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2008年6月28日
熊野新宮神社 (久美浜町)
京都府の 熊野新宮神社(久美浜町) を掲載しました。
京都府京丹後市にある。
久美浜駅の南西3Kmどの久美浜町河梨に鎮座。
兵庫県との県境に近い場所。
178号線を進む、久美谷川を越え、北近畿タンゴ鉄道を越えて
178号線から北へ入り、集落の奥(西)へ進むと、
境内入口の鳥居が見えてくる。
鳥居の扁額には「新宮 本宮 熊野神社」と書かれている。
鳥居の前、小道を挟んで幾つかの祠があるのだが
当社の境内社なのだろうか。
小さな橋を渡り、鳥居をくぐって、参道の階段を上ると境内。
手前に手水鉢が置かれ、境内奥に社殿。
拝殿の右手と、境内右手に境内社の祠。
瓦葺の拝殿の後方に、本殿の覆屋があり、
拝殿の奥に、流造の本殿を見ることができる。
拝殿の扁額には「式内 村社 熊野新宮社」とある。
参拝は、五月の連休。
兵庫県北部を旅した最終日。
兵庫から、日本海沿いに長野へ戻る途中。
創祀年代は不祥。
式内社・熊野神社に比定されている古社。
古来より「熊野新宮神社」と称したが
江戸時代には「熊野三社権現」とも称していた。
投稿者 GenSyouShi : 19:45 | こめんと (0)
2008年6月27日
皇足穂命神社 (信州新町)
長野県にある、皇足穂命神社(信州新町) を掲載しました。
長野県の信州新町にある。
長野駅から南西に、19号線を24Kmほどの里穂刈に鎮座。
犀川が大きくうねってカーブしている場所にあり、
犀川にかかる穂刈橋の北詰、19号線から少し南へ入った場所に境内がある。
境内入口は、犀川に面して南西向き。
土手沿いの道路から階段を下ると境内。
朱の両部鳥居が立ち、右手に「延喜式内 皇足穂命神社」と刻まれた社号標。
境内の奥、というか杜の奥、
木々の懐に抱かれるように、堂々とした赤い屋根の社殿。
拝殿の右手に、白い神庫。
拝殿の後方に、石垣に囲まれた流造の本殿がある。
参拝を終え、振り向くと暗い境内の奥
鳥居の向こうに、土手の道があり、
道の向こうに、犀川対岸の森が見える。
式内社・白玉足穂命神社の論社の一つ。
「白玉」は「皇」の誤記だと思われ、
延喜式・享保八年刊本では「白玉」を「皇」記しているが
他の写本では「白玉」。
創祀年代は不詳。
社伝によると、当地方草創のみぎり、
某が神夢のお告げにより、新たに土田を開き、
稲穀を播き、神徳を尊崇して一社を創建したという。
創建当時は、山穂刈の皇足山に鎮座し、
「皇足穂命神社」と称していたが、
萬壽四年(1027)大風雨により皇足山東南部が崩落し
社殿等が罹災、社地も狭隘となったので
長元元年(1028)八月、現在地に再建された。
投稿者 GenSyouShi : 21:49 | こめんと (0)
2008年6月24日
小坂神社 (出石町森井)
兵庫県の 小坂神社(出石町森井) を掲載しました。
兵庫県豊岡市にある。
江原駅の東へ8Kmほどの出石町森井に鎮座。
円山川を越えて482号線を東へ進み、
小坂小学校あたりで南へ入り、奥へと進む。
重機の会社があるのだろうか、
資材置き場のような場所の奥に、鳥居が見える。
社前の雰囲気としては良いものではないのだが、
とりあえず奥へ進み、鳥居をくぐると別世界。
周囲から取り残されて佇んでいる。
そんな感じの神社だ。
参道の緩やかな階段を登ると、正面に社殿。
拝殿の後方には本殿覆屋があり、
境内左手に境内社の祠があるのだが、
どの社殿も枯色で、苔むした境内によく似合う。
式内社・小坂神社の論社の一つ。
創祀年代は不詳だが、
社伝によると、天平年間の創立。
往古より森井・尾崎両村の産土神として崇敬され
