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2008年5月29日
白山神社 (南越前町)
福井県の 白山神社(南越前町) を掲載しました。
福井県の南越前町にある。
北陸本線・湯尾駅の東10Kmほどの瀬戸に鎮座。
田倉川に沿って476号線を東へ。
瀬戸の集落の中に少し入った場所に境内がある。
境内は小さな丘。
丘の麓に遊具などが置かれた場所があり拝殿がある。
拝殿の右手に、丘へ登る階段があり
階段を登ると正面に本殿。
本殿の側面は、雪囲いだと思われる板で覆われている。
創祀年代は不詳。由緒も不詳。
式内社・兄子神社の論社の一つ。
兄子(せこ)と鎮座地の瀬戸の近似により
式内社と考えられているらしい。
本殿の参拝を終え、麓を見下ろした時、
「神様はこの視線で見ているのだろうか」と、
ちょっと思った。
投稿者 GenSyouShi : 20:12 | こめんと (0)
2008年5月28日
浅間神社 (八鹿町)
兵庫県の 浅間神社(八鹿町) を掲載しました。
兵庫県の養父市にある。
八鹿駅の北東4Kmほどの八鹿町浅間に鎮座。
円山川を越えて出石方面へ向う道の途中に
参道入口の鳥居が建っている。
鳥居の脇には「式内淺間神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を北上すると
周囲を木々に覆われた境内。
左手奥は竹林になっているようで
良い感じの境内だ。
境内に一基の井戸があることから
鎮座地の字を「井戸前」といい
当社も「井戸の宮」と呼ぶらしいのだが
残念ながら、参拝時には井戸に気付かなかった。
撮影した写真でも井戸は確認できない。
社殿は、入母屋造の拝殿と
後方一段高い場所に流造の本殿。
ともに、鉄パイプで補強されていたが傷んでいるのだろうか。
創祀年代は不詳。
式内社・淺間神社に比定されている古社。
祭神は木花開耶姫命。
昭和六年に同地区のあった葛(かつら)神社と八柱神社を合祀した。
合祀されて葛神社は、式内社・葛神社に比定されている古社。
元は浅間字堂ノ奥に鎮座していたらしい。
投稿者 GenSyouShi : 21:23 | こめんと (0)
2008年5月26日
大家神社 (新温泉町)
兵庫県の 大家神社(新温泉町) を掲載しました。
兵庫県の新温泉町にある。
山陰本線・浜坂駅の東2Kmほどの二日市に鎮座。
岸田川の東岸、178号線から二日市温泉方向へ
400mほど南下すると、道路が緩くカーブしている場所の
西側に境内がある。
当社境内には鳥居がないようで、最初はお堂かなにかかと思った。
そんな境内。
境内に入ると、参道左手に立派な木が聳えており、
参道の奥、石段の上が、社殿のある境内。
参道脇にはツツジが咲いており、
非常に綺麗に手入れされているという印象。
境内社などはなく、社殿は覆屋のみ。
覆屋の中には、小振りの本殿がある。
当社社号「大家」は『平成祭データ』には「おおや」とあるが、
『式内社調査報告』では「おおいえ」と記されている。
創祀年代は不詳。
『美方郡誌』には
「人皇六十代醍醐天皇ノ御宇神社取調ノ際
既ニ建立サレアリシヲ見レバ」とあり
西暦900年前後には、すでに存在していたと言う。
式内社・大家神社に比定されている古社。
投稿者 GenSyouShi : 20:10 | こめんと (0)
2008年5月25日
ハレルヤ
今週の頭から離れない一曲。
ジェフ・バックリィのハレルヤ。
オリジナルはレナード・コーエンだが、こちらが良い。
ドラマ「ザ・ホワイトハウス」や「DrHouse」にも使われていた(と思う)。
投稿者 GenSyouShi : 20:30 | こめんと (3) | 3. 聴…音楽の話
