楯縫神社 (日高町)

兵庫県の 楯縫神社(日高町) を掲載しました。合計2131社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・江原駅の東1Kmほどの日高町鶴岡に鎮座。
円山川のそばに西向きに参道入口があり、
参道を進むと、境内入口の鳥居が建っている。
境内は円山川の土手に沿うように位置している。

参拝は、ゴールデンウィークの雨の朝。
傘をさしながらのカメラ操作がうまくいかず、
苦労しながらの撮影&参拝。

参道入口に、大きな灯籠が建っていたような記憶があるが
雨の中なので、車を降りなかったため写真はない。
ひょっとすると社号標などもあったかもしれない。

で、境内前に車を止めて、参拝開始。
鳥居をくぐると、砂利の境内。
右手に手水舎があり、正面に社殿がある。
拝殿は千鳥破風付きで優雅な建物。
拝殿には扁額が2枚あり、
左に「楯縫神社」、右に「八幡宮」とある。

後方の石の垣の中、流造の本殿。
本殿には千木・勝男木がある。
本殿の前面と側面、屋根の部分が
緑色のシートでカバーされている。
よくブルーシートなどを使っている神社を見かけるが
このように緑や茶系のシートなら、見苦しくないかも。

創祀年代は不詳。

昔は円山川対岸の多田屋に鎮座していたという。
中古には春日明神とも称した神社で、
式内社・楯縫神社に比定されている古社。
同じく但馬国には、養父郡に同名の式内社が存在する。

旧地・多田屋の地名は、楯屋の転訛だと考えられる。
養父郡にある楯縫神社も、
建屋という地に鎮座しているが、これも楯屋の転訛だろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:55 PM

東屋沼神社 (福島市)

福島県にある 東屋沼神社(福島市) を掲載しました。合計2130社。

福島県福島市にある。
福島交通飯坂線・平野駅のすぐ東の平野に鎮座。
3号線から少し東へ入った場所。
境内入口は東向き。駅を背にして境内がある。

入口付近には、ブランコなどの遊具が並び、
駅へ続く道の横に鳥居が建っている。
鳥居をくぐって、砂地の境内に入ると、
正面に瓦葺の拝殿。
後方の垣の中に、赤と黒で美しく塗られた
入母屋造の本殿がある。

参拝は、夏休みの初日。
当社へ到着した時刻は、たぶん午後。
南空に雲が多く、先ほどまで雨が降っていた。
太陽は雲に隠れており、
青空の下だが、写真は暗め。
東向きなので、日の出の頃は良い雰囲気かもしれない。

創祀年代は不詳。

資料によると、
当初は吾妻山中の沼(雷沼、現在の五色沼か)付近にあったが
後世、大笹生村の五輪山(台山)へ遷座。
その後、現在地へ遷ったという。

当社は、社名のごとく、
東屋(吾妻山)の沼(雷沼)を祀ったとされているが、
異説として、日本武尊の東征のおり、
現社地の東南の沼付近で、東夷の族長を討ったことから
日本武尊を祀ったもの。
当社祭神の御神霊により、東の屋が治まるということから
東屋治神社と称したが、延喜式では「東屋沼」と誤られたという。

古くは東屋治神社と称していたが
いつの頃か、七松大明神と称し、
安永年間に東屋治神社と復称。
近世には余目郷二十余村の総社であった古社。
明治になって、東屋沼神社と改めた。

七松大明神と称した理由は、
吾妻山から中古七ツ松山に遷座したからとも、
祭神が七熊を討ったことによる「七ツ的」から転じたとも、
五輪山上に「七松」の古松があったからとも。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:07 PM

白濱神社(伊古奈比咩命神社)

静岡県の白濱神社(伊古奈比咩命神社) を掲載しました。合計2129社。

静岡県下田市にある。
伊豆急行下田駅から、
直線距離にして北東に2・3Kmの白浜に鎮座。

135号線を東へ進み、道なりに北上すると
白浜海岸付近、道路の右手(東側)に境内がある。

地元では有名で、参拝客も多い神社。
境内入口の南側に駐車場がある。
参拝は、正月三日。
日の出の頃の早朝だが、参拝客もチラホラ。

参道入口には赤い欄干の橋。
橋を渡ると、朱の鳥居。
鳥居の右手には「伊豆最古の宮」と書かれた案内。
左手には「式内大社 伊古奈比咩命神社」と刻まれた社号標。
白浜に鎮座していることから、白浜神社と呼ばれるが
当社の正式社号は、伊古奈比咩命神社だそうだ。

参道を進むと、参道の左手に樹齢二千年の薬師の柏槙。
洞の中に薬師像が安置されている御神木。
参道の右手には、枯れてから千三百年という白龍の柏槙。
地中から白龍が天に昇っている形らしい。
そう云われればそういう風にも見える。

さらに参道を進むと広い境内。
境内奥にどっしりとした拝殿がある。

境内の左手奥に、本殿へ通じる参道がある。
拝殿の後方、丘の上(といっても10mほど)に本殿があるので、
参拝客は、左の参道から登っていく。
拝殿から本殿へ一直線に登る階段もあるが
これは神官用(あるいは神様用)だろう。