中古、当地に移住してきた播州宍禾郡森井の人が
熊野十二所権現を併せ祀ったことから
十二所権現とも熊野十二社大権現とも称されてきた。
投稿者 GenSyouShi : 20:55 | こめんと (0)
2008年6月23日
小坂神社 (出石町三木)
兵庫県の 小坂神社(出石町三木) を掲載しました。
兵庫県豊岡市にある。
江原駅の東6Kmほどの出石町三木に鎮座。
円山川を越えて482号線を東へ進み、
三木川と交差する地点から、少し南へ入ると
三木の集落の南東部に境内がある。
境内入口に「式内 小坂神社」と刻まれた社号標が立ち
石橋で三木川を渡ると、砂地の境内。
境内中央部、石の参道を進むと正面に社殿。
拝殿の後方、渡り廊下で繋がった本殿覆屋があり、
前面が開放されている覆屋の中に本殿。
社殿の左隣に境内社・稲荷社の祠。
式内社・小坂神社の論社の一つ。
創祀年代は不詳だが、
社伝によると、天平十九年の創立。
もとは、字地主に鎮座していたが
享禄年間(1528~32)、大洪水で社殿が流出し
現在地へ移転したという。
古来、小坂郷九カ村の総社として、九社大明神と称してきたが、
明治以後、小坂神社と改称した。
投稿者 GenSyouShi : 20:56 | こめんと (0)
2008年6月22日
布制神社 (篠ノ井布施五明)
長野県にある、布制神社(篠ノ井布施五明) を掲載しました。
長野県長野市にある。
篠ノ井駅の北西500mほどの篠ノ井布施五明に鎮座。
86号線から少し北へ入った場所に、東向きの境内がある。
境内は石垣で囲まれ、入口の鳥居から少し下がった位置に社殿。
案内板によると、平成15年に再建されたようで
まだ木の香りがしそうな社殿だった。
拝殿の右隣には神輿殿があり、中に神輿が安置されている。
拝殿の後方にも新しい本殿覆屋がある。
案内によると内部に文化6年造営の本殿があるらしい。
拝殿の斜め左前に御神木があるのだが
拝殿後方の木の方が立派だ。
創祀年代は不詳。
式内社・布制神社の論社の一つ。
社伝によると、布勢氏が祖神・大彦命を祀った古社。
布勢氏は阿倍氏とともに大彦命を祖とし、
北信濃を含む北陸道に敷衍したという。
また、一説には
天平年中更級郡の大領外従五位下勲十二等高橋朝臣國足が創建したとも。
投稿者 GenSyouShi : 13:52 | こめんと (0)
2008年6月21日
優婆夷命神社 (八丈島)
八丈島の優婆夷命神社(八丈島) を掲載しました。
東京から290Km南にある八丈島にある。
八丈島空港の南2Kmほどの大賀郷に鎮座。
八丈島の中央部西側にある八重根港の近く、高台に境内がある。
境内入口は南向き。
石の鳥居をくぐると境内。
境内の左側が広く、右側に社殿がる。
拝殿に右手に社務所があり、
拝殿の後方には、珍しい石積みの本殿。
本殿内部には、木造女神坐像などが安置されているらしい。
本殿の斜め後方左右に、一対の織部灯籠がある。
織部とは、戦国武将であり茶道家でもある古田織部のこと。
織部灯籠は、竿の部分が膨らんでおりマリア像が刻まれているので
キリシタン灯籠とも呼ばれている。
が、社前の案内によると、当社の灯籠は
キリシタンや茶道には関係なく、
八丈島に流刑されていた石工・仙次郎が
自由に腕をふるって作成されたものらしい。
創祀年代は不祥。
総社・郷社とも呼ばれ、八丈島・八丈小島・青ケ島の総鎮守として
崇敬されている古社。
式内社・優波夷命神社と式内社・許志伎命神社を
合殿に祀る神社。
寛政年間に、当時の神職・奥山氏の老衰により
岡里の私邸に遷座されていたが、
明治八年、旧地の戻し、復興された。
優波夷命神社に祀られる八十八重姫(優婆夷大神)は、
三島大明神(事代主神)の妃神の一人。