椎取神社 (三宅島)
三宅島の椎取神社(三宅島) を掲載しました。
東京から180Km南にある三宅島にある。
三宅島は火山の島で、2000年の噴火から5年間全島避難が続いていた。
2005年に避難解除され、島民は島に戻り、
そろそろ神社参拝も可能だろうと、2008年5月訪問した。
椎取神社は三宅島の北東部にあり、
島を一周する道路の側に境内がある。
周囲の山肌は、葉の全く無い白い木立が無数に立ち並び
世紀末のような異様な雰囲気。
以前は、鬱蒼と茂る椎の大樹の原生林だったらしいが、
2000年の噴火のため、当社境内も泥流に埋もれてしまった。
今では、昔の境内の右手に、新しい拝殿と赤い鳥居が立っているが
以前の鳥居は、笠木の部分のみ露出して、奥の拝殿は屋根だけが見えている。
当社社号「椎取」は『東京都神社名鑑』等には「しいとり」と記され
『日本の神々』には「しとり」とある。
古文書には「倭文」「志取」とも記されているので
「しとり」が正しいのだろう。
境内の奥へ続く道を少し進み、
大きな岩を回り込むように右手奥に進むと
岩陰に当社の奥殿が祀られている。
創祀年代は不詳。
式内社・志理太(乎)宜神社に比定されている古社。
祭神は志理太宜命。「しりたき」と読むが、
もとは「したい」だったらしい。
『三宅記』によると、神着の御笏神社に祀られている
三島大神の3番目の后・佐伎多麻比咩命には、
「なこ・かね・やす・てい・したい・くらい・かたすけ・ひんすけ」
の八人の王子がおり、5番目の「したい」が当社祭神だと考えられている。
投稿者 GenSyouShi : 20:12 | こめんと (2)
2008年5月20日
三原神社 (伊豆大島)
伊豆大島の三原神社(伊豆大島) を掲載しました。
伊豆半島の南東25Kmにある大島(伊豆大島)にある。
大島の中心部にある火山・三原山(764m)山頂に鎮座。
伊豆大島へのアクセスは、東海汽船を利用するか、飛行機を利用する。
東海汽船を利用する場合は、大型客船かジェット船になるのだが
その入港地が波の状態によって、
大島西部の元町港か、大島北部の岡田港になる。
三原山へ登るルートはいくつかあるが
僕は元町近くの「御神火スカイライン」から。
山頂付近に駐車場があり、茶屋や展望台がある。
山頂といっても、三原山山頂はカルデラ状になっており
駐車場からさらに内輪山まで遊歩道(2.2Km、45分)を歩く。
その内輪山の上に、当社境内がある。
駐車場近くの展望広場入口近くに、内輪山山頂への遥拝所が
ひっそりと鎮座している。
内輪山までの遊歩道は、綺麗に舗装された道。
最初は少し下って、平原の中の平坦な舗装路を歩くと内輪山の麓。
ここまでは鼻歌交じりに進めるのだが、そこから登りが少し辛い。
風も強いので、注意しながらゆっくり登ると、
大きな岩の横に鳥居が立っている。
鳥居をくぐり、火口から出る方向に坂道を下ると境内。
境内の中、社殿付近まで溶岩が迫っており、
中央部に赤い屋根の白い社殿がある。
創祀年代は不詳。
寛政三年(1791)の『南方海島志』には
「本宮三原明神、一島ノ本祠なり」とあり、
『伊豆七島志』には
「三原全山ヲ祭リテ祠宇ナク、タダ山麓ニ拝所及華表建ルノミ、
従来一島ノ総鎮守ト称ス」とあり
古来、三原山全体が無社殿の「三原明神」として崇められ
全島の奥宮として、麓の村々の主な神社は、みな三原明神の遥拝所であった。
最初に社殿が建てられたのは、大正末期から昭和初期のことらしい。
投稿者 GenSyouShi : 20:36 | こめんと (0)
童神
先月からずっとハマっている曲がある。童神。
きっかけは「ちゅらさん」DVD。
今も(実は仕事中だが)、聞いている。
