韓國神社 (豊岡市)

兵庫県の 韓國神社(豊岡市) を掲載しました。合計2110社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・城崎温泉駅の東2Kmほどの飯谷に鎮座。
9号線を進み、円山川にかかる城崎大橋を渡る。

地図で位置を確認すると、9号線の側にあるように見えたので、
9号線を道なりに進み飯谷峠を越えたが見当らず。

引き返して、円山川の支流であり
楽々浦へ流れる飯谷川に沿って、9号線から南に逸れ
集落の中の道を奥へ進むが見当らず。

仕方がないので、飯谷集落の手前に車を止め、
集落の北東へ続く小道を探して到着。
小道の入口から、300mほど歩いただろうか。
飯谷峠へ向かう谷というか、そういう場所にある。

小道の参道を進むと、白い石の鳥居が見えてくる。
参道には大きな灯籠。鳥居の前には
「韓國神社」と刻まれた社号標。

苔生した参道を進むと正面に拝殿。
後方には本殿を納めた覆屋があるが
本殿は確認していない。

参拝は、五月の休日。雨上がりの午後。
雨後の蒸気というか、植物の発する
ムッとする空気が充満した境内だったが、
それは雨のせい。

物部神社とも、韓國神社とも
震旦国明神とも称された神社。

社伝によると、
武烈天皇の命を受けて
韓國(朝鮮)へ派遣された物部眞鳥(まとり)が
但馬の水戸(楽々浦)に着き、都へ報告に上った。

その功績によって、韓國連を賜わり、
以後、物部韓國連眞鳥と称した。

眞鳥の子・渚鳥(すとり)は
欽明天皇の頃、城崎郡司となり飯谷付近を開墾。
渚鳥は、名を墾麿と改め、
地名を墾谷とし、墾谷が針谷となり
現在の飯谷となったという。
墾麿(渚鳥)は、墾谷の丘に父・眞鳥を祀り
韓國神社と称したという。

天武天皇白鳳三年、墾麿の子である
物部韓國連鵠が、祖父(眞鳥)と父(墾麿)を当地に祀り
物部神社と称し、延喜の制小社に列した。

いつの頃からか、祭神が素盞嗚尊とされ
明治以降、韓國の社号となったという。

さすがにコウノトリの郷・豊岡市。
鳥に関連する名を持つ神々が登場する。

当初は、飯谷川の上流、
通称「森さん」と呼ばれる場所にあったが
その後、現在地から700m奥の宮ノ下へ遷座。
昭和二年三月七日、
奥丹後震災による山崩れにより社殿を全壊し。
現在のシケ谷へ移転新築された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:59 PM

伊智神社 (日高町)

兵庫県の 伊智神社(日高町) を掲載しました。合計2109社。

兵庫県豊岡市(旧日高町)にある。
山陰本線・国府駅の南2Kmほどの府市場に鎮座。
312号線から東へ300mほどの
円山川が湾曲して流れる場所。
畑の中に、川に面して南向きの境内がある。

が、参道は西から入る。
参道を進み、左折して北上すると
植えられた参道脇に「式内 伊智神社」と刻まれた社号標。
さらに北上して鳥居をくぐると境内。

参道の正面に本殿があるが
拝殿は見当らなかった。

参拝は、五月の休日。雨の朝。
まだまだ暗く、社殿前の電灯に明かりが灯っていた。
というわけで、写真はかなり暗めだったので
少し画質を調整して掲載。

創祀年代は不詳だが、
境内の由緒書きによると、
大宝三年(703)三月、国司・櫟井臣春日麿が
その祖神を祀ったものだという。

近世までは、八王子大権現と称された神社で
式内社・伊智神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:40 PM

三島神社 (南伊豆町青野)

静岡県の三島神社(南伊豆町青野) を掲載しました。合計2108社。

静岡県の南伊豆町にある。
南伊豆町役場から北西5Kmの青野に鎮座。
青野川に沿って走る121号線(南伊豆松崎線)を走り、
南上小学校の辺りで、青野大師ダム方面へ向かう道を
北へ入り、数百メートル進むと、道の左手(東側)に境内。

