黒沼神社 (福島市)

福島県にある 黒沼神社(福島市) を掲載しました。合計2024社。

福島県福島市にある。
福島駅の北東1.5Kmほどの御山堂殿に鎮座。
信夫山の麓、信夫山公園にあり、周囲は観光地のようだ。

参拝は夏休みだったが、当社周辺には車が多く、
人も多かったのだが、なぜか当社へ参拝する人は居なかった。

西隣には護国神社があり、
周囲の木々も青々として清々しい。

境内入口に赤い鳥居が立ち、
鳥居の右手に社号標。
鳥居の両足には、大きな草鞋がぶらさげられていた。

境内はそれほど広くはなく、
北隅に社殿。拝殿の後方に神明造の本殿がある。

創建年代は不詳。
式内社・黒沼神社の論社の一つである古社。

主祭神は黒沼大神だが、闇御津羽神とする資料もある。
黒沼大神とは、昔、当地が湖水であった頃の水神。
湖の主であったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:05 PM

宇久須神社 (西伊豆町)

静岡県の宇久須神社(西伊豆町) を掲載しました。合計2023社。

静岡県の西伊豆町にある。
136号線から東へ1Kmほど、
宇久須港に流れ込む宇久須川と大久須川の合流するところ。
410号線の側に境内がある。
境内入口は西側。
赤い鳥居をくぐると広い境内。
境内に入って左手に、戦没者慰霊塔。
境内の奥(東側)に、社殿がある。

社殿は、拝殿の後方に、慶長三年造営の本殿を納めた覆屋があり、
拝殿は切妻造、覆屋は入母屋造。
参拝が、年末大晦日だったためか、
覆屋の扉が開いていたので、中の本殿も撮影。

創祀年代は不詳。

『伊豆国神階帳』に「従四位上 宇久須の明神」とある古社で、
式内社・宇久須神社に比定されている神社。

当社の社号「宇久須」に関しては幾つかの説がある。
まず、浮き楠の意味であり、楠で作った船の霊を奉斎する意味。
あるいは、大楠や小楠から来たとする説。
どの説も、楠との関係を示しており、
当地に楠が多かったということである。

祭神は、積羽八重事代主命。
一説には、別殿に五座を祀るとある。
その五座とは、正八幡宮・若宮八幡宮・今宮八幡宮の誉田別命、
厳島神社の市杵島姫命、金刀比羅社の大物主命。

古来、三島大明神と称し、当地方の総鎮守であったが、
明治七年に現在の社号に改められた。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:25 PM

劔刀神社 (伊豆の国市)

静岡県の劔刀神社(伊豆の国) を掲載しました。合計2022社。

静岡県伊豆の国市にある。
伊豆の国市役所の西1.5Kmほどの戸沢に鎮座。
130号線を西へ進み、戸沢川に沿って北西へ入っていくと
道の側に、こんもりとした丘がある。
この丘の上が境内。

台風による土手の崩壊や虫害による老松伐採によって景観は変ったらしいが、
今でも良い雰囲気の杜になっている、

参道入口を進み、階段を登ると
社殿の前に鳥居が立っている。
社殿は、コンクリート造。
鉄の扉に手をかけてみると開いたので
中の本殿も撮影した。
参拝が年末だったから、ひょっとすると
年始詣のために開けていたのかもしれない。

創祀年代は不詳。

『伊豆国神階帳』に「従四位上 たんかいの明神」とある古社で、
式内社・劔刀乎夜尓命神社の論社。

祭神は、延喜式記載の社名から劔刀乎夜爾命のはずだが、
一説には、日本武命と草薙剣という。

本殿には、御魂石や鉄製の古剣が祀られているらしく、
この古剣が、草薙剣ということだろうか。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:53 PM

海津天神社 (マキノ町)

滋賀県の 海津天神社(マキノ町) を掲載しました。合計2021社。

滋賀県高島市にある。
マキノ駅の北東1Kmほどの海津に鎮座。
161号線に当社への案内があり、
少し北西へ入ると、尾山の麓に境内がある。
海津は、琵琶湖北端の港町であり、
若狭方面への重要な交通の要衝であった場所。