ゴールデンウィークと先週、伊豆の島々を廻っていたのだが
常にiPodで、この曲を聴いていた。
童神は、いろんな人がカバーしているので
いろんな人の童神をiPodに入れてエンドレスに繰り返し。
やはり、オリジナル(古謝美佐子)が一番だが、
歌唱力が無ければカバーできない曲なので
それぞれの歌い手の味が出ていて面白い。
島を去る船のデッキで、一人聞くとナカナカの感動。
朝日の中、去りゆく三宅島のシルエット、山頂から輝く太陽。
かすかに聞こえる波の音。船の振動、波のうねり、風、潮の香。
そんな感じ。
投稿者 GenSyouShi : 14:47 | こめんと (0) | 3. 聴…音楽の話
2008年5月19日
稲根神社 (御蔵島)
伊豆諸島・御蔵島の稲根神社(御蔵島) を掲載しました。
東京から200Km南にある御蔵島にある。
周囲17Km、住民260人(2008年現在)の小さな島だが
島の周囲にイルカが生息しており、
野生のイルカといっしょに泳げる島として人気があるらしい。
竹芝から前日夜出発する客船を利用。
翌朝、三宅島で降りる乗客達の騒音で起され、
朝6時頃、御蔵島へ到着。
ゴールデンウィーク明けの台風が去った後で、波は穏やか。
特に揺れることも無く、船酔いもせずに御蔵島へ上陸。
そして、予約しておいた民宿に到着。
少し仮眠して、御蔵島北西部・里の集落にある稲根神社へ参拝。
集落の奥、保育園に境内入口がある。
参道階段を登ると鳥居。
鳥居の右脇に「バイキング号記念碑」。
江戸時代、アメリカの商船バイキング号が御蔵島に座礁。
当時の島の住民の倍ほどの船員・渡航者を救助した事件の記念碑。
記念碑の脇には、バイキング号の錨の巻上げ機を台座に加工した灯籠と
バイキング号の錨がある。
鳥居をくぐると玉石の参道階段が二手に分かれている。
正面が稲根神社社殿へ、右手の参道が三宝神社の石祠へ続く。
正面階段を登ると拝殿があり、右手に御笏神社が祀られている。
創祀年代は不詳。江戸時代には鍵取神社とも呼ばれており、
式内社・伊大氐和氣命神社に比定されている古社。
「伊大氐」と「稲根」の音が似ているからという理由や
「伊大氐」は「岩楯」であり、御蔵島の断崖を意味するという説がある。
口碑によると、
昔、当島の稲根山山頂に毎夜光輝くものが出現し
島の四方を照らしたという。
(あるいは南風が吹く、あるいは鈴の音が鳴り響く)
島民が近づいてみると、カクレミノの木に立派な鏡がかかっていた。
当島の神主が、里へお迎えしようとしたところ
出現した神が、その地を好まれたことから
稲根山の岩にお祀りし、後に堂宇を建てて祀ったという。
事前に観光案内所に頼んでいたガイドさんが宿に迎えに来てくれる。
ガイドさんの運転で、御蔵島西側の都道・林道を南下。
恒例らしく、途中、草祀りの神様に草を供える。
草を供えることによって入山している印とし
里へ戻る時に、自分が供えた草を取り除くのだ。
草祀りの神様は、島の東側の道にもあるらしい。
さらに車で南下して林道の終点、えびね公園で車を降り、
そこから本殿までの山道を歩く。
距離は1Kmほどだが、150mほど下った場所にあり
階段の道が続く。
しばらく歩いていると、山道の側に
丸石を祀り、小さな鳥居が立てられている場所がある。
御祭神が鏡として最初に出現した場所らしい。
さらに進むと、岩がひび割れた場所。
ガイドさんの話では、そこに最初に祀られたという。
さらに山道を進むと、
山の斜面、覆屋根の下に稲根神社本殿が鎮座している。
投稿者 GenSyouShi : 22:50 | こめんと (3)
2008年5月15日
丹生神社 (香美町)
兵庫県の 丹生神社(香美町) を掲載しました。
兵庫県の香美町にある。
山陰本線・柴山駅の北側、すぐ近くに鎮座。
