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2008年11月29日
阿彌神社 (阿見町阿見)
茨城県の 阿彌神社(阿見町阿見) を掲載しました。
茨城県の阿見町にある。
土浦駅の南5Kmほどの阿見に鎮座。
125号線バイパスと231号線の交わるあたりに境内がある。
社殿そのものは231号線のすぐ近くにあるのだが、
参道入口は、125号線の中郷交差点付近。
境内は、南北に200mほどの長さがあるが、ほとんどが参道。
参道入口に社号標が建ち、参道には綺麗な刈込が続いており、
氏子の方々の配慮がうかがえる。そんな境内。
参拝は、10月の休日。雨後の朝。
参道にはまだ雨水が残っており、
周囲は交通量の多いバイパス道路なのだが、
参道には樹木の匂いが満ちていた。
参道の中程に鳥居が建っており、
さらに参道を歩くと、社殿のある境内。
境内左手に、神庫らしき社殿。
正面に黒塗りの拝殿があり、拝殿の右手に稲荷社。
拝殿の後方に流造の本殿が鎮座。
本殿の左手には、小さな石祠が並んでいる。
投稿者 GenSyouShi : 16:16 | こめんと (0)
2008年11月28日
阿彌神社 (阿見町竹来)
茨城県の 阿彌神社(阿見町竹来) を掲載しました。
茨城県の阿見町にある。
土浦駅の南東6Kmほどの竹来に鎮座。
霞ヶ浦側を走る125号線と、
125号線バイパスの間を東西に走る231号線に面して境内がある。
石垣に囲まれた広い境内だが、
石垣の中は原生林のような樹叢で、道路からは中がよくわからない。
境内入口は南西向き。
道路から少し奥まった位置に鳥居が建っており、
鳥居をくぐると、樹木の茂った暗い参道。
茨城の古社には、こんな雰囲気の神社が多いよなぁ、
などと考えながら参道を歩く。
参道の途中に、いくつか脇にのびる小道があり
それぞれの小道の奥には、小さな石祠が祀られている。
が、詳細は不明。
参道の突き当りに、社殿のある広い空間が開け、
右手に境内社の立派な祠、左手に神楽殿がある。
この神楽殿は、昔の神宮寺らしい。
明治以前は、二の宮として崇敬された古社で、
式内社・阿彌神社の論社となっている。
投稿者 GenSyouShi : 21:55 | こめんと (0)
2008年11月25日
何鹿神社 (京丹波町)
京都府の 何鹿神社(京丹波町) を掲載しました。
京都府の京丹波町にある。
山陰本線・下山駅の南6Kmほどの曽根に鎮座。
京丹波町役場の西1Kmほどにあり、丹波自然運動公園の南、
444号線(桧山丹波線)に面して境内の森がある。
鳥居をくぐり、木々の茂る参道を歩くと、正面に拝殿。
拝殿の奥、垣に囲まれた場所に、本殿覆屋がある。
社頭の案内板によると、平成十一年不審火により社殿が焼失し
現在の社殿は、平成十三年に完成したもの。
というわけで、境内の砂利も、草木も
社殿も新しく、開けた明るい境内で気持ちが良い。
投稿者 GenSyouShi : 20:50 | こめんと (0)
2008年11月23日
冨知神社 (富士宮市)
静岡県の 冨知神社(富士宮市) を掲載しました。
静岡県富士宮市にある。
西富士宮駅の北東500mほどの朝日町に鎮座。
浅間大社の北西500mほどの位置にあり
浅間大社の境外摂社となっている。
社前を小川が流れており、小さな橋を渡ると境内。
地図で確認すると、この小川は浅間大社の湧玉池につながっているようだ。
境内奥に社殿があり、赤い屋根の入母屋造拝殿の後方に
流造の本殿がある。
鳥居をくぐって左手に大きな木が聳えており
周囲の方々が、朝の散歩や体操をしていた。
そんな境内。
当社の社号は、拝殿扁額には「冨知神社」とあり
資料によっては「富知神社」。
古記録には「不二神社」「富士神社」「福地明神」とも。
