鎌田神明宮 (磐田市)

静岡にある、鎌田神明宮(磐田市) を掲載しました。合計1821社。

静岡県磐田市にある。
JR磐田駅の東3.5Kmほどの鎌田に鎮座。
磐田市の東側を流れる太田川に近く、東海道新幹線の線路の南側。
中学校の隣りに境内はある。

参拝した日は、九月の休日の朝。
境内や参道では、近くの方々が清掃奉仕の最中だったので、
邪魔をしないように、周辺で時間をつぶして参拝開始。

参道入口は南側。200m以上ある参道を北上すると、境内入口の鳥居。
鳥居をくぐり、神門をくぐると、広い境内に大きく堂々とした社殿。
青い空にポッカリとあいた、古の空間という感じだった。
むちゃくちゃ気持ちが良い。

社伝によると、天武天皇の御宇、白鳳二年(673)の創祀。

伊勢国から豊受大神が渡御し、福田町中島浜に白羽の箭(矢)が降り立った。
その箭は光り輝いており、御船とともに納めていたところを假屋崎という。
三日後に、この箭は農具の鎌と共に当地に飛来した。よって当地を鎌田という。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:18 PM

五社神社 (高島市)

滋賀県の 五社神社(高島市) を掲載しました。合計1820社。

滋賀県高島市にある。
近江今津駅の北2Kmほどの今津町福岡に鎮座。
琵琶湖へ流れる石田川の北300mほど。
道路に沿って南向きに境内がある。
境内の東側には小さな公園。

鳥居をくぐると、狭い境内。街中の小社だ。
ただ、鳥居の左手に背の高い樹が、
境内の古さを感じさせる。

境内には、社務所と手水舎と社殿。
社殿の中に小さな本殿が祀られている。

創祀年代は不詳。

神社明細書には、
「當社ハ傳記無之シテ往古ハ麻知神社ト號セリ。
其後元亀三年比燒亡セリ。依テ末社ノ事比羅大神ト以テ崇敬シ、
其後創立セント雖モ唯口碑ノミ。」とあり、
これが正しければ、元亀三年(1572)以前から存在していた古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:44 PM

櫛色天蘿箇彦命神社 (浜田市)

島根県の櫛色天蘿箇彦命神社(浜田市)を掲載しました。合計1819社。

島根県浜田市にある。
久代駅の北西300mほどの久代に鎮座。
9号線から久代川を南へ100m遡り、
旧県道を西へ200m進むと、道路の南側に境内がある。

境内は山麓の森。苔むした階段を登ると鳥居。
懐の深い境内で、中央に堂々とした社殿が立っている。

当社の社号・櫛色天蘿箇彦命神社は、
「くしろあめのこけかひこのみことじんじゃ」と読む。
一般には、櫛色神社と略称されている。

創祀年代は不詳。

『石見年表』には、
「大同二年(807)三月櫛色天蘿箇彦命神社ヲ遷」とある。
祭神は、櫛色天蘿箇彦命。
石見の海岸部を根拠地とした櫛色一族が、
その祖を祀った神社らしい。
櫛色天蘿箇彦命は、彦竟邪都命(比古意邪豆命)とも呼ばれ、
天足彦国押人の後裔。
ただし、境内の案内にあるように、彦竟邪都命住吉大神と書かれ、
住吉大神と同神とする説もあるようだ。

元は、久代字稲葉に鎮座していたが、
大正七年、火災により全焼したため、
大正十年、現在地に再建・遷座された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:03 PM

藤戸社 (新発田市)

新潟県にある 藤戸社(新発田市) を掲載しました。合計1818社。
♪いやいやいやいやーん、なんてね。

新潟県新発田市にある。
JR羽越本線・加治駅の南東3Km、
加治川の北にある東宮内に鎮座。
佐々木加地氏の本城である、
加地城のあった要害山に続く西の山の上。

車道から田の農道の奥、山の麓にかすかに赤い鳥居が見える。
参拝は八月中旬の休日。青々とした農村風景。

入口周囲は雑草の叢。
ただし、雑草に覆われているのは鳥居の足元だけで、
奥に続く参道石段は、比較的綺麗だった。
前日に降った雨のせいか、石段は湿っており、
滑らないように注意して登る。

長い石段を登ると、途中にも赤い鳥居が建ち、
参道は暗いが、開けた境内は明るかった。
境内中央に大きな拝殿。
後方石段の上に、流造の小さな本殿がある。

当社を建立した佐々木盛綱は、源平の藤戸合戦で名を上げた武将。
藤戸社の社号は、その備前の地名(倉敷市藤戸町)から取られたらしい。

藤戸合戦とは、寿永三年(1184)、
倉敷沖の藤戸(児島)に陣を構える平家を攻めあぐねていた源氏にあって、
海峡に浅瀬の存在を知った佐々木盛綱が、騎馬で海峡を渡り、
先陣をきって、平家を屋島まで敗走させた戦い。
能の演目(『藤戸』)にもなっている有名な話らしい。
僕は、知らなかった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:17 AM

岐佐神社 (浜松市)

静岡にある、岐佐神社(浜松市) を掲載しました。合計1817社。

静岡県浜松市にある。
舞阪駅の西1.5Kmほどの舞阪に鎮座。
小学校の南に、南向きの境内がある。
境内から西へ300mも行けば浜名湖という場所。
というより、浜名湖の入口に突き出た砂丘上に町があり、
その中に境内がある。

二基の鳥居が建つ参道の奥、階段上に社殿がある。

社号の「岐佐」は、鎮座地である
象嶋郷(きさしま)に由来する、あるいは
祭神・蚶貝比賣命(きさがいひめ)に由来すると考えられている。

明応七年(1498)の大地震・大津波によって
社殿が流失し、現在地の柳の古木の根本に漂着したという。
漂着した場所に社殿を建てて祀り、
周囲に集まって集落を形成したのが三十六戸であったため
社地周辺を三十六屋敷と呼ぶという。
ところで、流失以前の古社地はどこにあったのだろう。

祭神は、蚶貝比賣命と蛤貝比賣命。
『古事記』において、兄神である八十神たちに猪であると騙されて、
焼けた大石を抱き止めて、大火傷を負った大国主命の治療にあたった
神皇産霊神の二柱の娘神。

画家青木繁の作品・大穴牟知命「おおなむちのみこと」に
火傷した大穴牟知命(大国主命)を治療する、
蚶貝比賣命と蛤貝比賣命が描かれている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:28 PM

劔龍神社 (遊佐町)

山形県にある 劔龍神社(遊佐町) を掲載しました。合計1816社。

山形県遊佐町にある。
遊佐駅の北3Kmほどの当山に鎮座。
当山は、鳥海山の南西麓。
天気が良ければ、鳥海山の全容が望めるかもしれない場所。
ただし、参拝当日は曇天で雲がかかっていた。

駅から345号線を北上し、庄内高瀬川を越えると、
正面に赤い大鳥居が見えてくる。
鳥居をくぐり、まっすぐに参道を進むと、
森の中に入る赤い鳥居。
その鳥居から境内に入るようだが、
鳥居の右手の車道を進むと社殿の右手に出てしまい、
僕は、参道を歩いていない。
一説には、平城天皇大同元年の創祀。

祭神は、大己貴命。
文政十一年の由緒書きには、
「剣龍山大権現薬師如来は、鳥海一の王子医王尊にて、
牛頭天王の本地仏にて、云々」とあり、
以前は素盞嗚尊と考えられていた。

また、剣龍山小物忌神社とも称したといい、
倉稲魂命を祭神とするという説もある。

よって、式内社・小物忌神社の論社の一つ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:15 PM