柴山港に面した柴山温泉の中、道に沿って細長い境内がある。
駐車場が無いので、
少しはなれた広い道に車を停め、急いで参拝。
境内入口は西向き。
参拝は午前中だったため、鳥居の撮影が逆光ぎみ。
鳥居脇には「式内 丹生大明神」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を進むと、石積みの上に社殿。
背後に山を背負ったような境内。
社殿は覆屋で、内部に本殿が安置されている。
創祀年代は不詳。
社伝によると、仁徳元年夏六月十日、
美含縣主仁良山命が、丹生山に神籬を建て祀ったという。
嘉祥四年正月二十七日に正六位上を授けられた神社で、
式内社・丹生神社に比定されている古社。
投稿者 GenSyouShi : 21:18 | こめんと (0)
2008年5月13日
物忌奈命神社 (神津島)
伊豆諸島・神津島の物忌奈命神社(神津島) を掲載しました。
東京から180Km南にある神津島にある。
島の西側にある(前浜)神津島港のすぐ近く。
船客待合所付近から東を見ると、小高い丘の上に鳥居が見える。
坂道(あるいは階段)を登ると、参道入口の鳥居が建っている。
鳥居をくぐり参道階段を登ると、もう一つの鳥居。
こちらの鳥居は金属っぽい感じ。
鳥居の右脇に小さな鳥居があり、石祠が祀られている。
参道を進むと、曲がりくねった枝を持つ木のアーチ。
ちょっと南国っぽい雰囲気の中を進むと、神門がある。
神門をくぐると砂の境内。
参道正面に社殿があり、左手に手水舎。
社殿は瓦葺の拝殿と、後方に同じく瓦葺の本殿。
通称は明神様。
創祀年代は不詳。
祭神は、物忌奈命。
言い伝えでは、三島大神(事代主命)の嫡子で神津島の開祖、
長浜・阿波命神社に祀られている阿波咩命は母神。
『続日本後紀』によると、
神津島は、上津島と呼ばれ、
承和五年七月五日、大噴火があった島。
噴火による造島の霊験により
直後の承和七年(840)無位から従五位下を贈られ、
嘉祥三年(850)従五位上、
仁寿二年(852)正五位下に進められた古社。
投稿者 GenSyouShi : 20:07 | こめんと (0)
2008年5月11日
阿波命神社 (神津島)
伊豆諸島・神津島の阿波命神社(神津島) を掲載しました。
東京から180Km南にある神津島にある。
島の西側にある(前浜)神津島港から北へ4Kmほどの長浜に鎮座。
神津島への船の入港地は、通常は西側の前浜だが
風によっては、東側の多幸湾となる。
風に弱いジェット船は多くの場合、多幸湾ということ。
僕はジェット船で神津島へ来たのだが、
やはり多幸湾に着いてしまった。
島の中心は前浜にあり、多幸湾からは村営バスが
日に数本あるのみ。
仕方がないので、本日予約していた宿に連絡して迎えに来てもらった。
当社へは前浜から海岸沿いに北上するのだが
バスの便が少ないので、宿からタクシーを利用した。
長浜海岸でタクシーをおり、まず海岸を歩いてみた。
浜の南側には大きな岩が転がっているが
北側は海水浴に適した砂浜。
当社は、その砂浜に面して鎮座している。
長浜海岸に面して西向きに参道入口があり、
鳥居をくぐって、砂浜の参道を歩くと神橋。
神橋の向こうが境内だが、境内は海砂が敷詰められ
裸足で歩きたくなる境内。
実際に本殿の近くでは靴を脱ぐと言う話も聞いた。
長浜の案内板に、
長浜の石を持ち帰ると神罰が下るという伝承が書かれていたが
地元の方々は願い事があると、
長浜の石を鳥居や社殿の前に置くらしく
鳥居の足元には、丸い石が山積みされていた。
境内の奥、石段の上に社殿がある。
昭和六十三年、災害により倒壊し、平成四年の修理されたようだ。
本殿は赤い屋根の入母屋造。
当社境内は、渓谷の入口にあり、