『富士本宮浅間社記』には、
浅間大社が鎮座した大宮は、もとは福地明神(当社)が鎮座していた地、とあり
浅間大社が鎮座した、平城天皇大同年間以前から、
当地の地主神として崇敬されていた古社ということになる。
案内板によると、坂上田村麻呂によって、
浅間大社が大宮の地に移され、
当社は、大宮の地から現在地へ遷座させられたらしい。
『駿河国神名帳』には「正五位下 福地天神」とあり
式内社・富知神社の論社である。
投稿者 GenSyouShi : 20:59 | こめんと (0)
2008年11月22日
横林神社跡 (高島市)
滋賀県の 横林神社跡(高島市) を掲載しました。
滋賀県高島市にある。
JR安曇川駅の西4Kmほどの武曽横山に鎮座、していた。
大清寺の近くの山腹にあったが、当社はすでに廃絶しており、
現在は、周囲は散策道になっている。(2003年当時)
散策路入口に、冠木門が建っており
整備された山道を歩くと、境内跡がある。
当社・横林神社は、麓と中腹の二社構成だったようで、
案内図にも「下の横林神社跡」「上の横林神社跡」と記されている。
昭和五十六年(1981)発行の『式内社調査報告』には
小祠の写真が載っているのだが、
僕が訪れた時(2003)には、その残骸しかなかった。
『式内社調査報告』には「竹藪の中」となっており
僕は気付かなかったが、ひょっとすると、
散策路の周囲の竹藪の中に、小祠があるのかもしれないが。
創祀年代や由緒は、不詳。
式内社・宇伎多神社の論社の一つである古社。
『特選神名牒』には、
「横山村ハ字横林山ニアリテ享保以来山王ノ宮と云ヒシヲ
明治二年横林神社ト改ムトアルノミ」と記されている。
投稿者 GenSyouShi : 15:10 | こめんと (0)
2008年11月19日
背景スライド
トップページの背景スライドショー。
個人的に非常に気に入っているのだが、
たまに 「これ、どこのお宮さん?」 と
忘れてしまった写真がある。
ということで、トップページから
背景写真の神社のページへ行けるように改造してみた。
誰も気づいていないようなので。。。
投稿者 GenSyouShi : 22:47 | こめんと (0) | 1. 告…お知らせ
稻田神社 (笠間市)
茨城県の 稻田神社(笠間市) を掲載しました。
茨城県笠間市にある。
稲田駅の西500mほどの稲田に鎮座。
50号線から少し北へ入った場所にあり、
参道入口、車道に大きな鳥居が建っている。
鳥居の横には「縣社稻田神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐって100mほど参道を進むと階段があり、
階段の中腹にも鳥居。
階段を上ると社殿のある境内。
正面に大きな入母屋造の拝殿があり、
左手の建物(神饌所だろうか)と、長い渡り廊下で繋がっている。
拝殿の後方には、垣に囲まれて流造の本殿がある。
境内は右手に広く、脇道から車で境内まで入ることができるようだ。
参拝は秋の休日。いわゆる行楽日和で、
天気が非常に良く、境内の日差しも強かった。
創祀年代は不詳。
出雲国造と同祖であった新治国造が奉斎した神社で
式内名神大社・稻田神社に比定されている古社。
江戸時代の『稲田姫神社縁起』によると
当地の邑長武持という人物の家童が、
稲田好井の水を汲もうとしたところ
井戸のそばに美人が立っていた。
急ぎ帰って主人・武持に報告、武持が礼拝して問うと
「吾は奇稲田姫である。かってこの地の地主神であった。
汝は昔、吾に仕えた者の子孫である」と告げ、
「ここに、吾が父母の宮、夫婦の宮を建て、
好井の田の稲を以って祀れ」と神託したのが当社の起源。
よって、境内の父母の宮(母神・手摩乳神社、父神・脚摩乳神社)と
夫婦の宮(本社、夫神・八雲神社)は「四宇の神籬」として
