佐比賣山神社 (鳥井町)
島根県の佐比賣山神社(鳥井町)を掲載しました。合計1606社。
参拝は、日の出から間もない頃で、
参道を歩くと、逆光となり、撮影は難しかった。
特に社殿などは、真っ黒。
というわけで、参道を振り返った景色が印象に残っている。
島根県の佐比賣山神社(鳥井町)を掲載しました。合計1606社。
参拝は、日の出から間もない頃で、
参道を歩くと、逆光となり、撮影は難しかった。
特に社殿などは、真っ黒。
というわけで、参道を振り返った景色が印象に残っている。
徳島県の豊國神社(小松島市)を掲載しました。合計1605社。
当社の創立は、慶長十九年(1614)。
当時は壮大な大社であったが、
蜂須賀第四代藩主の光隆が、徳川幕府をはばかって、
取り壊しを行い、衰微。
明治になって、周辺氏子によって再興された。
静岡の豊由氣神社(静岡市)を掲載しました。合計1604社。
境内入口に、神明鳥居が立ち、階段を登ると境内。
正面に拝殿があり、拝殿の後方に、
一段高く垣に囲まれて流造の本殿。
入口の様子からは想像できない奥行きを感じるが、
実際にはそれほど広いわけではない。
天気の良い休日の朝で、清々しくて、穏やかな空気だった。
茨城県の常磐神社を掲載しました。合計1603社。
当社の創建は明治六年。正確には、明治の初年に、
第二代水戸藩主である徳川光圀公(義公)と
第九代水戸藩主である徳川斉昭公(烈公)の
徳を慕う人々が、偕楽園内に祠堂創立。
明治六年(1973)勅旨にて常磐神社の社号を賜り、
明治七年(1974)現在地に社殿が造営された。
境内入口から参道の階段を登ると、
参道の左手に、藤田東湖を祀る、東湖神社がある。
昔、山田風太郎の作品にはまっていた時期がある。
その作品の中で、強く心に残っている一書。
魔群の通過 というその本は、水戸天狗党の顛末を記したもの。
幕末の水戸藩内で起った内戦から、三千名の天狗党が、
京を目指す冬の行軍。幕府に追われ、離散していく仲間たち。
残った志士達も、結果的には、処刑されてしまう。
新撰組よりも、さらに悲惨な幕末の群像であるこの天狗党に、
この藤田東湖の子・藤田小四郎が参加しており、重要な役割を担っている。
ということで、この社の名を見た時に、
遠い昔に読んだ小説が、当時の感動とともに甦って来た。
この本は、オススメ。
鳥取県の多加牟久神社(鳥取市)を掲載しました。合計1602社。
伝承によると、景行天皇の御代、
熊襲叛乱の鎮圧に出発した武内宿禰が、播磨まで来た時に、
播磨の住民が「因州金屋の洗足山に賊がいるので退治して欲しい」と懇願。
その願いを聞き入れ、部下の多加牟久命に一軍を与えて
因幡へ向かわせた。
因幡へ到着し、無事に賊を平らげた多加牟久命は、
当地が、遠祖・大己貴命ゆかりの場所であると知り、
祖先の大己貴命を祀って、当地に土着したという。
茨城県の胎安神社(千代田町)を掲載しました。合計1601社。
八幡太郎(源)義家が奥州征伐の途上、
内室の為に胎内安全安産を祈願され、
嫡男出産の日を祭日と定められて、参拝したといい、
源氏の代表紋である笹竜胆の使用を許されたらしい。