北上する道に面しているので、境内は西向き。
階段を上ると鳥居が立っており、
広い境内の奥に、拝殿というか舞殿がある。

その舞殿の後方に、上に登る階段が見えるので
後方に回り、階段を登ると、
覆屋に納まった本殿がある。

当社に関する資料は未入手で、
創祀年代や由緒に関してはわからない。

『式内社調査報告』によると
『特選神名蝶』に式内社・多祁伊志豆伎命神社の論社として
記載されているらしい。

多祁伊志豆伎命神社であれば、
『伊豆国神階帳』に「従四位上 たけしの明神」とある古社だ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:24 PM

佐受神社 (香住区米地)

兵庫県の 佐受神社(香住区米地) を掲載しました。合計2107社。

兵庫県の香美町にある。
山陰本線・佐津駅の南1Kmほどの香住区米地に鎮座。

佐津川に沿って南下していると、
道路の左手(東側)、田の向こうに
細長い森が見えてくる。
佐津川を渡り、東へ進むと、
その森の南端に、境内入口がある。

入口の右手には、「式内 佐受神社」と刻まれた社号標。
細長い境内に入り、細長い参道を進むと
境内北奥に社殿。
サッシの拝殿後方には、覆屋に入った本殿。
本殿の造りは、流造のようだ。

参拝は、五月の休日の朝。
佐津川を越えて社域(東方)へ向かうと
昇る朝日に向かう形になり、逆光になる頃。
といっても、太陽はかなり高い位置にあるので昼近くだったかも。

佐津川沿いの道から見ると、神社があるとは思えないのだが、
趣味で神社参拝を続けていると、
「ある」という確信を持つ時がたまにある。
ここもそんな感じの神社だった。

ちなみに、「ある」と確信して無かったことは一度も無いが
「あるはずだ」と思いながら探して無かったことはかなり多い。

「佐受」と書いて「さず」と読むが
素直に「さうけ」と読む場合もあるらしい。

創祀年代は不詳であるが、
社伝として、欽明天皇三十二年三月、
佐須知公の創立とする。

式内社・佐受神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:02 PM

布久比神社 (豊岡市)

兵庫県の 布久比神社(豊岡市) を掲載しました。合計2106社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・豊岡駅の西2Kmほどの栃江に鎮座。
奈佐川の西、光雲寺の東の畑の中の森が境内。

参拝は、五月の休日の早朝。
豊岡は朝霧の多い土地らしく
当日も朝から霧が出て、周囲の道も見えず
カーナビを頼りに農道の小道を進むが
当社への道は、さっぱりわからず。

車を停めて、少し歩きまわると
畑の向こうに、神秘的な森を発見。
近づくと、境内入口があり、
参道入口には灯籠と社号標が建っていた。

参道を進むと、森の前に鳥居。
鳥居をくぐって境内に入り、
右手にカーブしながら進むと、社殿が一つ。
この社殿は覆屋で、中には小祠が祀られていた。

創祀年代・由緒は不詳。
古くから、奈佐谷の一の宮、一宮大明神と称された神社。

式内社・布久比神社に比定されている古社で
境内の森は、円墳の上にあるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:03 PM

重浪神社 (豊岡市)

兵庫県の 重浪神社(豊岡市) を掲載しました。合計2105社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・城崎温泉駅の南東3Kmほどの畑上に鎮座。
9号線(豊岡竹野線)と11号線(香住久美浜線)が
交わる場所から、気比川に沿って南下する。
11号線をもう少し東へ進むと、すぐに京都府だ。

集落の奥の細い道を進むと
川の合流点に境内がある。
北東向きの境内は、周囲の道から少し低い場所にあり
境内の中に四脚鳥居。
鳥居の奥に、割拝殿がある。

割拝殿の奥、正面に覆屋の中に納まった本殿。
本殿の扁額には、「上津大明神」と書かれていた。

社殿の左手には、苔生した大きな御船岩。
印象としては、貴船神社奥宮の御船型石と同じだが、
こちらは小石で覆われたものではなく
横幅6メートルほどの大きな岩の塊。

参拝は、五月の休日。
早朝は大雨だったが、
9時頃から徐々に晴れてきて、
当社に到着した頃には、少し陽も射していた。

祭神は、上津大明神と呼ばれていたからか、
物部韓國連神津主命、
あるいは上津綿津見命とされている。

社伝によると
推古天皇二十五年(617)十二月、
物部韓國連神津主命が城崎郡司となり
その父・物部韓國連墾磨命を墾谷丘の物部の宮に祀った。
天武天皇白鳳三年(675)六月
久々比命が城崎郡司となり
その父・楮主(かみつ)命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき、
共に祭祀を受け、重浪神社と称したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:44 PM