当社の中心として重視されている。
投稿者 GenSyouShi : 22:37 | こめんと (0)
八幡宮 (下田市吉佐美)
静岡県の八幡宮(下田市吉佐美) を掲載しました。
静岡県下田市にある。
伊豆急下田駅の西4Kmほどの吉佐美に鎮座。
136号線を西へ進み、大賀茂川に沿って南下すると
道路に面して東向きに境内がある。
薄らと苔むした木製鳥居をくぐると広い砂利の境内。
拝殿左手の立派な木が聳えており見惚れてしまったが、
拝殿右手にある「イスノキ」が有名らしい。
参拝時には「イスノキ」の根の補修というか治療というか、
なにやら工事をしていて、右側からは近づけない状態だった。
社殿は入母屋造の拝殿の後方に、少し離れて幣殿があり
幣殿の後方に、本殿覆屋がある。
拝殿の扁額には「正八幡宮」とあり
本殿覆屋の扁額は「八幡宮」。
本殿覆屋の格子から中をのぞくと
二棟並んだ流造の赤い社殿がある。
並んでいるというより、一つの屋根で繋がっている形式。
その二棟の間、中央奥にもう一つの社殿がある。
赤い社殿の右側が若宮、左が当社本殿。
中央奥の祠が、相殿の三嶋神社らしい。
当社の創祀等に関する資料は未入手。
まず、八幡宮本社は、
式内社・加彌命神社の論社となっているらしい。
本殿右にある若宮は、
式内社・多祁美加々命神社の論社。
中央奥の相殿は、もとは字深田に鎮座していたが
明治十一年十一月に、相殿に祀られた三嶋神社。
この社は、式内社・竹麻神社三座の中の一座であるという。
以上のように、一つの覆屋内にある三社が
すべて式内論社という、貴重な神社なのだ。
投稿者 GenSyouShi : 00:23 | こめんと (0)
2008年11月16日
高藏神社 (綾部市)
京都府の 高藏神社(綾部市) を掲載しました。
京都府綾部市にある。
綾部駅の北西12Kmほどの西坂町に鎮座。
9号線(綾部大江宮津線)を進み、
493号線と分岐する付近で南へ入る。
福知山市との境に近い場所にあり、
資料では西坂町宮ケ嶽(宮ケ岳)と記されているが
地図で確認すると西坂町高倉となっているようだ。
社頭には砂利の広場があり、
手水舎の横に、牛頭天王を祀った小祠。
鳥居をくぐると、参道正面に本殿覆屋があり、
右手に摂社・八幡神社、左手に摂社・若宮神社が祀られている。
創祀年代は不詳。
大蔵大明神、高倉大明神とも称された神社で、
式内社・高藏神社に比定されている古社。
もとは、現在地の南にある宮ケ岳山頂に鎮座していたが
古代のある時期に現在地に遷座。
投稿者 GenSyouShi : 14:34 | こめんと (0)
2008年11月15日
苅田彦神社 (おおい町)
福井県の 苅田彦神社(おおい町) を掲載。
福井県のおおい町にある。
小浜駅の南西15Kmほどの名田庄小倉に鎮座。
南川に沿って162号線を南西へ進み
染ケ谷川との分岐点あたりで南に入った場所に境内がある。
周囲には観光設備らしきものがあり、
整備された道に面して、山の斜面が境内となっている。
石組の上に鳥居が立ち、
鳥居の左側に「式内 苅田比古神社」と刻まれた社号標。
階段を上ると拝殿。
拝殿の後方、さらに階段の上に本殿がある。
本殿は庇の付けられた流造。
砂利の境内は綺麗に整備されていて、
どの階段にも、中央に赤い手すりが設置されている。
気配りの行き届いた神社だという印象。
創祀年代は不詳。
社伝によると、大同元年の創祀。
養老五年(721)泰澄草創の
別当・谷田寺が藩に提出した願書には
「安永四乙未三月壹千年祭、文政六癸未九月壹千五十年祭」とあり
安永四年(1775)の約千年前、宝亀年間の創祀とも。
式内社・苅田比古神社に比定されている古社。
投稿者 GenSyouShi : 17:33 | こめんと (2)
2008年11月14日