社殿後方の谷が、青空の下にV字の形で面白い。
境内の右手に、丸い石を積んで階段にした場所がある。
階段を登ると、「阿波命神社旧蹟」と刻まれた石碑。
昔はここに社殿があったのだろうか。
通称は長浜様。
創祀年代は不詳。
『続日本後紀』によると、
神津島は、上津島と呼ばれ、
承和五年七月五日、大噴火があった島。
祭神は、阿波咩命。
言い伝えでは、三島大神(事代主命)の本后。
ちなみに三島大神には伊豆諸島に多くの后が存在するが
本后が阿波咩命。
本后であるのに、他の后(伊古奈比咩命)が先に冠位を授けられ
大噴火は、その本后である阿波咩命の祟りと考えられたらしい。
長浜の石を持ち帰ると神罰が下るというのも
この祭神の気性による伝承だろう。
投稿者 GenSyouShi : 13:20 | こめんと (3)
2008年5月 9日
建御名方富命彦神別神社 (長野市)
長野県にある、建御名方富命彦神別神社(長野市) を掲載しました。
長野県長野市にある。
長野駅の北1Km、善光寺の東、
美術館の横、城山公園の側にある。
かっては城山一帯が境内だったらしい。
坂道の途中に、南向きの境内入口。
階段を登ると、赤い大鳥居が建っている。
鳥居の左側に社号標。右側に社務所があり、
広い境内の中央にある参道を進み、
さらに階段を登ると、社殿のある境内。
拝殿は瓦葺・入母屋造。
背後に石積みの上に流造の小振りな本殿が鎮座。
拝殿の左右に脇拝殿が付属しており、
左側の脇拝殿には扁額が無かったのだが、
右側の脇拝殿には「地主大神」と記された扁額が掲げられているので
中に地主大神が祀られているのかも。
境内左手に、四本の御柱が並んで立てられていた。
参拝は五月の日曜日の早朝。
朝日が昇った頃、6時前。
長野市は県庁所在地なので、昼間は車が多く
ストレスを感じるので、町がまだ寝ている時刻に訪れた。
創祀年代は不詳。
社伝によると、祭神・健御名方富命が
出雲より信濃へ入国の際、しばらく善光寺近辺にお住まいになり
先住の地方民を教化し、その後、諏訪へ移られたという。
投稿者 GenSyouShi : 21:26 | こめんと (0)
2008年5月 6日
建御名方富命彦神別神社 (信州新町)
長野県にある、建御名方富命彦神別神社(信州新町) を掲載しました。
長野県の信州新町にある。
長野駅から19号線を、
犀川に沿って南西へ18Kmほどの水内に鎮座。
水内ダムのあたりで、19号線から少し北へ登った場所。
狭い道に面して、朱の鳥居が立ち、
木立の中、石畳の参道が北へ続いている。
参道を進むと、正面に勅使殿のある境内。
勅使殿が、社殿の前に立ちふさがっている感じ。
信州の神社ということで、当社にも御柱。
社殿の左右前に、二本立っている。
この御柱も、何年か毎に立て替えられるのだろう。
数段の階段を登ると拝殿があり
後方の本殿は覆屋の中で、確認できない。
拝殿の扁額には「健南方富命彦神別神社」と書かれているが
参道入口の鳥居には「健御名方富命彦神別神社」。
創祀年代は不詳。
式内社・健御名方富命彦神別神社の論社の一で、
太古より奇石を奉安し御霊代として斎き祀っていたという。
水内神とも呼ばれ、諏訪神の御子神であるが故に
かっては諏訪大明神とも称していた。
また、水内に鎮座していることから、
通称は、水内大社(みのちたいしゃ)あるいは水内神社。
投稿者 GenSyouShi : 19:22 | こめんと (3)
2008年5月 4日
泊神社 (式根島)
伊豆諸島・式根島の泊神社(式根島) を掲載しました。
東京から160Km南にある式根島にある。
新島の近くにある式根島は、周囲わずか12Kmの小さな島。
リアス式の海岸を持ち、幾つかの港がある。