(ただし、近世には天照大神と考えられていた)
優婆夷大神は八丈島に渡り、古宝丸(宝明神)を生む。
この古宝丸が、式内社・許志伎命神社の御祭神。
(ただし、大山祇命とする説もある)
後、八十八重姫と古宝丸は、母子交合し、八丈島が繁栄したという
始祖伝説があるらしい。
投稿者 GenSyouShi : 14:50 | こめんと (0)
2008年6月20日
大嶋神社 (石巻市)
宮城県にある 大嶋神社(石巻市) を掲載しました。
宮城県石巻市にある。
石巻駅の東500mほどの住吉町に鎮座。
旧北上川に面した場所にあり、地図には住吉公園と記されていた。
境内に入ると、鳥居の奥に社殿。
入母屋造の立派な拝殿があり、後方に本殿。
拝殿の扁額には「石巻揔鎮守」とある。
拝殿の右手に境内社が並んでおり、
左から、八幡宮、稲荷・天満宮、虚空蔵堂。
天満宮の横に上に、境内後方の丘に登る階段があり
丘の上には愛宕神社の石祠が祀られている。
で、境内社の八幡宮。
社殿は朱色だが、屋根が水色だった。
創祀年代は不詳。
通称は住吉神社。鎮座地名も住吉町。祭神も住吉神。
式内社・大嶋神社に比定されている古社で
三代実録には「清和天皇貞観五年十月二十九日、
陸奥國勲九等飯大島神云々授従五位下」と記されている。
社前の川岸に「袖の渡り」という名所がある。
北上川対岸への渡し船が出ていた場所で、
歌枕として有名らしく、芭蕉も当地を訪れており、
弟子の河合曾良の日記に、
「帰りニ住吉ノ社参詣。 袖ノ渡リ、鳥居ノ前也。」
と記されている。
この「住吉ノ社」が当社。
投稿者 GenSyouShi : 00:21 | こめんと (0)
2008年6月17日
屋岡神社 (養父市)
兵庫県の 屋岡神社(養父市) を掲載しました。
兵庫県養父市にある。
円山川の支流・八木川のそば、養父市役所の南に
住宅が密集している場所に境内がある。
狭い道に面して、境内入口は東向きだが
境内そのものは南向き。
よって、入口の鳥居をくぐり、参道を右へ曲がると
石垣の上に社殿がある。
社殿の左右に境内社があり、
右手には三社、左手には一社が祀られているようだ。
壁のない舞殿のような拝殿の後方には
覆屋に納められた本殿。
覆屋の前面が格子になっており、肉眼ではよく見えたのだが
デジカメで写したものでは、よく確認できない。
オートフォーカスに頼りっぱなしなのが良くないのだろう。
創祀年代は不詳。
式内社・屋岡神社に比定されている古社。
当地は、上古「屋岡の里」と呼ばれており
当社号は、地名から名付けられたらしい。
案内板では、神功皇后御誕生の地と言われる「天子」という地に鎮座。
『兵庫県神社誌』では、神功皇后三韓征討の際に上陸され
御船を覆された跡で「船岡」とある。
投稿者 GenSyouShi : 21:06 | こめんと (0)
2008年6月16日
穴目杵神社 (豊岡市)
兵庫県の 穴目杵神社(豊岡市) を掲載しました。
兵庫県豊岡市にある。
豊岡駅の南東3Kmほどの大篠岡に鎮座。
円山川にかかる円山大橋を渡って、703号線を東へ進み
六万川を越えて500mほどの場所に、
道路に面して境内入口の鳥居が立っている。
社地は三開山の北麓。
鳥居をくぐり、参道階段を上った丘の上が、社殿のある境内。
階段の突き当たりに祠があり、左手に曲がると正面に拝殿が立っている。
拝殿の右手前には境内社の稲荷神社。
拝殿は舞殿のような構造で、
拝殿の後方には、覆屋の中に本殿。
本殿は三間社で、横に長い形式。
本殿の扁額には「八熊大明神」と記されている。
創祀年代は不詳。
式内社・穴目杵神社に比定されている古社。
本殿扁額にあるように、近世には八熊明神と称していたが
明治二年、現社号に改めた。