宇留破神社 (養父市)
兵庫県の 宇留破神社(養父市) を掲載しました。
兵庫県養父市にある。
山陰本線・養父駅の北2Kmほどの口米地に鎮座。
円山川を東へ渡り、米地川に沿って東へ255号線を進み
104号線との交差点から100mほどで北上すると
澤源橋という小さな橋がある。
その橋の北側の道に、当社古社地の石碑が立っている。
古社地の石碑から、東へ500mほどの場所に境内がある。
参拝時には、鳥居に築かなかったが、
他の参道にあるのだろうか。
山麓の斜面の林を境内にした感じのシンプルな神社。
社殿も、本殿覆屋のみで拝殿なども無い。
創祀年代は不詳。
式内社・宇留波神社に比定されている古社で、
明治六年十月、村社に列した。
投稿者 GenSyouShi : 23:58 | こめんと (3)
2008年11月11日
大川神社 (綾部市)
京都府の 大川神社(綾部市) を掲載しました。
京都府綾部市にある。
綾部駅の北西3Kmほどの栗町上村に鎮座。
駅から北上して由良川を渡り、74号線を西へ。
栗町上村あたりで、74号線から北上すると、参道入口がある。
参道入口は西向きで、鳥居の背後には参道の木々が聳えている。
鳥居をくぐり参道を進むと、砂利の境内。
境内奥(東側)の石段の上に社殿がある。
参拝は八月、休日の早朝。
日が昇る前なので、まだ少し暗くひっそりとした境内だった。
社殿は本殿覆屋に庇が付けられた形。
庇の部分が拝殿を兼ねている構造と呼べるかもしれない。
社殿の斜め前に、注連縄で結ばれた二本の木があり、
根元に石が置かれている。
傍らに石碑があり、
「若宮神社・大嶌神社・澤神社・廣峯武大神・愛宕神社」
の遥拝所と刻まれている。
これらの社は、栗町周辺の神社だろう。
創祀年代は不詳。
鎮座地の字を佐陁尾といい、
昔から佐陁大川明神と称され
式内社・佐陁神社の論社とされている古社。
投稿者 GenSyouShi : 19:56 | こめんと (0)
業務連絡
不快なスパムメールが多くなったので、
メールアドレスを変えました。
投稿者 GenSyouShi : 02:14 | こめんと (0) | 1. 告…お知らせ
2008年11月10日
見高神社 (河津町)
静岡県の見高神社(河津町) を掲載しました。
静岡県の河津町にある。
伊豆急行・今井浜海岸駅の東1Kmほどの見高に鎮座。
135号線から南に入り、学校の南側。
参道入口は西側だと思うが、
細い道に入り込み、周囲をぐるっと回って到着したので
はっきりと覚えていない。
参道入口(らしき)場所に鳥居が立ち
苔むした参道階段を上ると、もう一つの鳥居。
さらに階段を上ると、広い境内に出る。
境内左手に神楽殿があり、参道正面に社殿。
境内右手には小祠の境内社が並んでいる。
赤い小祠には狛狐があり、稲荷だと思うが、他は未確認。
社殿は石段上にあり、拝殿は入母屋造。
後方の本殿は、覆屋の中。
参拝は正月二日、曇天の午後。
参道途中にある鳥居に、正月飾りが付けられていた。
冬に参拝したため、全体として渋めな雰囲気の神社。
初夏だったら、もっと青々とした印象を持ったかもしれない。
『伊豆国神階帳』に「従四位上 たけしの明神」とある古社で、
式内社・多祁伊志豆伎命神社の論社となっている神社。
投稿者 GenSyouShi : 23:10 | こめんと (0)
2008年11月 9日
佐志能神社 (笠間市)
茨城県の 佐志能神社(笠間市) を掲載しました。
茨城県笠間市にある。
笠間駅の北東3Kmほどにある佐白山の頂上に鎮座。
佐白山には笠間城跡があり、県立自然公園になっている。
佐白山の西麓から山頂までは道路が延びており
山頂直下まで車で登ることができる。
笠間城跡の奥に、当社への参道がある。
もとは天守台があった場所のようで、