東京からは大型客船やジェット船、新島からは連絡船が利用できる。
僕は、大島に宿をとっていたので、早朝の大型客船で到着。
船を下りて、港から右方向(北)へ坂道を登ると
道がカーブしている辺り、泊浦を見下ろすポイントに到着。
泊浦から南へ下ると、当社境内がある。
道に面して、入口は南西向き。
鳥居の脇に、由緒書きがあるのだが、
ほとんど消えて読めなかった。
鳥居をくぐると、砂地の境内。
参道正面には、御神輿庫があり、右手奥に当社社殿がある。
ということで、社殿は北西向きになるのだろうか。
社殿の前に鳥居があるのだが
細身の島木や貫は直線的でシャープな鳥居で美しい。
その鳥居をくぐると、木々に囲まれて社殿がある。
社殿は入母屋造の拝殿と、その中に本殿が組み込まれた形式。
拝殿をのぞくと、本殿には3つの扉が付けられていた。
投稿者 GenSyouShi : 12:24 | こめんと (0)
2008年5月 3日
毛谷黒龍神社 (福井市)
福井県の 毛谷黒龍神社(福井市) を掲載しました。
福井県福井市にある。
福井駅の西1Km足羽山の東麓に鎮座。
177号線の相生交差点から、少し南。
177号線に面して鳥居が立っている。
鳥居の右脇には「式内 毛谷黒龍神社」と刻まれた社号標。
左脇には「西宮恵比須神社」と刻まれた社号標。
当社境内に西宮恵比須神社があり、
参道にも「十日えびす」の案内がある。
鳥居をくぐると参道階段。
五十段程度の階段を登ると砂利の境内があり、
正面に大きな社殿がある。
拝殿は向拝付入母屋造。本殿は神明造。
境内左手北向きに、西宮恵比須神社。
本殿の左、本殿同様東向きに、石渡八幡神社がある。
投稿者 GenSyouShi : 12:21 | こめんと (0)
2008年5月 2日
阿豆佐和氣命神社 (利島)
伊豆諸島・利島の阿豆佐和氣命神社(利島) を掲載しました。
東京から140Km南にある利島にある。
利島は円錐形の島で、周囲わずか8Kmの小さな島。
東京からは大型客船やジェット船、ヘリコプターなどが利用できる。
僕は、大島に宿をとっていたので、早朝の大型客船で到着。
船を下りて見上げると、見事な神奈備・宮塚山が目の前にある。
利島は北側の前浜に港があり、島の北部に集落が固まっている。
当社は、港から坂道を5分ほど登った、集落の中に境内がある。
坂道の途中に境内入口。
階段を登ると鳥居があり、鳥居の左手に案内板が設置されている。
境内に入ると、左手階段上に境内社・道祖神社がある。
参道正面に拝殿があり、拝殿の後方に垣に囲まれて本殿や境内社が並んでいる。
本殿は覆屋の中にあり、右手に少し小振りな三島神社の祠がある。
本殿前の左右に境内社の祠が並んでいる。
左奥から
鵜渡間神社・山川神社、西宮神社、御戸口神社、大島神社、
大三王子神社、若尊神社、白浜神社、大山小山神社。
右奥から
貴宮神社・天津神社、姫宮神社、三宅島神社・神集島神社、
海龍王神社、疱瘡神社。
資料によると本殿は宝暦十年に改築されたものらしいが
今の本殿は、それほど古いようには見えなかった。
本殿覆屋の裏に廻ってみると
もう一つの覆屋があり、中に朽ちかけた朱の社殿があった。
これが、昔の本殿。
通称は明神様。
創祀年代は不詳。
式内社・阿豆佐和氣命神社に比定されている古社。
祭神の阿豆佐和氣命は、三島大神(事代主命)の王子。
配祀の后・下上御方とともに利島開創の始祖。
江戸時代以降は神仏混淆していたという。
当社は本来、島の南にある・南御神山に祀られていたが
参拝不便のために、現在地(集落内)に遷座された。
旧社地には、阿豆佐和氣命本宮として祠が祀られている。
境内の南側傾斜地は、十三世紀から十八世紀祭祀遺跡で、
壇上積石と小祠群があるらしい。



