残念ながら「穴目杵」の由来は不明。
祭神は「船帆足尼命」。
後世の作と考えられている『但馬郡故事記』には
「崇神天皇九年秋七月、小江命の子・穴目杵命が
黄沼前(城崎)の県主となった。
九流比山(来日岳)に盗賊が出没したので
多遅麻(但馬)国造天日樽杵命に訴え、
これを討伐してもらった」とあり、
『兵庫県神社誌』には、この穴目杵命を
篠丘に葬って祀り、当社の起源とする記述がある。
投稿者 GenSyouShi : 21:10 | こめんと (3)
2008年6月14日
清水神社 (信更町田野口)
長野県にある、清水神社(信更町田野口) を掲載しました。
長野県長野市にある。
篠ノ井駅の西7Kmほどの信更町田野口に鎮座。
篠ノ井駅付近から70号線を西へ進み、信更町田野口で南へ入ると
小学校から道を挟んで西側に、境内入口の朱の鳥居。
鳥居の両脇に燈篭が立ち、
右手に「延喜式内清水神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり階段を上り、御神木の間を通ると、社殿のある境内。
境内全体が、こんもりとした杜(森)となっている感じ。
境内の中央奥に、大きな拝殿があり、
後方の丘の斜面に本殿があるのだが、
本殿は白い覆屋に納まっているようだ。
境内入口は東向きで、社殿も東向き。
参拝日は曇天で、どんよりとした日だった。
創祀年代は不祥。
式内社・清水神社の論社のひとつ。
投稿者 GenSyouShi : 12:42 | こめんと (0)
2008年6月11日
多摩良木神社 (豊岡市)
兵庫県の 多摩良木神社(豊岡市) を掲載しました。
兵庫県豊岡市にある。
国府駅の西4Kmほどの日高町猪爪に鎮座。
250号線を西へ進み、1号線に入ってさらに西。
1号線が八代川と交差するあたりから、北へ入り少し登った所。
車道を走っていると気づかないかもしれない場所にある。
集落の中の狭い道を登り、西へ入ると鳥居が立っている。
鳥居をくぐり境内に入ると、樹木に囲まれた静かな空間。
境内奥に細身の社殿が建っているが、これは本殿覆屋。
本殿が中に納まっている。
参拝した時には探したのだが、
当社には社号を示すもの(社号標や扁額など)が無かったような。
覆屋内に感謝状の額が飾られており、
そこに辛うじて「多摩良木神社」の名前があった。
覆屋の扁額の位置には、白いお面が二つ飾られている。
恵比寿・大黒だと思ったが、改めて見ると翁・嫗のようにも見える。
内部の本殿は小振りだが、立派な流造平入りの祠。
扉が二つあったのだが二柱の祭神を祀っているのだろうか。
投稿者 GenSyouShi : 21:04 | こめんと (0)
2008年6月10日
PC新調
最近、PCの動作が遅く感じてきたので
思い切って新調。
といっても本体だけだけど。
今週届いたので、色々とセッティングやデータ移転や
ついでにデータ整理や、ソフトのインストールや
ネットワークの再構築や、なんやかやと時間がかかってしまった。
新PCでの初めての更新。
とりあえず、作業できる環境にはなっているようで安心。
昔からずっと使っているツール(ソフト)が、かなり古いものになってきた。
新しい無料ツールを探すか、思い切って高機能ツールを買うか。
投稿者 GenSyouShi : 21:15 | こめんと (0) | 9. 雑…ふと思う
片菅神社 (三宅島)
三宅島の片菅神社(三宅島) を掲載しました。
東京から180Km南にある三宅島にある。
当社は三宅島の北東部にあり、
島を一周する道路脇にある「元三宅島観光ホテル」のそば。
ホテル横の車道にある小さな藪の隙間のような道を下ると境内。
参道は心細い道だが、境内は思ったより広く平坦。
