賜ったという。

その和那美の水門の故事により創祀された古社で、
式内社・和奈美神社に比定されている。

和奈美(和那美)とは、罠・網のことで、
鎮座地名(網場)もこの故事に由来するもの。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:29 PM

春日神社 (鯖江市)

福井県の神社、 春日神社(鯖江市) を掲載しました。

福井県鯖江市にある。
鯖江駅の西2Kmほどの鳥井町に鎮座。
鳥井町の南端に参道入口の大きな鳥居が建っており
200mほど北上すると石垣に囲まれた境内。

鳥居をくぐり、境内中央の石の参道を進むと
石組の上、階段をのぼると社殿がある。
階段の両脇に大きな石が用いられており、境内も綺麗。
遊具なども置かれている。そんな境内。

社殿は拝殿の後方に、本殿の覆屋がある。
覆屋の透板の間から、朱の美しい本殿があるのだが
全体をうまく撮影できなかった。残念。

参拝を終え、社殿から振り返ると
一直線に続く参道が、なんとなく美しいと感じたので
写真を一枚、掲載しておいた。

創祀年代は不詳。

越前国内神名帳には「従五位 御板神」とあり
式内社・大山御板神社の論社の一つ。

また、『大日本史』に、
「舊在二刀禰村伊多伎夜谷一、
後移二丹生郡鳥井村一、曰二春日明神一。」
とあり、敦賀郡の式内社・ 伊多伎夜神社の後裔とする説もあるようだ。

社伝によると、崇神天皇の御宇、
大彦命の北陸道下向に際し、
当国の元大山にいる賊を退治しようとして
丹生郡宮崎舟場より当地に着陣し
御板を立てて軍神武甕槌神・経津主神も二神を奉祀し
賊を征伐したという。

その神徳により、大彦命により「御板」の社号を贈られたもの。

その後、治暦四年(1068)四月藤原隆家により
天児屋根命・比咩大神が合祀され、
春日神社と改称した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:31 PM

宇波刀神社 (安八町)

岐阜県の宇波刀神社(安八町) を掲載しました。

岐阜県の安八町にある。
大垣駅の南東6Kmほどの森部に鎮座。
長良川の西側、長良大橋の南2Kmほどの場所に境内がある。

参道入口は南側。石の神明鳥居が建ち、
傍らには「元伊勢宮 宇波刀神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、100mほどの参道を北上(正確には北東へ)すると、
石組の上に小祠があるだけの簡素な境内。
階段を上ると、神明造の本殿がある。
『式内社調査報告』に載っている写真では萱葺屋根だが、現在は違う。

堤外地のためか、周囲は草地。
長良川に近すぎるため、何度も遷座が繰り返されたようだ。

参拝は年末の休日。
真っ青な空の下の参拝。

社伝によると、垂仁天皇の御代の創祀。

以前は、伊勢大神宮とも、内宮とも、伊久良河宮とも称し、
倭姫命巡幸の遺跡らしい。

垂仁天皇十年、倭姫命は神器を奉斎し、
美濃と尾張の国境である当地に四年滞在。
森部から河を渡って、尾張国中島宮へ遷られたといい、
当社は「元伊勢宮」だと考えられている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:46 AM

佐伎治神社 (高浜町)

福井県の 佐伎治神社(高浜町) を掲載。

福井県の高浜町にある。
若狭高浜駅の南東500mほどの宮崎に鎮座。
27号線の宮崎交差点から南へ入り、JRを越えて直進すると境内。

直進する参道と、左手(東)へ向かう参道に分かれているが
本社は直進方向。左手へ進むと廣峯神社がある。

鳥居の右脇には「県社佐伎治神社」と刻まれた社号標が建っている。
鳥居をくぐると、綺麗な砂利の境内。
境内奥、石組みの上の社殿がある。
この境内の石組みは、寛永十一年(1634)廃城になった
高浜城の石塁の一部を移したものらしい。

階段を上ると、正面に入母屋造の拝殿。
拝殿には、御神紋の橘を染めた幕が掛けられていた。
拝殿の後方、一段高く、幣殿と流造の本殿がある。

境内の右手(西側)に妙見山遊歩道の入口がある。
妙見山には逸見氏の碎導山城があったらしい。

妙見山には妙見神社が祀られ、
中腹には当社末社の愛宕神社があるらしいが、
登っていないので確認していない。
境内に愛宕神社遥拝所があるので、そこで参拝。

また、境内には千年松跡という
大松の痕跡が残っている。

創祀年代は不詳。

社伝によると、景行天皇の御世、
磐鹿六雁命が若狭国造に任命された時には
すでに存在していたほどの古社であるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:22 AM