参道階段脇には、天守台の石垣が残されている。
階段を登りきった場所に、社殿がある。
山頂付近には巨石があり、拝殿前の手水舎も自然石を穿ったもの。
拝殿の後方に本殿があり、本殿周囲の土塀は、
天守の瓦を利用したものらしい。
創祀年代は不詳。
佐白三所大明神、三白権現とも称された神社で、
式内社・佐志能神社の論社の一つ。
当初は佐白山(佐志能山)山頂に鎮座していたが
建長年間、藤原時朝による笠間城築城により
祠を下市毛字田宿(黒袴)に遷し祀っていたが
明治五年、笠間城廃城に伴い、旧社地に戻された。
投稿者 GenSyouShi : 11:11 | こめんと (4)
2008年11月 8日
盈岡神社 (朝来市)
兵庫県の 盈岡神社(朝来市) を掲載しました。
兵庫県朝来市にある。
山陰本線・養父駅の南約2Kmほどの宮内に鎮座。
9号線から500mほど南西へ入った場所にある。
社前は広い空地のようになっており丘の麓に鳥居が立っている。
『式内社調査報告』には、300m東の参道にも鳥居があると記されているが
参拝時には気付かなかった。というか記憶にない。
鳥居の奥に、もうひとつの鳥居があり
扁額には「八幡宮」と記されている。
鳥居をくぐると、参道の階段。
階段中ほどには庚申社の祠。
階段を登ると、社殿のある境内。
境内の奥、石段の上に立派な社殿が建っている。
拝殿は入母屋造、背後の本殿は流造。
拝殿の扁額には「雄男山」とあり、
山城国石清水八幡宮からの勧請を示唆している。
本殿は寛政四年(1792)の再建らしい。
社殿の右手に、台風被害を受けた、御神木の椎の大木があり、
前に拝殿が設置され「厄除八幡」の名が掲げられている。
創祀年代は不詳。
式内社・盈岡神社に比定されている古社だが
明治までは八幡宮・岡の八幡と称された神社。
一説には、三代実録記載の「大岡神」は当社のことであるという。
投稿者 GenSyouShi : 17:14 | こめんと (0)
2008年11月 5日
妻科神社 (長野市)
長野県にある、妻科神社(長野市) を掲載しました。
長野県長野市にある。
長野県庁の北200mほどの南長野に鎮座。
県庁前を北上し、妻科入口の交差点を左(西)へ曲がると道路わきに境内がある。
境内は南向き。
渋めの褐色の両部鳥居が立ち、鳥居をくぐると境内。
境内中央には立派な木が一本聳えており
境内全体が緑のドーム内にあるような錯覚。
境内の北側、石段の上に大きな社殿。
長野の神社なので、社殿の前には御柱も立っている。
権現造の拝殿の後方、丘の上に
拝殿と比して、やや小ぶりな本殿がある。
参拝は5月の連休最終日、
早朝、日の出前で、境内はやや暗く、
社殿前の燈籠に灯がともっていた。
創祀年代は不祥。
式内社・妻科神社に比定される古社で、
三代実録に貞観二年(860)二月五日、
従五位下を叙せられたとあり
貞観五年(863)二月十四日には
従五位上に進んだとある。
中世以降は戸隠神社の護法神として崇敬され
湯福神社、武井神社と共に、善光寺三所鎮守として崇敬されてきた。
投稿者 GenSyouShi : 21:18 | こめんと (0)
2008年11月 3日
佐須賀神社 (福知山市)
京都府の 佐須賀神社(福知山市) を掲載しました。
京都府福知山市にある。
福知山駅の東8Kmほどの私市に鎮座。
由良川に沿って、74号線を東へ進み、私市で北へ入る。
須我山の麓に境内があり、社殿は南向き。
車で境内まで入ることができるが、
鳥居は境内西側にあるので、車を止めて鳥居まで歩いて参拝開始。
参拝は八月休日の午前で、朝日が昇った頃。
西側の鳥居から、朝日を正面に受けて東へ歩く。
砂地の境内は広く、境内北側に社殿がある。
石段の上に拝殿があり、後方に流造の本殿。
石垣の隅に、小さな厳島社が祀られていた。