境内入口の鳥居には、「天満宮」と書かれた扁額。
鳥居をくぐり、境内に入ると正面に拝殿があり、
その後方、一段高い場所に社殿がズラッと並んでいる。

拝殿の後方、中央に一番大きな本社本殿。

本殿の右手には、大鍬神社。
その右手に、恵比寿社、八坂社、稲荷社が鎮座。
恵比寿社の後方の階段を登ると、愛宕社と白山社。
本殿の左手には、小野神社。
その左手に、靖国社と国狹槌社を祀る祠と貴船社。
左手奥の階段の上には、金刀比羅社。

当社には、境内社の社殿が多いのだ。

また、小野神社の斜め前にある榊は、
大前神社の神霊を祀っており、大前山の大前神社遥拝所。

最初の参拝は、五月の連休。新緑の頃。
今回の参拝は、二月の土曜日。雪の朝。
再度、秋の境内も見てみたい。
そんな気持ちになる、清々しい境内だ。

創祀年代は不詳。
社伝によると、建久二年(1191)の勧請。
学問の神として崇敬されてきた古社。

織田信長の兵火に罹り、一時社領を失ったが、
その後、朝廷や幕府の崇敬篤く、
社領や社殿の寄進があったという。

『明治神社誌料』には、
「按ずるに此地延喜式神名帳に載せたまふ所の
太田の神社の地なり、物かはり星移り、
式内社もおほくはその名を失ふ、
當社も古への太田社の地に天満天神を勧請せしものならん云々」
とあり、当地が式内社・大田神社であったとある。

境内社の小野神社は、式内社・小野神社の論社。
一説には、小野神社の鎮座地に、天満宮が勧請され
現在の海津天神社となったという。
また、昔は日吉山王社とも称したという。

境内の榊に祀られる大前神社は、
式内社・大前神社に比定されている神社。
古社地は大前山の中腹にある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:37 PM

大前神社 (海津)

滋賀県の 大前神社(海津) を掲載しました。合計2020社。

滋賀県のマキノ町にある。
琵琶湖に突き出した海津大崎の
大前山(東山の南の峰)中腹に鎮座。

当社の神霊は、すでに海津天神社境内に移されているのだが
古社地に鳥居と社殿が残っており
祭祀が続けられているという。

じつは、当社を目指して四回目でようやく参拝が適った神社なのだ。

最初は、平成十六年の五月。
連休を利用して、琵琶湖西岸を旅行していた時。
『式内社調査報告』には、「中腹の社」「大前山の頂近く」と
書かれていたので、まず大前山を目指す。
161号線・海津交差点から、
琵琶湖を右手に見て南東へ1Kmほど走ると
ちょっとした住宅地があり、
住宅地の入口に、「式内 大前神社登拝口」と書かれている。
付近の湖岸には、「義経の隠れ岩」がある場所。
「義経の隠れ岩」とは、
文治三年(1187)、義経主従が大津を出て
北陸に都落ちの時、海津に着船した所、
人に知られぬように身を隠したと云われる岩。

で、登拝口から住宅地に入り、
車で行ける所まで進んで、登山開始。
大前山は、4~500mの低山なので、
気軽に登り始めたが、道が無い。

木々の間を、しばらく攀じ登ると藪。迂回しても藪・藪・藪。
藪に入って行く用意はしていなかったし、
山へ入る場所を間違えたのだろうかと不安になり、
とりあえず、断念して下山。

大前神社の遷座先である海津天神社で
登拝道について聞いてみたところ、
道らしい道は無いらしく、最近は熊が出没し、
祠も、しばしば損傷を受けているので危険だという。

ということで、その時は、登拝を断念した。

二回目は、その年の冬、平成十七年の一月。
冬の休みを利用して、今度は琵琶湖東岸を旅行していた時。
この時期なら熊も冬眠中だし、木々の葉も少なくなっているはず。
今度は、藪にも突っ込んで行く覚悟をして、
前回断念した場所を目指して登る。
思ったとおり、木々は少なくて見通しは良いが
やはり藪は藪のままだったし、雪で滑って登りにくい。

でも、数m先の木の上には猿の家族が
こちらを伺いながら食事中。
藪からは野ウサギが飛び出して来て、
鹿に潤んだ瞳でジッと見つめられている。
そんな感じで、ゆっくりと登ることが楽しくなってきた。