創祀年代は不詳。

主祭神は三島大明神の后神・伊古奈比咩命。
伝承によると、往古、三島大明神とともに
三宅島阿古に座していたが
孝安天皇元年、白浜の長田に遷座された。
二神ともに諸島を統べ、伊豆神族の宗社として崇敬されていたが、
何れの時にか、三島大神は国府の地・三島へ遷座された。
よって、当地を古宮という。

又の名を五社明神といい、
これは主祭神・伊古奈比咩命の他に
三島大明神と、見目・若宮・剣御子の計五柱を祀るため。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:29 PM

荒樫神社 (越前市)

福井県の 荒樫神社(越前市) を掲載しました。合計2128社。

福井県越前市にある。
北陸本線・鯖江駅の南東5Kmほどの西樫尾町に鎮座。
417号線を進み、西樫尾町で北へ入る。

西向きに参道入口があり、石鳥居が建っている。
鳥居の右手には「荒樫神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、緩やかに登る参道を進むと手水舎。
少し左へ曲がると、正面に緑の境内。
境内の奥、一段高い場所に社殿がある。
ということは社殿は、南西向きだろうか。

境内の鳥居をくぐり、階段を登ると
正面に拝殿があり、後方に本殿。
拝殿扁額には「荒樫神社」と書かれている。
本殿の側面は板張りされているが
ひょっとすると、これは覆屋なのかもしれない。

社殿の左手に、境内社・麻気神社の小祠。
祠には「地西国三十三所参拝」と
書かれた札が数枚貼られていた。

創祀年代は不詳。
社伝によると、
男大迹皇子(継体天皇の幼名)が御潜龍の時、
祖神を、筑前国香椎宮から勧請したのが、
当社の創祀。

境内社の麻気神社は、
男大迹皇子、幼少の頃、
御生母・振姫に従い、当地へ来た時
伯父・麻加加介の世話になったことから、
振姫と麻加加介の二柱を祀っている。

境内の左手に細い道があり
奥には境内社・鵜甘神社がある。

鵜甘神社の創祀年代は不詳。
男大迹皇子の弟皇子・太郎子王の創祀と伝えられている古社であり
式内社・鵜甘神社の論社の一つ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:37 PM

深坂神社 (豊岡市)

兵庫県の 深坂神社(豊岡市) を掲載しました。合計2127社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・豊岡駅の南700mほどの三坂に鎮座。
線路の西側に社域の丘。
東側の市街地からは、ガード下を越えて、
すぐに右手(北側)へ入ると、境内入口の鳥居が見える。
社前を小川(蓼川?)が流れており、
小さな石橋を渡ると鳥居。
鳥居の右手前には「式内 深坂神社」と刻まれた社号標。

桜の花が咲いている参道を進み、階段を登ると境内。
丘の上に、南向きに社殿がある。

参拝は、五月の休日、早朝。
まだまだ町は暗い、そんな時刻。
社殿の前にある明かりが灯っていた。
木々に囲まれて、周囲よりもなお暗い場所で、
朝でなければ、ちょっと怖いかもしれない、
そんな雰囲気。
参拝中に、周囲の木々で
烏が鳴き騒いでいた。

社名の「深坂」について。
『平成祭データ』には「深阪」と記されていた。
読みは「ミサカ」だが、
古い資料には「フカサカ」とされているものもある。
鎮座地が三坂なので「ミサカ」が正しいのだろうが、
昔「フカサカ」と読んでいたものが「ミサカ」と誤読され
三坂に転じた可能性もある、かもしれない。

創祀年代は不詳。
式内社・深坂神社に比定されている古社で、
かつては京極家菩提寺である瑞泰寺付近に鎮座していたという。

『兵庫県神社誌』には、
天武天皇白鳳三年(675)六月二十八日、
城崎郡大領物部韓國連久々比によって創立されたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:35 PM

鹿石神社 (東松島市)

福島県にある 鹿石神社(東松島市) を掲載しました。合計2126社。

宮城県東松島市にある。
陸前小野駅の北東500mどの上沢目に鎮座。
45号線から243号線(東浜街道)へ入って
200mほど北上すると、243号線の西側に
砂利を敷詰めた駐車スペースがある。
それが境内。

階段を登ると、
丘の斜面に背を向けて社殿が立っている。

社名の「鹿石」は、
『平成祭データ』には「シカイシ」と記されているが
資料によっては、「シシイシ」と書かれている。
鎮座地の近くに「鹿石前」という地名があり
「シシイシマエ」と読むらしいので
「シシイシ」が正しいのかもしれない。

参拝は盆休みの午後。
境内背後の丘に、日が沈み始めた頃。

創祀年代は不詳。
坂上田村麻呂の勧請と伝えられる古社。

境内(社殿脇)に大石が露頭していて、
鹿が伏せたような形だと、
資料にはあるが、参拝時には気付かなかった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:20 PM