境内左手に稲荷社があるが、そこから裏山へ上る階段がある。
階段を少し上ると、摂社・愛宕神社(火産霊神)が祀られている。
本社の奥宮として機能している雰囲気だ。
創祀年代は不詳。
式内社・佐湏我神社に比定されている古社。
投稿者 GenSyouShi : 13:19 | こめんと (0)
2008年11月 2日
神明社 (鯖江市水落)
福井県の神社、 神明社(鯖江市水落) を掲載しました。
福井県鯖江市にある。
福井鉄道福武線・神明駅の南東、すぐ近くの水落に鎮座。
周囲の道路から境内へ入れるが、表参道は南側。
ということで、南側の参道入口から参拝開始。
参拝日は、小雨の降る5月の連休の午後。
参道入口には神明造の石鳥居。
鳥居をくぐると鬱蒼と木々の茂る200m近い参道。
参道を歩くと右手には烏ケ森の社叢が広がっている。
しばらく歩くと右手の月形の池の側に「慶長の燈籠」。
この池では雨乞い神事が行われていたという。
さらに歩くと社殿のある境内だが、
左手に小さな古墳があり、古墳の上に神符納蔵。
境内中央に拝殿があり、拝殿の後方、中雀門の奥に本殿がある。
本殿の屋根は銅板で覆われているが肉厚で、
ひょっとすると銅板の下は茅葺なのかもしれない。
社伝によると、
安康天皇の御代の勧請という。
往古は、現在地から北東3Kmほどにある文殊山の南麓、
現下河端町の「湯の花」に鎮座していたが
鳥羽天皇の大治四年(1129)五月十五日、
当国押領使(兼神領使)藤原国貞の神託により
烏ケ森の現在地に遷座。
口碑によると、
慶長六年(1601)松平秀康公入国の際、
水落烏ケ森にさしかかると乗馬がいななき
物怖れをして進まず、臣下に偵察させたところ
森の中に立派な神社が鎮まっているのを知り、
下馬して社殿に額ずき、御高五十石を献じたという。
また、松平秀康公の娘の病気平癒を祈願したところ
全快したので、社殿および神官瓜生家の家を寄進したとも。
本殿垂木には「御志ろおひめさま御きしん」の金具が打たれているらしい。
さて、『式内社調査報告』によると
越前国神名帳に「従四位 土輪神」とある
式内社・土輪神社の所在は不明としながらも、
当社境内の土宮が、土輪神社であるという説が紹介されている。
投稿者 GenSyouShi : 15:09 | こめんと (0)
2008年11月 1日
矢奈比賣神社 (磐田市)
静岡にある、矢奈比賣神社(磐田市) を掲載しました。
静岡県磐田市にある。
磐田駅の北3Kmほどの見付に鎮座しており
通称は「見付天神」。
磐田駅から北上して1号線へ入り東へ1Kmほど。
今之浦川を越えた付近で北に入る。
登り坂の途中に鳥居が立っており、その右手には巨木が聳えている。
鳥居をくぐって参道を進むと、
もう一つの朱の鳥居。
鳥居脇には狛犬のように「悉平太郎像」がある。
悉平太郎は怪物退治のため、駒ヶ根市の光前寺から借り受けた霊犬。
光前寺では「早太郎」と呼ばれている。
昔、見付村では田畑を荒らされないように毎年祭の日に
白羽の矢が立てられた家の娘を生贄(人身御供)として怪物に捧げていた。
旅の僧が怪物の正体を暴こうと、祭の夜に様子を窺うと、
「信州の悉平太郎(早太郎)はおるまいな」と
悉平太郎という人物を恐れている様子。
さっそく、信州の悉平太郎を探したところ、
光前寺に飼われている犬であった。
次の祭の日、悉平太郎を借り受けて娘の身代わりとすると
悉平太郎は怪物大狒狒と一晩中戦い続け、ついにこれを退治。
悉平太郎は傷つきながらも光前寺までたどり着き、
一声吠えて息絶えたとも、当社境内で死んだとも言われている。
現在、光前寺境内に墓があり、
当社境内後方のつつじ園に霊犬神社として祀られている。
参拝当時知らなかったので、残念ながら僕は霊犬神社へは参拝していない。
