境内脇には竹箒なども置かれており、近所の方が掃除しておられるのだろう。
境内は、一本(一束)の樹木を中心に
右手に清水、左手に祠があるだけ。
『式内社調査報告』には「社殿はない」と記されていたが
その後、建てられたのだろう。
かっては盛砂に御幣と石だけの簡素なものだったらしい。
祠には「片菅神社」と社号が書かれていた。
創祀年代は不詳。
通称は「カサスゲ様」。
清水(水の神)を祀ったもので、
美茂井の地名も当社から発生したのかもしれない。
ちなみに、この清水は涸れたことがないという。
祭神は不祥だが、当社を式内社・片菅命神社に比定する説がある。
片菅命神社であれば、祭神は片菅命ということになる。
『三宅記』によると、神着の御笏神社に祀られている
三島大神の3番目の后・佐伎多麻比咩命には、
「なこ・かね・やす・てい・したい・くらい・かたすけ・ひんすけ」
の八人の王子がおり、7番目の「かたすけ」が当社祭神だと考えられる。
投稿者 GenSyouShi : 21:13 | こめんと (0)
2008年6月 5日
布制神社 (篠ノ井石川)
長野県にある、布制神社(篠ノ井石川) を掲載しました。
長野県長野市にある。
篠ノ井駅の西4Kmほどの篠ノ井石川に鎮座。
篠ノ井駅付近から70号線を西へ1Kmほど進んだ辺りで
北側の道に入るのだが、地図で確認すると
そちらの狭い道も同じ70号線らしい。
たぶん旧道なのだろうと思うが、
その道を2Kmほど走っていると、
参道入口の鳥居が立っている。
鳥居はシンプルな黒木鳥居だが、扁額が妙に大きい。
鳥居の右脇には「郷社 延喜式内 布制神社」と
刻まれた社号標が立っている。
鳥居をくぐると、緩やかに登る坂道の参道。
車でも登れそうな舗装路だが、
ちょっと狭いので、歩いて登った。
300mほど登ったところが少し広くなっており
境内入口の朱の鳥居と手水舎がある。
鳥居をくぐり階段を登ると、境内だが
まるで要塞のような雰囲気。
石垣の上に大きな社殿が建っている。
石垣の右手に階段があるので登ってみると
社殿が大きく、スペースが狭いので
普通のカメラでは全容が撮影できないかもしれない。
広角レンズでようやく撮影したが、歪みが大きいのが残念。
拝殿の後方には、拝殿に比してやや小振りな本殿がある。
創祀年代は不詳。
古来、石川村の産土神として崇敬され
養老五年(721)再建の棟札が伝わっていたが
天和三年(1683)焼失。
口碑によると奈良朝以前から鎮座していたという。
式内社・布制神社の論社の一つ。
投稿者 GenSyouShi : 22:28 | こめんと (1)
2008年6月 1日
波知加麻神社 (伊豆大島)
伊豆大島の波知加麻神社(伊豆大島) を掲載しました。
伊豆半島の南東25Kmにある大島(伊豆大島)にある。
大島の北西部にある泉津に鎮座。
大島を一周する道路を、泉津の集落から少し南下した場所。
道路から山側へ入る道の突き当たり、
石段の上に鳥居が立っている。
鳥居の奥に参道が続いているのだが
広い杉(だと思う)の林の中、奥へと続く参道の先は見えない。
2~300mほどの参道を歩くと
木立の中に社殿が見えてくる。
境内は、沢に近いためか、午前中に雨が降ったからか
なんとなく湿気が多く、地面は苔に覆われて、
密度の濃い空気が満ちている、そんな印象の神社。
参拝は、四月の連休の午後。
創祀年代は不詳。
式内社・波治神社に比定されている古社。
『三宅記』によると、大島に置かれた、
三島大神の后の一人・波布比咩命に二人の王子あり
一人は「太郎王子おほい所」とあり
一人は「次郎王子すくない所」とある、
その次男・波治命が当社の祭神。
ただし『神社明細帳』には大廣祇命と記されている。



