で、ようやく山頂らしき場所に到着。
だが、雪が深く積もっているだけで、何も無い。
周囲を見渡しても、それらしいものは無い。
フト見ると、カンジキで歩いたような足跡がある。
僕が登ってきた道よりも、南から登ってきた足跡は
山頂を通過して、北(たぶん東山)方向へ続いている。
その南側の登山道にあるのかも知れないと思い、
そちらへ進んで行くと、ズボズボッ雪に埋まってしまった。
雪の吹き溜まりになっていたようで、
太股まで埋まりながらしばらく進んでみたが、
何も見えないし、それ以上は進めなくなったので、
またもや断念。

今度は違うルートで登ってみようと決意しながら
登ってきた道を下る。
雪で滑る道だが、雪の多い場所では意図的に滑り落ちて
子供の頃を思い出しながら、愉快に下山。
参拝できなかったのは残念だが、無茶苦茶楽しかった。

三回目は、その年の二月、平成十七年の二月。
岐阜へ行った時に、少し足を延ばして海津大崎へ行ってみた。
が、今回は雪が多く、登り始めから雪に埋まり、すぐに断念。
僕には当社との縁が無いのだろうと、諦めることにした。

で、今回四回目、平成十九年の二月。
諦めていたのだが、冬になると思い出す。

もう一度行ってみようかなぁ、と思い始め、
一月に大前山の情報を検索していたら、
あるページに遭遇した。
大前山を含む山稜の主峰・東山縦断のページだが、
東山を越えて南下し、下山するルート上に赤い鳥居の祠があるという。
大前神社の位置は、大前山の中腹らしい。
「中腹」にあるのなら、この下山ルートにある祠が、
まさにその位置になるのではないだろうか。

さっそく、ページの管理人の方へメールを出したところ、
丁寧な返事をいただき、ルートを記した地形図も送っていただいた。
こうなったら、とにかく行って確認してみるしか無い。
ということで、土日を利用して行ってみた。

いただいたルートでは、これまで僕が登り始めた場所よりも
かなり南の場所、ちょうどホテルの裏側あたりから登るらしい。
歩きやすい道があるということだが、
残念ながら一面の雪で、どこが道なのか、わからない。
地形図とコンパスを頼りに、とにかく高い方へ攀じ登っていく。
しばらく登ると、道らしきものを発見。
ウネウネと上へ続く、その道を登っていくと、
木々の間に、赤い鳥居が見えてきた。
ということで、登り始めは斜面を攀じ登ってしまったが
道を見つけてからは、苦労をせずに社殿に到着。

ということで、管理人の方の親切な対応に感謝しながら参拝完了。
登ってきた道を雪に戯れながら下っていくと、すぐに麓に到着。
登り口さへ間違えなければ、苦労することも無い道なのだが、
言葉で説明するには難しいかもしれない。

ただ、熊が出ることは確かなので、やはり注意は必要だと思う。

下山後、参拝した祠が大前神社かどうか、
ふと不安になったので、海津天神社に伺って確認してもらった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:39 PM

熊野神社 (布施田町)

福井県の 熊野神社(布施田町) を掲載しました。合計2019社。

福井県福井市にある。
えちぜん鉄道・西春江駅の西4.5Kmの布施田町に鎮座。
九頭竜川にかかる布施田橋を渡り、
一本北へ入った道に境内入口がある。
境内入口は南向き。

参拝は五月の連休。
晴天の青空の下、参道の旗竿には鯉のぼりが泳いでいた。

参道を進み、階段を上ると境内。
地図で確認すると、境内入口は確かに布施田町だが、
階段上の境内は三宅町になるのかもしれない。

とにかく、境内に上がると、もう一つの鳥居。
広い境内の奥(北側)に、社殿がある。
拝殿・本殿は入母屋造だが、
本殿は、覆屋の中にあるのかもしれない。
拝殿の扉の隙間から見たところ、そんな雰囲気だった。
『福井県神社誌』にも、本殿は流造となっているので、
この入母屋造の覆屋の中に、本殿があるのだろう。

創祀年代・由緒は不詳。

『式内社調査報告』によると
明治九年三月、村社に列し、
大正三年四月十五日、
東山下の八幡神社と上垣内の神明神社を境内社として移転。
後、社地がプールとなったため、
昭和二十七年、現社地に遷座されたという。
参道階段脇に、「八幡神社旧跡」と刻まれた石碑があったが、
これは、当社境内に移転された八幡神社だろうか。
とすると、大正期に八幡神社を境内に迎え、
昭和期に、その八幡神社跡地に遷座したことになるのか。

ところで、プールになったという古社地は何処にあるのだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:51 PM